第8話 河羽田製作所の決断

 富士山が朝もやに包まれる10月下旬の早朝。河羽田かわはた製作所の正門をくぐると、既に工場内から金属を削る音が響いてきた。


「うちじゃ考えられないくらい始業が早いな」


 隣で武良守むらかみが呟く。確かにまだ9時前だというのに、職人たちの仕事は既に始まっていた。清掃の行き届いた通路を進むと、藤村 玄三の作業場が見えてきた。


「おや、九ヶ上くがうえさん」


 藤村は手を止めることなく声をかけてきた。熟練の職人の手から生まれる精密部品は、まるで芸術品のような輝きを放っている。


「藤村さん、プロトタイプの経過をご報告に参りました」


 タブレットを取り出しながら、私は緊張を抑えていた。このプロジェクトの成否は、藤村をはじめとする河羽田製作所の職人さんたちの理解を得られるかどうかにかかっている。


「ほう、見せてもらおうかね」


 ようやく旋盤から離れた藤村の目は、若々しい好奇心に満ちていた。タブレットに映し出された自身の動きのデータを、彼は食い入るように見つめる。


「これは……私の癖まで捉えているのかね」


「はい。特に左手の小指でわずかに感じ取る振動の調整が、藤村さんの技術の特徴だと分析させていただきました。ここまでのものを作れたのは、藤村さんをはじめ職人のみなさんから追加撮影を許可いただいたおかげです。本当に、ありがとうございます」


 僕の説明に、藤村さんは深くうなずいた。


「なるほど。これは、面白い。だが、このデータを若手に見せても、すぐには真似できんじゃろう」


 その言葉には、技術の伝承の難しさが込められていた。


「おっしゃる通りです。ですので、私たちは段階的な学習を予定しております。まずは、職人や熟練工の動画や説明を聞き、作業内容の理解を促します。その後、こちらのデータを元として職人や熟練工の視覚を追体験してもらいます」


 僕はタブレットを操作し、うちの開発メンバーである尾井川おいかわが VR ゴーグルをつけ、グローブ型の VR コントローラーをつけた両手を前に出している映像を表示する。ぎこちないながらも、先ほど見た藤村さんに近い動きをしている場面だ。


「最初は、何度も失敗可能な Virtualバーチャル Realityリアリティ、通称 VR と呼ばれる仮想空間を操作して一連の流れを身につけていただきます。このように視界を覆うゴーグルをかぶり、グローブ型のコントローラーをつけていただきます。そのため、映像はデジタルですし、手に感じるフィードバックも仮想のものです。ですが、仮想であるからこそ、部材を消費しないことがメリットとなります。何度も確認することができますので、個々人の理解力に合わせて一連の流れを習得することができます」


 僕は言葉を切ると、藤村さんの反応を見る。藤村さんは僕の説明を聞きながら、尾井川の動きを興味深そうに見てくれていた。


「その次は、Augmented オーグメンテッドRealityリアリティ、通称 AR と呼ばれる技術を使います。AR ゴーグルをかぶることで、VR の学習映像をもとにしたガイドを見ることができます。基本的には VR で身につけた内容を実際に試していく中で、流れを補助したり、できあがった製品の完成度を評価したりすることが可能になります。ですが、問題点が2つあります。1つは部材を消費すること。もう1つが、0.1mm 未満の誤差については検知できないこと。どちらも河羽田製作所さんには無視できない問題だと……」


 その時、会議室からの呼び出しが入った。河羽田親子との打ち合わせの時間だ。藤村さんに先導され、僕たちは会議室へと向かう。


 会議室に入ると、張り詰めた空気が漂っていた。3代目社長の河羽田正治まさはると、その長男で専務の河羽田泰介たいすけ。親子でありながら、その表情は対照的だった。


「九ヶ上さん、プロジェクトの進捗を聞かせていただけますか」


 正治さんの声には、老舗経営者としての威厳が感じられる。一方、泰介さんの表情にはどことなく焦りの色のようなものが見えた気がした。


「はい。まず、職人さんが持つ技術のデジタル化について……」


 プレゼンテーションが進むにつれ、親子の反応の違いが際立ってきた。正治さんは時折頷きながら静かに聞いているのに対し、泰介さんは落ち着かない様子で資料に目を走らせている。


「しかし、本当にデジタル化で技術は伝わるんですか?アナログでやってもなかなか伝わらないのに、デジタルになったら伝えられるとは一概に信じ難いものがありますね」


 泰介さんが口を挟んだ。その声には、不安が滲んでいた。会社経営の世界では、よく『初代が創業して、2代目で傾き、3代目が潰す』と言われている。だが、河羽田製作所は家族経営にも関わらず、3代目まで順調に業績を伸ばしている。そのことが4代目社長と目されている泰介さんのプレッシャーになっているのかもしれない。


「技術の継承は、どこまでいってもアナログなものだと考えています。人から人へ伝えていく中で、どうしても伝えきれないものがある。そこを手助けするのがデジタルの役割なのです。そのため、申し訳ないのですが、デジタル化したからといって 100% の技術継承を行うことができるとは言えません。どうしたって、継承元、継承先の相性ややる気に左右されてしまいます」


 僕は一度言葉を切ると、河羽田親子を見る。そこでふと、二人の服装の違いが気になった。正治さんは作業着を着ているのだが、泰介さんはスリーピーススーツを着ているのだ。役割の違いだと思うのだが、なんとなく引っかかるものを感じる。


 だが、そんなことを聞く場面ではないのはわかっている。二人とも資料から僕に視線を向けてくれたことを確認し、次の言葉を口にする。


「ですが、デジタルを取り入れていただくことによって、技術の継承だけでなく、新たな可能性も生まれます」


 ここで僕は、空泉そらいずみ芸術文化財団との連携プランを説明し始めた。職人の技術を芸術、アート作品として表現し、その価値を世界に発信する。伝統を守りながら、新しい価値を創造する。


「空泉財団と……」


 正治の目が光った。老舗企業の経営者として、『空泉』の名前の重みを理解している。


「面白い。藤村さんはどう思う?」


 正治の問いに、先ほどから静かに話を聞いていた藤村さんが答えた。


「私は、やってみる価値があると思います。この技術を残すためには、新しい形も必要なのかもしれません」


 その言葉に、会議室の空気が変わった。


「よし、決めた」


 正治は重々しく宣言した。


「このプロジェクト、本格的に進めよう。泰介、君にも関わってもらう」


 泰介さんの表情が僅かに柔らかくなる。父の決断に、確かな信頼を感じたのかもしれない。


 午後2時、新幹線の車窓に富士山が遠ざかっていく。


「九ヶ上、今日はよかったな」


 武良守の言葉に、僕は頷いた。その時、スマートフォンが震えた。空泉さんからのメッセージだ。


『河羽田製作所の件をお伺いしました。素晴らしい展開ですね。デジタルアート展での発表が、今から楽しみです』


 返信を打ちながら、僕は考えていた。技術と伝統。デジタルとアナログ。一見相反するものが、新しい価値を生み出そうとしている。その架け橋となれることに、確かな手応えを感じていた。


 車窓の景色が流れていく。次なる展開に向けて、物語は動き始めていた。

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