第6話 アートとテクノロジーの交差点
「お待たせしました」
私の声に顔を上げた空泉さんの隣には、すでに二人の若手アーティストが着席していた。事前に空泉さんから同席すると伝えられていた方々だ。一人は、デジタルアート専攻の
「
空泉さんの声には、いつもの凛とした響きがある。隣で
「では、
僕の言葉を受けて、山成嘉が前に進み出た。プロジェクターには職人の動作を捉えた3Dモデルが映し出される。
「我々が開発したのは、熟練職人の動作を可視化し、データ化するシステムです。簡易的なモーションキャプチャーと 3D カメラで動作を記録し、映像データからAIが特徴的なパターンを抽出します。それぞれの抽出結果を突き合わせ、合致した部分は強く、合致しなかった部分は弱くする補正を入れることによって、出力結果の方向性を調整しています。これがあることで、"癖"と呼ばれている部分を抜き出すことができるようになりました」
山成嘉の説明は、いつもの通り簡潔で分かりやすい。画面上では、職人の繊細な手の動きがデジタルの軌跡となって描き出されていく。
「質問させていただいてもよろしいでしょうか」
空泉さんの声が響く。その眼差しには鋭い知性が光っていた。
「このデータから、どのような特徴が抽出できるのでしょうか。また、それをアートとしてどう表現できると考えていらっしゃいますか」
的確な質問だった。技術の本質を捉えながら、すでにその先のビジョンまで見据えている。僕は思わず感心の声が出そうになったので、慌てて息をのむ。
「抽出データについては、取得元の企業様の状況によります。今回の河羽田製作所様の場合ですと、部材の掴んでいる場所のみならず、腕や手の角度、工具と部材の距離といったところまで、0.01 mm 単位で抽出しています」
「……アートとしての表現については、本日ご相談させていただきたいと考えておりました。河羽田製作所様から、御財団のイベント出展であれば抽出データ利用の許諾はいただいております。ですが、万が一を考えますと、画像生成 AI との組み合わせは弊社からご提案しづらいものでして。デジタルアートやテクノロジーに造形のある芸術家の方々が同席いただけるとのことでしたので、抽出データを見ていただいた上で、アート表現についてアドバイスを頂けますと幸いです」
技術面での説明を終えた山成嘉からの目配せを受け、僕からアート表現に対するこちらの考えを伝える。著作権問題をクリアした画像データセットを取り込んだと宣伝している画像生成 AI はいくつかある。だが、本当に著作権問題をクリアしているかどうかは、僕たちで判断することはできない。そんな不確かなものを、芸術を扱っている財団向けに提案するなんて、僕たちのプライドが許さなかったのだ。
「なるほど。きちんと考えてくださっているんですね」
アート表現の提案を持ってこなかったことに対して批判されても致し方なしと思っていたが、空泉さんは表向きは僕たちの考えを受け入れてくれた。内心で安堵していると、デジタルアーティストの佐江木さんが身を乗り出すように発言した。
「それについて、あたしから提案したいことがあります」
佐江木さんは自身のタブレットを取り出すと、スケッチを示しながら説明を始めた。それは、職人の動きをインタラクティブな光の軌跡として表現する試みだった。観客が専用のデバイスを通してその空間に入り込むと、まるで職人の技が宿る空気の中にいるような体験ができる。
「面白い提案ですね」
僕は佐江木さんのアイデアに頷きながら、技術的な実現可能性を頭の中で整理していた。すると、延条寺さんが静かに、しかし確かな存在感のある声で語り始めた。
「しかし、匠の技には目に見えない要素が多すぎるように思う。山成嘉さんが"癖"と表現していたのは、その職人の感覚や経験、そして魂とでも呼ぶべきもの。アートとして表現するのであれば、それらを取り入れたほうがいいだろう。だが、こうして偉そうに話しているが、どのように表現したらいいかの案が思いつかないのだが」
その言葉に、一瞬の沈黙が訪れた。確かに、それはアート表現に取り組もうとしている僕たちが向き合わなければならない本質的な課題だった。その時、空泉さんが穏やかな口調で、しかし芯の通った声で語り始めた。
「その”見えないもの”の表現こそ、アートの力の真骨頂ではないでしょうか。画一的な切り口ではなく、芸術家やアーティストのみなさんの感性、個々の技量や経験による様々な切り口で表現していただくのです」
彼女は立ち上がり、ホワイトボードに向かった。そこに描き出されたのは、技術と感性が交差する新しい展示のコンセプトだった。職人の動きをデータ化した精緻な表現と、その奥に潜む魂の部分をアーティストの感性で表現する。二つの要素が重なり合い、深みのある作品として昇華される。
「まだまとめ切れているとは言えないのですが、12月のイベントのコンセプトです。そして、こちらを実現するため、九ヶ上さんたちTechFlowさんには、芸術家からの要望に応えていただきたいのです」
「技術的に可能な範囲で、最大限応えさせていただきます」
僕は即座に答えていた。この瞬間、プロジェクトの方向性が明確に見えた気がした。山中も頷いている。佐江木さんと延条寺さんの表情にも、新しい可能性への期待が浮かんでいた。
「では、具体的な実装に向けて動き始めましょう」
空泉さんの言葉で、会議は自然な形で締めくくられた。チーム全体に、確かな手応えが漂っている。
片付けを終えて廊下に出ると、夕暮れ近い光が窓から差し込んでいた。空泉さんが僕に近づいてきて、小さな声で話しかけてきた。
「九ヶ上さん、ありがとうございました。このプロジェクト、きっと素晴らしいものになると確信しています」
その瞳に映る夕陽の光が、どこか特別に輝いて見えた。次回の打ち合わせ日程を確認し、僕たちは別れた。エレベーターに乗り込みながら、今日の会議の充実感と、どこか温かな余韻が胸に残っていた。
伝統と革新。技術と感性。相反するように見えて、実は深いところでつながっているのかもしれない。そんなことを考えながら、僕は夕暮れの街へと足を踏み出した。
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