ニンジャガール、デビュー

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「ここか……」

 黒いフォーマルスーツに身を包み、タイトスカートを穿いたシラヌイが三階建ての古びた建物を見上げる。

「日中はここで事務員として過ごして情報を収集し、夜にマフィアを狙う……シンプルだが効果的だな。まさか、平凡な事務員が刺客だとはマフィア側も思うまい……」

 シラヌイは腕を組んで頷きながら呟く。

「……入るか」

 シラヌイは建物に入る。一階はよくあるオフィスの雰囲気だった。皆出払っているのか、オフィスにいるのは一人だ。その一番奥の席に座っていた褐色で妙に体格の良い女性に声をかける。

「こんにちは」

「うん?」

 新聞を読んでいた女性は、新聞を下げ、シラヌイに視線を向ける。シラヌイはゆっくりと歩み寄り、自らの胸に手を当てて、自己紹介をしようとする。

「はじめまして、私の名前は……」

「ああ、来たかい、待っていたよ」

 女性は新聞を置いて立ち上がる。女性ではそれなりに長身であるシラヌイと同じくらいの背丈だが、体型は倍ほど違う。シラヌイは内心戸惑いながら、自己紹介を続ける。

「ハナコ=サトウです」

「名前はどうでも良いさ」

「どうでも良い?」

 シラヌイは首を傾げる。

「チーノ(中国人)かい?」

「いいえ、ハポネス(日本人)です」

「そうかい、それは都合が良いね」

「都合が良い?」

「出来れば日本人が良いと思っていたんだ。アンタが応募してきてくれて良かったよ」

「はあ……?」

 シラヌイは小首を傾げる。日本人が良いと思っていたというのはどういうことだろうか? この会社は日本の企業と付き合いが多いのか? そんな情報は無かったはずだが……シラヌイが不思議そうにしていると女性が声をかけてくる。

「こっちに来な。地下に行くよ」

「地下?」

「ああ」

 女性が階段を降りていくので、シラヌイがそれについていく。

「地下があるとは……うん⁉」

 地下に降りたシラヌイが目を丸くする。そこにはリングがあったからだ。女性がリングに上がり、シラヌイに告げる。

「そんな恰好で来るなんて、日本人は真面目だね。そこの隅で着替えてきな。衣装はこっちで用意してある。着替えたらリングに上がりな」

「リング……?」

 シラヌイが首を捻る。女性が続けて説明する。

「どれくらい動けるか見てみたい。動き次第では、早速今夜からデビューだ」

「デビュー……?」

「ああ、アンタはリングネーム……『ニンジャガール』としてウチの興行に出てもらう」

「!」

 シラヌイが驚く。

「どうかしたのかい?」

「メキシカンスタイルのプロレス……『ルチャリブレ』というやつですね……?」

「なんだい、今さら? 分かっていてきたんじゃないのかい?」

「いえ、一応確認を……」

「まあいい……アンタはルチャドーラとして活動してもらう。当面はルードだが……活躍次第ではテクニコになれるよ」

「ルード……ヒール(悪役)、テクニコ……ベビーフェイス(善玉)……」

 シラヌイはぶつぶつと呟く。

「他になにか?」

「……ルチャドーラとして活動するには資格が必要になるのでは?」

「意外と詳しいね……その辺はどうとでもなる。アタシはこの業界長いからね。色々と顔が利くんだ。アンタが気にしなくても良い」

「何故私を?」

「マンネリ気味だったからね。東洋人でも入れようかという話になったんだよ」

「ふむ……」

「納得いったかい?」

「ええ、着替えてきます……」

 シラヌイが部屋の隅にある着替えスペースで、着替えて出てくる。ピチピチの黒いレオタードで赤い縁が入っている。ハイソックスも併せて穿いており、腋と太ももが露出している。

「なかなか似合っているじゃないか……ほら、リングに上がりな」

「……失礼します」

「さあ、とりあえず好きなようにかかってきな」

「では……」

「⁉」

 シラヌイがあっという間に女性を組み伏せ、腕の関節を決める。

「……」

「ま、参った!」

 女性がシラヌイの体をポンポンと叩く。シラヌイは技を解いて、すくっと立ち上がる。

「………」

「引退したとはいえ、アメリカでも鳴らしたアタシを一瞬でタップさせるとは……こいつは意外な掘り出し物かもねえ……決めた、早速今夜から出てもらうよ」

「…………」

「なんだい、不満かい? ギャラならきちんと払うよ?」

「……いえ、一つだけ条件があります」

「条件?」

「……顔を隠させて欲しいのですが」

「? 日本人はシャイだねえ……その綺麗な顔を隠すのは勿体ないよ」

「ルチャリブレならば、覆面レスラーはそう珍しくはないかと……」

「そうは言っても、こっちも商売だからねえ……顔の下半分ならどうだい? その切れ長の目は印象的だからさ……綺麗な中にも殺気みたいなものを漂わせている……」

「良いでしょう」

「決まりだね、アタシはマリア。よろしくね、ニンジャガール」

「よろしくお願いします……」

 シラヌイはマリアに対して丁寧に頭を下げた。その夜……。

「さあ、本日の前座試合! 期待の新鋭、『マロムヘール』と、東洋からの刺客、『ニンジャガール』の対決だ!」

 リングに上がったシラヌイは相手と対峙する。シラヌイとは対照的に真っ白なレオタード姿である。ゴングが鳴らされる。

「ヒャッハー!」

「‼」

 マロムヘールが口から霧を吹き出す。毒霧戦法だ。虚を突かれたシラヌイは顔を覆う。

「へへっ!」

「ぐっ⁉」

 マロムヘールがシラヌイの腹を思い切り蹴る。シラヌイの体がくの字に曲がったところにチョップを繰り出す。

「そらっ!」

「うぐっ⁉」

 チョップを顔面に食らったシラヌイはリングから落ちそうになる。

「大丈夫かい⁉ ニンジャ!」

 セコンドのマリアが声をかけてくる。シラヌイが呟く。

「まさか毒霧とは……」

「新鋭だとは聞いていたが、テクニコ志望というよりはルード志望だったみたいだね……」

「悪玉同士なら……」

「え?」

「好きにしてもいいのだろう?」

「あ、ああ……所詮は前座の試合だからね……」

「分かった……」

 シラヌイが立ち上がる。マロムヘールが笑う。

「へへっ、そのままおねんねしていた方が良かったのに……」

「極力目立ちたくはないが……負けるというのも癪に障るのでな……」

「あん?」

「はっ!」

 シラヌイが一瞬でマロムヘールとの距離を詰める。

「ちいっ!」

 マロムヘールが口から霧を吹き出す。

「行儀が悪いな……」

 シラヌイが両手を合わせると、霧が燃え上がる。

「⁉ ぬおっ⁉」

 自らの目の前が燃えたことに驚いたマロムヘールが思わずのけ反る。

「隙あり……!」

「⁉ がはっ……!」

 のけ反ったところにシラヌイが豪快なドロップキックを食らわせる。キックを食らったマロムヘールは仰向けに倒れて動かない。レフェリーが告げる。

「ニ、ニンジャガールの勝利!」

 レフェリーがシラヌイの右手を取って、高々と突き上げる。試合会場が歓声に包まれる。それから数時間後……。忍び装束に身を包んだシラヌイがある男たちを追い詰めていた。

「ま、待ってくれ!」

「……待たない」

「俺には愛する家族が……!」

「貴様らマフィアに家族を引き裂かれた者もいるのだ、虫の良いことを言うな……」

「ちいっ! それなら殺してやるよ、マシンガンの餌食になりな!」

「……この場におびき寄せられたか……かえって好都合だ……ふん!」

「ぐあああっ⁉」

 シラヌイが口から噴き出した炎によって、男たちが火だるまになる。

「火遁の術を口から放射する……その発想は無かった……プロレスも悪くないかもな……」

 白煙を吐き出しながらシラヌイが呟く。

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