第10話 深まる秋

 朝の光が会議室のガラス窓を通して差し込んでくる。10月下旬だというのに、まだ残暑を感じさせる陽気だった。


九ヶ上くがうえさん、この展示レイアウトについて、もう一度確認させていただきたいのですが」


 空泉そらいずみさんの声に、僕は画面から目を上げた。彼女は完璧な立ち姿で、タブレットを手に会議室の中央に立っていた。


「はい、どの部分でしょうか」


「職人技の動作解析データと、デジタルアートの融合についてです。藤村さんの研磨技術を可視化したデータが、佐江木さえきさんの作品とどう組み合わさるのか。もう少し具体的なイメージを共有できればと」


 その真摯な眼差しに、僕は思わず背筋を伸ばした。展示会まであと1ヶ月と少し。プロジェクトは佳境を迎えていた。


「承知しました。実は昨夜、その部分について思いついたことがあったので、佐江木さんと相談させていただいていました」


 私はノートPCの画面を彼女の方に向け、画面上のデータビジュアライゼーションを指し示した。


「藤村さんの手の動きから抽出した3次元データを、このように粒子の流れとして表現するんです。佐江木さんの抽象画の色彩データと連動させることで、伝統技術とデジタルアートが交差する瞬間を表現できないかと。佐江木さんとの相談中、過去に作成された作品をサンプルとして使わせていただいたところ、インスピレーションがわいたようで、新しい作品を作るとお伺いしておりまして」


 説明しながら、彼女の表情を観察する。最初は真剣そのものだった眉が、少しずつ和らいでいく。そして、ふと柔らかな微笑みが浮かんだ。


「面白いですね。技術的な正確さを保ちながら、芸術的な解釈の余地も残している。これなら展示を見た人それぞれが、自分なりの発見をできそうです。それにしても、このタイミングから新しい作品を作るなんて佐江木さんらしいですね」


 その言葉に、僕も思わず微笑んでしまう。彼女との仕事を始めてから、今までにない感覚を感じているのだ。互いの専門性を尊重しながら、新しい可能性を見出していく。それは純粋な知的興奮であると同時に、どこか心地よい緊張感を伴うものだった。


「ありがとうございます。ただ、技術的にはまだいくつか課題が」


 私が言いかけたその時、会議室のドアがノックされた。


「失礼します」


 声と共に現れたのは、山成嘉やまなかだった。普段は穏やかな彼の表情が、どこか緊張している。


「九ヶ上、ちょっと相談が」


 その声音に、直感的に何か問題が起きたことを悟った。経営者としての緊張が、瞬時に全身を走る。


「空泉さん。申し訳ありませんが、少しお時間いただきます」


 彼女は状況を察したように、優雅な仕草で頷いた。


「はい。では、今回はここでお開きにしましょう。私も佐江木さん、延条寺さんとの打ち合わせがありますので」


 挨拶もそこそこに、空泉さんを見送る。彼女が乗ったエレベーターの扉が閉まったことを確認するや否や、オフィスルームに小走りで駆け込む。山成嘉の席に向かうと、彼はこちらに画面を見せながら説明を始めた。河羽田かわはた製作所の新システムに、予期せぬエラーが発生しているという。藤村さんの研磨工程のデータ収集と分析に影響が出る可能性があった。


 僕は画面に集中しながら、先ほどまでの温かな空気が引いていくのを感じていた。外の陽射しは相変わらず明るいままなのに、部屋の中だけが少し冷たく感じられた。


 これが現実のプロジェクトなのだと、改めて思い知る。技術と芸術の融合。理想を語るのは簡単だが、実現への道のりは決して平坦ではない。


「エラーメッセージを見る限り、システム側っていうよりもデータ側に起因していそうではあるんだ。テスト環境やステージング環境は問題なく稼働しているからな。ただ……」


「ああ。河羽田製作所さんのデータに原因があると言ってしまったあと、システム側が原因でしたなんてことになったら目も当てられない。だけど、こっちだけで原因特定はできそうか?」


 言い淀む山成嘉の言葉を受けて、僕が続ける。過去、サラリーマンだった僕がやらかしてしまった失敗の一つだったからだ。データや顧客環境など、顧客側にエラー原因があると思い込んでしまった僕は、進捗会議でこちらの落ち度ではないと発言してしまった。しかし実際の原因は、システム側の不備。データ量の多かったユーザーにのみ発生していたパフォーマンス劣化ではあるが、非機能要件として取り決めた最大データ量の半分にも達していない量だった。その結果、当時のプロジェクトリーダーが顧客に謝罪し、費用面を理由に除外していた機能の実装を飲まざるを得なくなってしまった。最終的に、追加要望された機能の実装は僕一人で行い、自らのミスを自らで拭ったことではある。だが、それ以来、顧客側の原因というためには微に入り細を穿つほど調査するよう癖づいてしまったのだった。


「本番環境で使っているデータをテスト環境やステージング環境に入れてみることで、エラー原因がデータかどうかはわかると思う。テスト環境ならデバッグログを出すようにもしているから、エラー箇所を詳細に分析することもできるはずだ」


 しかし、不思議と焦りは感じなかった。むしろ、課題の本質が見えてきたような気がしていた。


「よし、ならそれを頼む。僕は、河羽田製作所さんに連絡して、本番データのコピー許可と、藤村さんへのアポイントをとっておくよ」


 その後、河羽田製作所に連絡をすると、専務である泰介さんが電話に出てくれた。状況を説明し、データコピーの許可を伺うと、二つ返事で許可をもらうことができた。どうやら先行して納品した VR データにより、若手の教育が順調に進んでいるようだった。これはありがたいことだ。


 データコピーの許可をもらったことを山成嘉に伝えると、彼は早速データのコピーとログの分析を開始。程なくして、結果が出た。登録された映像データが想定と異なっているのが原因。


「山成嘉、河羽田製作所に行こう。藤村さんに直接確認したほうがいい」


 声に出した瞬間、解決への道筋が少しずつ見えてきた。このプロジェクトには、技術だけでなく、人の想いが詰まっている。だからこそ、一つ一つの課題に真摯に向き合う必要があるのだ。


 ふと、先ほどの空泉さんとの会話を思い出していた。技術と芸術の融合。それは単なるデータの組み合わせではない。人と人との理解があってこそ、意味を持つのだと。


 休憩がてら外に出ると、秋の風が頬を撫でていった。

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