第7話 プロトタイプ
薄曇りの空が窓越しに広がる WeWork のレンタルオフィス。モニターの青白い光が、緊張感漂う空気の中で瞬きを繰り返している。
「
僕は3画面あるディスプレイの真ん中を指さした。そこには
「うーん、ここでズレが出てるな」
横からディスプレイを覗き込んできた山成嘉は、眉間にしわを寄せる。体を戻すと、素早くキーボードを叩く。彼は学生時代からの付き合いで、今は僕たちTechFlow の CTO ―― Chief Technology Officer、日本語で言うと最高技術責任者 ―― を務めている。総勢20名程度の小さな会社で CTO なんて、と揶揄されることもある。だが、技術者として、山成嘉の右に出る者はいないと僕は確信している。
「すみません。藤村さんの指先の動きにブレが出ます。特に仕上げのところで0.2秒ブレるんですが、どうしたらいいですか?」
開発チームの一人、
様々な職人さんの姿を撮影し、分析してきた中で、僕たちが共通で得た知見がある。それは、職人技の真髄は、このような一瞬の動きの中にある、ということだ。それを完璧に捉え、デジタルで表現する。これが僕たちの直面している課題だった。これまで取り組んできた中でも、河羽田最高難易度と言っても過言ではない。
「
もう一人の開発メンバー、
「いや、ハード面の対応だけじゃ難しいと思う」
僕は画面に映る立体的なデータの流れを見つめながら答えた。
「むしろ、データの解析アルゴリズムを見直すべきかもしれない。山成嘉、あのとき話していた畳み込みニューラルネットワークの応用、あれを試してみないか?」
山成嘉の表情が変わる。彼もそこに可能性を見出していたようだ。
「やっぱ CNN しかないか。とはいえ、藤村さんのデータだけじゃすぐに過学習になっちまう。九ヶ上、河羽田製作所さんに追加の撮影許可をとって、学習データを増やしてくれ。藤村さん以外が同じ作業をしているところと、藤村さんが他の作業をやっているところがあると、"癖"を残しやすい」
その言葉と共に、開発ルームの空気が少し動いた。チーム全員が、新しいアプローチへの期待を共有している。
「わかった」
僕は、山成嘉の要請を受け取り、河羽田製作所さんに連絡を取る。開発チームの面々は、改めて役割分担を行い、再びキーボードを叩き始めた。
僕たちは没頭し続けた。河羽田製作所さんから撮影の許可をいただくことはできた。当たり前の話だが、河羽田製作所さんの仕事に支障を出すわけにはいかない。来週後半であれば、納期が落ち着いていると言うことだったので、そのタイミングで撮影させていただくアポイントを取った。
撮影までやることはないのかというと、そんなことはない。新たに撮影するとはいえ、その学習データだけでは、すぐに過学習になってしまう恐れがある。その対策として、過学習しづらいプログラムを作る必要があるのだ。食事は、総務チームや、武良守たち営業チームの中で手が空いている人たちに買ってきてもらった。席を立つのはトイレに行くときか、相談するときくらい。それ以外の時間、開発チームはほとんど席を立たず開発作業に没頭していた。開発作業の一部を担っていたが、僕の主な役割は経営者。会社全体の方針や予算、人員を考えなければならない。しかし今この時は、一人のエンジニアとしての血が騒ぐのを感じていた。
「すみません、空泉様と佐江木様がお見えになりました」
受付からの内線が鳴ったことで、慌てて時計を確認する。約束の時間ちょうどだ。
「お迎えに行きます」
席を立とうとした私を、山成嘉が制した。
「九ヶ上、今ある学習データだけでできる中での精一杯だ。最後の調整をするのに、あと5分だけ待ってくれ」
「わかった。5分、10分くらい場をつないでおく。山成嘉は、調整が終わったらきてくれ」
彼の真剣な眼差しに頷き、僕は受付に向かう。
「お待たせしました。こちらへどうぞ」
受付で待っていた空泉さん、佐江木さんを予約していた会議室に案内する。佐江木さんはあちこちキョロキョロしていたので、彼女にとって WeWork のようなレンタルオフィスはめずらしいのかもしれない。
「コーヒー、紅茶、緑茶とありますが、どれがいいですか?」
会議室に案内し、席に座った二人に聞く。WeWork はコーヒーが飲み放題なのだ。さらに、紅茶と緑茶のティーバックがあるので、お客さんの好みに合わせることができる。こういうとき、WeWork を借りていてよかったと思う。空泉さんは緑茶、佐江木さんは紅茶を希望されたので、二人を残して飲み物を取りに行く。
「すみません、お待たせしました」
僕が飲み物を持って戻った直後、山成嘉も会議室に現れる。どうやら最終調整が無事に終わったようだ。
挨拶もそこそこに、最新バージョンのプロトタイプを起動する。空泉さん、佐江木さんの視線は、即座にスクリーンに釘付けとなった。そこには、藤村さんの動きが光の軌跡となって描き出されている。職人の技が、デジタルアートとして表現される瞬間。
「これは……」
空泉さんの声が僅かに震えた。
「まるで、技の中に宿る魂が見えるようです」
佐江木が身を乗り出す。彼女の眼には、アーティストとしての輝きが宿っていた。しかし、その直後。
「ですが、まだ足りないものがありますね」
空泉さんの指摘は鋭かった。僕たちも気づいている。だが、今この時点では解決できていない問題の本質を突いている。
「職人さんの動きの中にほんのわずかにある、ためらいや躊躇。それが技を完成させる上で重要な意味を持っているはずです」
彼女の言葉に、僕たちは頷かざるを得ない。指摘の通りだ。だが、明らかな動きに現れていないものを抽出し、残していくのは難易度が高いことでもある。結果として、僕たちは人間らしい揺らぎというものを消してしまっていたのだ。
「佐江木さんは、いかがでしょうか?」
僕の問いかけに、佐江木さんは少し考え込んでから答えた。
「データに敢えてノイズを加えてみるのはどうでしょう。でも、ただのランダムなノイズではなく……」
「感情のゆらぎを表現するノイズ、ですか」
山成嘉が口を挟む。技術者とアーティスト、異なる視点が交差する瞬間だった。
次の2時間は、まさに技術と芸術の化学反応が起きる時間となった。佐江木さんのアイデアを元に山成嘉がアルゴリズムを修正し、空泉さんが全体の調和を見守る。オフィスルームに残る開発チームには、技術的な実装に集中してもらった。まさに突貫工事である。
秋の日は釣瓶落とし。その言葉の通り、あっという間に日が沈んでしまった今。
「これでどうでしょうか」
スクリーンに映し出された新しいバージョン。職人の動きは、より人間的な温かみを帯びていた。技術的な正確さは保ちながら、そこに確かな感情が宿っている。
「素晴らしい」
空泉さんの言葉は、静かだが確かな喜びに満ちていた。
その後、さらなる学習データの撮影を行うことをお伝えした上で、展示会に向けていくつかの相談を行なって本日の会議は終了。
「本日は、長い時間お付き合いいただき、ありがとうございました」
エレベーターホールでエレベーターを待つ間、僕は空泉さん、佐江木さんの二人にお礼を述べる。技術者視点では思いもつかなかったアイデアをいくつもいただいたおかげで、僕たちはさらに前に進んでいけるんだという思いを持つことができた。
「こちらこそ、大切なものを見せていただいたと思います。技術に魂を吹き込むような……そんな瞬間を」
窓外は既に夕闇が深まりつつあった。しかし彼女の瞳は、何か大切なものを見出した人のように、静かに輝いていた。
「次は、もっと大きな可能性を見せていただけますよね?」
その言葉に、私は確かな手応えを込めて頷いた。技術と芸術。異なる世界が交差することで生まれる、新しい価値の予感。それは、まだ始まったばかりだった。
二人をエレベーターホールで見送ってオフィスに戻ると、山成嘉を始めとした開発チームが残業を申し出た。だが、今日は早めの帰宅を指示する。ここから先は、追加の学習データがあってからのほうがいいだろう。それに、ここまで働き詰めでがんばってきてくれたのだ。そろそろ休んでもらいたい。座り仕事ではあるが、良い仕事をするためには体が資本なのだから。
個々に帰り支度をしていく社員たちの顔は、充実感に満ちている。そのことに、社長としての誇りを感じていた。そして、空泉さんたちの期待に応えたいという気持ちを新たにしたのだった。
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