第9話 展示空間
小雨の音が静かに響く11月上旬の午後。
高い天井から吊るされた照明が、白い壁面に柔らかな光を投げかけている。その空間に、空泉さんが展示プランの図面を広げた。
「この導線で、物語性を持たせられると思うんです」
彼女の指が図面の上を滑るように動く。そこには、職人技のデジタルアートが織りなす物語が描かれていた。伝統工芸の世界に、最新テクノロジーの光を投影する試み。
「でも、このコーナーの投影、技術的にはかなり難しそうですね」
「それなら、壁面だけでなく、天井まで活用するのはどうだろうか」
「見え方はそれで改善しそうですね。ですが、延条寺さんの案だと職人さんの手元の動きが見えづらいように思います」
空泉さんの言葉に、僕も考え込む。確かにその案では、観覧者から投影先が遠すぎてしまい、職人の繊細な指使いを見てもらうのは難しいだろう。今回表現したいのは、全体像よりもその職人技である指遣いなのだ。だが、指先を中心にクローズアップしてしまっては、何をやっている場面なのかが分かりづらい。表現という分野の奥深さ、難しさを実地で体験している。
僕たちは図面を囲んで議論を続けた。技術的な制約と芸術的な表現。その両立を目指して、それぞれの専門性を活かしたアイデアを出し合う。
「試しに、プロトタイプを投影してみましょうか。図面と何もない壁だけで議論するよりは現物を確認したほうがよいでしょうし」
僕の提案に、全員が頷いた。
薄暗くなった展示室に、藤村さんの動きを捉えたデジタルデータが投影される。光の軌跡が空間に描き出す職人の技。しかし、すぐに予想外の問題が浮かび上がった。
「これ、観客の影が気になりますね」
佐江木さんの指摘は盲点だった。一部は仮置きではあるが、複数のプロジェクターによる投影が必要な作品だ。電気配線や設置場所の関係上、どうしても展示空間を移動する観客の影が、作品の一部を遮ってしまう。一瞬であれば許容することも考えられたかもしれないが、混雑状況によっては影ができる場所で待ってもらう可能性がある。そうなってしまっては、完全な作品を見せることができない。
「むしろ、不随意に不特定にできる影自体を、インタラクティブな要素として活かせるんじゃないか」
延条寺さんのその言葉に、僕たちは目を見合わせた。課題を逆手に取る発想。しかし、その実現には新たな技術的ハードルがある。プロトタイプの投影作業をしてもらっていた
「ちょっと、カフェで整理してみませんか?」
二人揃って唸ってしまったタイミングを見計らったかのような空泉さんの提案で、場所を1階のカフェに移すことになった。
落ち着いた照明のカフェで、コーヒーを前に議論は続いた。
「あ、観客の動きをセンシングして、投影パターンを動的に変更しちゃうってのはどうです?センサー類を増やして解析、動的に変更する仕組みを作る必要はありますが、ハード面よりソフト面だけで解決したほうが早いと思います」
山成嘉の思いつきに、アーティストたちの目が輝く。
「じゃあ、人が近づくと……」
「そう、作品が観客に反応するんです」
技術者とアーティストの会話が重なり合い、新しいアイデアが形になっていく。僕は黙ってその様子を見守っていた。異なる分野の専門家たちが、互いを理解し合おうとする姿勢。それこそが、このプロジェクトの核心なのかもしれない。
「これなら、技術的な制約も作品の一部として活きてきますね」
空泉さんの声には確信が宿っていた。窓の外では雨が上がり、夕暮れの光が差し込み始めている。
「では、この方向で最終調整に入りましょう」
彼女の決断に、チーム全員が頷いた。技術と芸術が交差する新しい展示のかたちが、ようやく見えてきた。
再び展示室に戻ると、空間は夕暮れの柔らかな光に包まれていた。
「まだやるべきことは多いですね」
空泉さんの呟きに、僕は静かに頷く。
「でも、きっと素晴らしい展示になります」
「ええ。この空間で、新しい物語が始まるんです」
彼女の横顔が、夕暮れの光を受けて輝いていた。そこには、芸術家としての覚悟と、プロジェクトリーダーとしての凛とした威厳が感じられた。
展示室を出る時、僕は確かな手応えを感じていた。技術は冷たいものではない。人の想いを伝え、新しい感動を生み出す力になる。その確信が、チーム全体で共有できた気がした。
これから僕たちは、その思いを形にしていく。雨上がりの夕暮れに、次なる一歩を踏み出す準備が整ったようだった。
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