第3話 週明けの出来事
月曜日の朝。WeWork の入っている高層ビルに降り立つと、すでに多くのビジネスマンたちが行き交っていた。エントランスホールの大きなガラス窓からは、秋の澄んだ青空が見える。
エレベーターを降りると、共用スペースには早くも活気が漂っていた。スタートアップの若手たちが、朝のコーヒーを片手に熱心な議論を交わしている。その横を通り過ぎ、TechFlowのオフィススペースへと向かう。
「おはようございます、社長」
開発チームの新人が、元気よく挨拶してきた。プログラマー上がりの経営者である僕に対して、彼らは適度な距離感を保ってくれている。敬意は感じられるが、かしこまりすぎてもいない。
「
そう告げる新人の声には、誇らしげな響きがあった。元大手SIerのエース級エンジニアだった山成嘉が、CTOとして君臨するTechFlowの開発チーム。彼らの士気の高さは、まさに山成嘉の存在によるところが大きい。
「ああ、ありがとう。
デスクに向かいながら、僕は土曜日の商談を思い返していた。町工場の職人技をデジタル化する。確かに技術的には可能だ。しかし、その先にある可能性は、まだ十分に見えていない気がする。
「おはよう、賢一」
奥のデスクから、山成嘉が顔を上げた。近づいていくと、ディスプレイには複雑な図表が広がっている。少なくとも1時間は没入していたのだろう。
「相変わらず、朝が早いな」
「君こそ、めずらしく早いじゃないか」
山成嘉が軽く笑う。大学時代からの付き合いで、彼との会話には余計な気遣いが必要ない。
「土曜日の商談で、山成嘉と考えたいことがあってさ」
僕はデスクに向かいながら話を続ける。
「職人の技をデジタル化するって、技術的にはできる。でも、その先にある可能性が、もっと広がりそうな気がしてね」
「ああ、
山中がキーボードから手を離す。
「職人の動作を3Dスキャンして、機械学習で分析。ここまでは今までのうちのサービスでもできる。だけど、単なるデジタル化じゃ意味がないって話だろ?」
「そう。職人一人一人の個性というか、その人らしさも残したい」
その時、ふと土曜日の夜の会話が蘇った。
「商談とは別に、土曜日にある人と話をして」
話しかけかけた時、オフィスに賑やかな声が響いた。
「おはよう!」
武良守が、いつもの明るい調子で入ってくる。開発チームのメンバーたちと軽く言葉を交わしながら、彼は僕たちの元にやってきた。
「めずしいね、お二人そろって」
「河羽田製作所の件で、相談がね」
僕の言葉に、武良守が身を乗り出してきた。
「ああ、あの職人技のデジタル化ね。実は俺も、週末ずっと考えてたんだ」
彼は自分のPCを開きながら続ける。
「ちょっと、面白い記事を見つけてさ」
画面には、ある美術館のウェブサイトが表示されていた。
「
その言葉に、僕は思わず身を乗り出した。
「『Contemporary Vision - 伝統と革新の対話』。これ、土曜日に聞いた展示会だろ」
武良守の声が続く。
「理事の空泉
記事には、彼女の写真も掲載されていた。土曜日の夜とは違う、より凛とした表情。しかし、その眼差しには確かな熱意が宿っている。
「面白いな」
山成嘉が身を乗り出してきた。
「確かに、アプローチは似てる。職人の技をデジタル化するのと、伝統的な絵画技法をデジタル化するのは、本質的には同じ課題かもしれない」
「ああ、僕もそう思う。二人はハロルド・コーエンって人が作った
軽く肩をすくめて知らないことをアピールをする武良守に対して、山成嘉は腕を組んでしばらく上を眺める。だが、すぐさまこちらに視線を戻す。
「たしか、世界最初のコンピューター画家、と言われているアプリケーションだっけ?」
「そう。ハロルド・コーエンさんっていうイギリスの画家が開発して、生涯更新し続けた絵を描くプログラムだ。今流行りの画像生成 AI とは違い、プログラムが現実を認識し、ペンプロッターで現実の絵を描いている。YouTube とかにハロルド・コーエンさんのインタビューや AARON が絵を描くシーンの動画が上がってるから、手があいたら見てみて。あいにく、僕が AARON を知ったのはハロルド・コーエンさんが亡くなったあとだった上、AARON ってオープンソースじゃなかったらしくて、ソースコードは見たことないんだけど」
「画像生成 AI って名前詐欺だよな。学習データを解析してパーツ分解して組み合わせてるだけだろ。画像編集 AI に名前変えたほうがいいと思うわ」
めずらしく山成嘉が憤慨している。たしかに画像生成 AI は名前詐欺だと思うが、それに乗っかると話が脱線してしまう。
「画像生成 AI の名前詐欺は後でな。今は、伝統的な絵画技法をデジタル化のほうを話させてほしい。これって2つの道があると思うんだ。人間に習得してもらうのか、コンピューターに描かせるのか。人間に習得してもらうなら僕らのシステムが流用できる。けど、コンピューターに描かせるのであれば、今言った AARON みたいなコンピューター画家を作ることになる」
武良守が腕を組んで唸る。
「なるほどな。うーん、営業観点であれば、うちのシステムを流用してもらったほうが事例が増えるんでありがたいかな。あと、コンピューター画家はどう売り込んだらいいのかわからんっていうのもある。その場合は絵を売るのか?絵画の販路なんて知らんし、コンピューターが描いた絵って売れるんだろうか」
「技術者としては、コンピューター画家を作るほうが楽しそうだね。とはいえ、我々はアーティストではなくビジネスマンだ。売れるかどうかわらかないものにかけられる工数はほとんどないのも現実。となると、今回は我々のシステムを流用する形のほうがいいと思うよ」
山成嘉は、社員の作業工数を管理しているアプリケーションを起動して、余剰工数を確認してくれたようだ。《SmartBizFlow》はまだまだ開発するべき場所もあるし、顧客の業務特性に合わせたカスタマイズも欠かせない。
「ありがとう。コンピューター画家を作るなんて楽しそうではあるよね。売り込み先が思いつかないからまだ手を出せないけど」
僕は苦笑しながら、再び武良守が見せてくれた画面の記事に視線を向ける。
「どちらにせよ、職人の"感覚"を残しながらデジタル化する。芸術家の"個性"を活かしながら新しい表現を探る。どちらも、人の持つ何かを大切にしながら、テクノロジーで可能性を広げようとしていることに変わりはない」
「今回は《SmartBizFlow》でいいか?」
武良守が、意味ありげな表情を浮かべる。
「そうだね。河羽田製作所での実績を作れれば、アート分野への展開も考えられる。逆に、アート分野での知見が、職人技のデジタル化にもフィードバックできるかもしれない」
山成嘉が腕を組んで考え込む。
「工業分野と芸術分野。分野は違えど、本質の技術的には、かなり共通点がありそうだ。動作の解析、パターンの抽出、データの可視化。プラットフォームは同じものが使える」
「となると、河羽田製作所には、事例紹介の許可を取らなきゃな」
武良守がスマホを取り出してメモを打ち込んでいく。
「それを持って、空泉芸術文化財団に売り込みに行くと。空泉グループって影響力があるよな。この展示会、メディアの注目度も高そうだし」
その時、新たな可能性が見えた気がした。伝統とテクノロジー。一見相反するその二つを結びつける。それは、単なるビジネスチャンスではない。何か、もっと大きな可能性。
「山成嘉、ちょっと技術的な検証をしてもらえないか」
「ああ、面白そうだ」
山成嘉の目が輝きを増す。
「動作解析のアルゴリズムを、アート分野用にカスタマイズする。筆の運びとか、そういったところまで」
話が技術的な方向に展開していく中、僕はもう一度画面の記事に目を向けた。空泉亜里沙。土曜日の夜、SAで出会った凛とした佇まいの女性。彼女もまた、伝統と革新の間で、新しい可能性を模索しているのだろうか。
朝の光が差し込むオフィスに、新しい週の始まりを告げるような活気が満ちていた。
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