第2話 甦る記憶
扉の開く音に振り向くと、一人の少女が部屋の中にはいってきた。それはもう陽気に、鼻歌交じりだ。
「!」
俺は突然のことに反応が出来ずに言葉が出ない。そしてその少女は俺に気が付かずそのまま踊るようにハタキでパシパシと家具を叩いていく。そして作業をしながら視線をベッドに向けた少女はベッドにいるはずの俺が居ないことに気がつく。
「あれ?」
少女は不思議そうに部屋を見渡し机の横に立つ俺に気が付く。まるでお手本のような二度目で俺を見た少女は、目を大きく見開く。
「え? お坊ちゃま? あっ。ノックもせずに申し訳ありません!」
俺も慌てては居たが、それ以上に少女はパニックの様に慌てふためいている。
――なんだ?
そんな少女の姿を見ていて少しだけ俺は落ち着きを取り戻す。
「目を覚まされているとは思わず。申し訳ありません!」
少女は年齢的には十代半ばと言ったところだろうか。姿から見て彼女がメイドと一瞬で判断できるまんまの服なのだが……。
まだあどけなさの残る顔いっぱいに怯えた表情が広がっている。俺はそんな彼女の表情に違和感を感じる。
――この体の主って、ちょっと怖いのか?
俺が怪訝な顔で見つめていると、少女は更に怯えたような顔になる。そして三度目の謝罪の言葉を口にする。
「あ、あの……本当に申し訳――」
「君は、だれ?」
「……え?」
「僕は、ラドクリフで良いんだよね?」
「もちろん、もちろんであります。ラドクリフ様。も、もしかしてお坊ちゃま、お記憶が?」
「……少し。混乱している」
「そ、そんなっ! す、すぐに旦那様にっ――」
「待って!」
悩んだ挙げ句記憶喪失を使おうとしたのだが、彼女は俺の言葉を聞いてすぐに報告に行こうとする。これでは意味がない。慌てて部屋から出ようとする彼女を止める。
どうせなら、この少女からある程度の情報を得ておきたい。申し訳ないがこの怯えようなら、行けるだろう。
「し、しかし……」
「とりあえず、親に心配をかけたくないから」
俺がそういった瞬間、一瞬彼女は硬直したように俺を見つめる。
「え? ……ええっ!?」
「んっ。なにかおかしい事を言った?」
「い、いえっ」
おいおいおい。なんだかますます不安になるんだけど。
俺を見た瞬間の怯える姿、そして、「親に心配をかけたくない」と言う言葉に対する驚きの表情。なんだか俺に対する対応がおかしい。
……まさか、あまりいい子じゃ無かったのか?
今までのワクワクした気持ちの中に少しだけ不安が芽生える。
――ラドクリフ……。
自分がどんな人間だったのか、そんな事を顧みた瞬間だった。心の奥でカチリとなにかが開く。
「!!!」
それは俺の心の記憶の扉を無理やり開いたような感じだった。
「お、お坊ちゃま?」
「ぐっ!」
時間にしたらほんの少しだったのだろう。この体の生まれてからの六年間の記憶と、俺の二十数年の記憶がこの数十秒ほどの短時間でまりじ合っていく。
完全に拷問だ。脳が擦り切れんばかりに悲鳴を上げ、地球の常識と異世界の常識。そんな全くピッチの違う歯車が力任せにすり合わせられる様に歪みながら噛み合っていく。
頭痛も伴い、俺はとうとうその場に膝をつく。
「お、お坊ちゃま!」
メイドが慌てたように俺に近づいてくる。
「あぐっ……」
「だ、大丈夫ですか。今お医者さまを!」
やばい。俺はなんとか体を起こし、部屋から出ていこうとするメイドの手を取る。
「大丈夫だ。ティリー……」
「し、しかし」
「ほら、記憶も戻ってきただろ? ティリー」
「はい……」
過去の記憶からこのメイドの名前は拾えた。記憶が戻ってる事をわかるように、二度名前を重ねて言う。
とは言ったもののフラフラだ。ベッドに向かおうとする俺の肩をティリーが支えてくれる。
……ティリー。
そうだ。このメイドの名前だ。そして俺の名前は。
ラドクリフ・プロスパー。
この国でも一位二位を争う大商会、プロスパー商会を営む父親の次男坊だ。
……。
……。
記憶が戻ったとはいえ、割と断片的だった。それでも人格のベースは日本人の俺だという認識は持てていることは幸いだ。
「悪いな、少し落ち着いた……」
「え? い、いえ……」
ベッドの横でティリーは未だに混乱しているようだ。
当然だ、「悪いな」なんて言葉、メイドや使用人たちに言った記憶なんて無いのだから。それどころか完全に物扱いをしていたようだ。
嫌な予感、しまくりだな。
我が家はプロスパー商会という大商会を営む家庭だ。商会の従業員も数多く居れば、家にはメイドや執事、料理人などもたくさん抱える。
さらに、男爵という爵位まで持つ貴族だ。おそらく金で爵位を買った口だろうなと推測する。
なんとも悪役っぽいポジションに、俺は悪役転生を疑う。
プロスパー商会……。なんとなくは記憶にあるがそんな商会名までなかなか覚えていない。もしかしたらスローライフ系の主人公の敵対商会だったかもしれない。
悪役転生かもしれないが、そうだったら最悪だ。なぜならこのラドクリフというキャラが思い出せないんだ。
悪役転生なのにその悪役が誰だかわからないというのは非常に危険だ。悪役転生は死亡フラグなど抑えてこそ、楽しめるのに。
ライトノベルを大量に読みまくっていた俺には情報がありすぎて記憶があやふやというのも有る。それはそうだ、年間百冊近くのラノベを購入し、更にウェブ投稿された小説にまで目を通していた。
くっそ。読みすぎも良し悪しだな。
「で、俺はどうしたんだ?」
「はい。し、失魔症で、倒れられて……」
「失魔症?」
ラドクリフの記憶には無い病名だ。六歳か。病名など知らないのは仕方ないのか。
尋ねればティリーはなんの疑問も無く教えてくれる。
◇◇◇
失魔症とは魔力が体内から完全に失われ、生命維持に支障をきたす状態を指す。
この世界の人間は皆魔力を持ち、その魔力を常に体を循環させている。
成長に伴い、体内で作られる魔力が代謝で消費される量を上回るようになるのだが、このバランスの変化は、おおよそ六歳前後で起こる。そしてこの時期に魔力が過剰に蓄積されないよう、魔力を体外に放出する器官が発達する。
この排出器官が、体内の魔力バランスを維持する重要な役割を担っているのだ。
しかし、この器官が初めて開かれる際には、通常は大人の指導のもとで排出器官を開き、魔力を安全に放出するように誘導するのだが、稀に暴走的に魔力を放出してしまうことがある。この暴走が原因で、体内の魔力が枯渇し、失魔症が発症するのだ。
排出器官が成熟するにつれて、こうした危険性はなくなる。そして、その排出器官から出す魔力を利用して、人は魔法を使う……。
◇◇◇
そう、魔法だ。俺は話を聞きながら思わずニヤッと笑ってしまう。当のティリーは俺の笑顔に「ヒィッ」と後退りしていたが……。
失礼な。
……で、その時の身体的ショックで俺の記憶が目覚めたということなのだろうか? それとも融合や乗り移り的なものなのかもしれないが……。
しばらく黙り込んで状況を整理していると、心配そうにティリーが聞いてくる。
「だ、大丈夫ですか?」
「大丈夫。うん、パパとママに僕が目を覚ましたって伝えて来てくれる?」
「は、はい」
記憶に沿って「パパ」「ママ」と言ったが、ちょっと恥ずかしい。
ラドクリフの記憶では、母親は自分のおしゃれや、セレブ仲間との付き合いに夢中で、父親は家庭に無関心な仕事人間。そのためラドクリフは親からの愛に植えていた。
それでも俺が三日ぶりに目を覚ましたという報告には、両親ともに珍しく笑顔をみせていた。
なんとなくそんな姿をラドクリフ少年に見せてやりたかったなと思ってしまう。
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