第4話 思いがけない再会

 工業地帯特有の空気が漂う通りを進んでいく。高層ビルが立ち並ぶオフィス街とは異なる、どこか懐かしさを感じさせる風景だ。


「ほい、到着っと」


 武良守むらかみが運転する車が、河羽田かわはた製作所の前で止まった。レンガ造りの古い建物に、創業百年を超える歴史が刻まれている。正門の横には、『精密加工のパイオニア』という文字が誇らしげに掲げられていた。


「さすがに緊張するな」


 僕の呟きに、武良守が軽く笑う。


「おいおい、何を固くなっているんだよ。土曜日の商談だって上手くいったじゃないか」


 確かにその通りだ。しかし今日は違う。実際の現場を見て、職人たちの技を理解する。そして、その技をどうデジタルの世界に落とし込んでいくか。このときばかりは経営者というよりもプログラマーとして、この瞬間に身が引き締まる思いがした。


 受付で案内を受け、応接室へと通される。壁には歴代の賞状や感謝状が飾られ、窓からは工場の一部が見える。まもなく、河羽田社長が現れた。


「お待たせしました」


 六十代半ばだろうか。温厚な笑顔の中に、確かな信念のようなものが感じられる。


「土曜日は興味深いお話をありがとうございました」


 にこやかに話しかけてくる河羽田社長に、僕たちも笑顔で応える。


「先日の話を踏まえて、こちらも考えさせていただきました。実現するのであれば、魅力的なお話です。ですので、先日ご連絡させていただいた通り、今日は実際の現場を見ていただきたくて。職人たちの技がどういうものか、まずはその目で確かめていただけたらと」


 工場へと案内される道すがら、河羽田社長は熱心に説明を続けた。創業以来受け継がれてきた技術、変わりゆく時代への対応、そして今直面している課題について。


「ここが主力の加工ラインです」


 工場に一歩足を踏み入れると、精密機械の唸りと、熟練工たちの真摯な眼差しが迎えてくれた。


「この工程が特に重要でして」


 ベテランの職人が、微妙な角度で材料を扱っている。その手の動きには、長年の経験から得られた確かな感覚が宿っているのだろう。これを見て覚えてきたというのだから、僕と同じ人間とは一概に信じられない。


「数値では表せない"匙加減"というものがありましてね」


 河羽田社長の言葉に、僕は静かに頷く。まさにそこが課題なのだ。デジタル化できない"感覚"。それをどう残していくのか。


「実は」


 説明を受けながらメモを取っていた時、不意に声が聞こえた。


「河羽田社長、お時間よろしいでしょうか」


 その声に、僕は思わず振り返った。


「ああ、空泉そらいずみさん」


 河羽田社長の声に続いて、視界に入ってきたのは、あの凛とした佇まいだった。


 あの土曜日の夜以来だった。空泉 亜里沙ありさの姿は、より一層ビジネスライクで、凜然としていた。ネイビーのスーツから覗く白いブラウス、きちんと整えられた黒髪。その姿は、SAのベンチで見かけた彼女とは、また違う印象を放っていた。


「あら」


 彼女も僕たちに気付いたようだ。一瞬、驚きの色が浮かぶ。しかしすぐに、穏やかな微笑みに変わった。


「まさか、ここでお会いするとは」


「お知り合いでしたか?」


 河羽田社長の問いに、空泉さんが丁寧に答える。


「はい。実は先日、ご縁がありまして」


 その言葉選びに、僕は内心感謝した。あの夜のことを、さりげなく済ませてくれたのだ。とはいえ、詳しく説明されたとしても、河羽田社長も返答に困るだけだろう。それなら、顔見知りであるということだけ伝えられれば十分という判断なのかもしれない。


「空泉さんは定期的に視察に来てくださいましてね」


 河羽田社長が説明を加える。


「当社は空泉グループの取引先の一つでして。特に最近は、伝統技術の継承について文化芸術財団にアドバイスをいただいているんです」


 その言葉に、物語の糸が繋がっていく。デジタルアート。職人技。伝統と革新。すべてが、不思議な巡り合わせで重なっていた。


九ヶ上くがうえさんのご提案に興味を持ったのも、空泉さんから伺った話がきっかけでした」


 河羽田社長の言葉に、空泉さんが微かに頬を染めた。


「いいえ、私はただ、可能性についてお話ししただけです」


「でも、職人技のデジタル化というアプローチは、確かに興味深いですよね」


 武良守が自然に会話に加わる。


「空泉さんが進められているデジタルアートの取り組みとも、共通点がありそうだと思うんです」


「ええ」


 空泉さんの目が輝きを増す。


「実は私も、そう感じていました。伝統的な技術を、どう次世代に残していくか。その課題は、美術の世界でも同じなんです」


 話は自然と、具体的な可能性の議論へと発展していった。職人の動作分析、データの可視化、そして何より、その人らしさをどう残すか。


「技術的には似たアプローチが使えそうですね」


 僕が言葉を継ぐ。


「動作の特徴を抽出して、そこから"型"を見出す。でも単なるマニュアル化ではなく、その人ならではの特徴も残す」


「まさにそれです」


 空泉さんの声が、確かな手応えを帯びる。


「デジタルアートの分野でも、作家の個性をどう活かすかが課題になっています。技法は伝えられても、その人らしさまでは」


「そこをクリアできれば」


 河羽田社長が身を乗り出す。


「職人技の世界でも、美術の世界でも、新しい可能性が開けるかもしれない」


 その言葉に、部屋の空気が一瞬引き締まった。皆が、同じヴィジョンを共有したような瞬間。


「では、具体的な進め方について」


 河羽田社長の声で、話は実務的な方向へと戻っていく。しかし、その合間に交わされる視線には、確かな期待が宿っていた。


 古い工場の中で、新しい何かが始まろうとしている。そんな予感が、秋の陽射しと共に、静かに満ちていった。

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