*5
「お茶淹れるね」
全部のラケットに縦糸を張り終えたひかりがそう言って部屋を出て行く。私は黙々と横糸を張り続ける。間もなくひかりが紅茶の入ったポットとお菓子を載せたトレイを持って戻ってくる。
「お茶冷めちゃうよ、休憩したら?」
「うん」
私は最後のラケットに横糸を通し始めたところで休憩することにした。
「わー、おいしそう! これなんてケーキ?」
トレイには紅茶のほかにケーキが2つ載っていた。
「こっちがガトーショコラでこっちがレアチーズケーキ。さなえはどっちがええ?」
「うーん、じゃ、ガトーショコラ!」
ひかりがガトーショコラの載った小皿を私に渡してくれる。
「そうだ! この前のバドミントン世界選手権決勝の試合をテレビで放送したやつ見る?」
「見たい! 私その前半のとこ見れなかったんだよ」
2人で日本ペア対ベトナムペアのダブルス決勝の試合の録画を鑑賞することになった。ちなみにバドミントンの試合は1ゲームは21点先取で5ゲームマッチ、3ゲーム先取した方の勝ちとなる。
ベッドを背もたれにして紅茶の入ったカップを持ち私とひかりは床に並んで座った。2人の距離は肩がぶつかるくらい近い。私の右横に座ったひかりの左手が私の左肩をそっと抱く。私は私より少しだけ高いひかりの肩に頭をもたせかける。
目はバドミントンの試合を追っているがすでにその内容は見ていない。目に映っているだけ。ひかりの息使いを耳の近くに感じて私は小さな声で呟く。
「ひかり、好き」
「私も好きよ。さなえ」
2人とも紅茶のカップを持っているからキスはなし。まだ。
そう言えば、ひかりと初めてキスしたのもこの部屋だった。ひかりの部屋はあの頃とあまり変わっていない。あのときは2人で何をしてたんだったっけ…… 忘れちゃった。だって初めてひかりの部屋に招かれてドキドキしっぱなしだったから何を話したのかも憶えていない。ああ、確か誰だったかの画集を広げてたような気がする。本を挟んで向かい合って、どちらからともなく顔が近づいて自然に唇が重なった。
「そう言えばもうすぐインターハイ予選が始まるね」
ひかりの言葉ではっと我に返った。
「あ、うん。私ら団体戦にも出れるかなあ」
「出たいけど私らより強い先輩いるし、選ばれへんのとちゃうかなあ」
「そんなんやってみんと分からんやん。でもうちらの部って代表を選抜試合で決めるから公平でいいよね」
「3年生優先ってことはないからね」
「でも3年生に勝っちゃったら気まずくならないかなあ」
「ずっとこのやり方でやってきたみたいだし、大丈夫じゃないかな」
団体戦はダブルス2ペア、シングルス3人で構成される。ダブルスのメンバーがシングルスに出場しても構わないから1チームが7名とは限らない。
ちなみに私とひかりは中学3年生だった昨年出場した全中(全国中学校体育大会)の女子ダブルスでベスト8に残った経験がある。今の部でもダブルスならたぶん先輩にも引けは取らないと思う。ちなみにひかりはシングルスも強い。
そんなとりとめもない会話を交わしている間に紅茶を飲み終え、今度こそ私たちは唇を重ねた。
「あ…うん…」「う…ん…」
長いキス。ひかりからはさっき彼女が食べたレアチーズケーキの味がする。ひかりも私が食べたガトーショコラを味わっているのかな。キスするから生クリーム使ったケーキじゃなくてよかった。もしかしてそこまで考えてあのケーキを選んだのかな。キスしながら私は頭の中でそんなことを考えていた。
これ以上唇を重ねていたら歯止めがきかなくなる。お互いに名残惜しそうに唇を離す。その途端TVから流れ出す歓声が急に大きく耳に届いて夢のような甘い世界から現実に引き戻されてしまった。
「さてと、残りの1本やっちゃおうかな」
気持ちを切り替えるように私は作業中のラケットを取り上げた。
私たちはまだお互いにキス以上の関係になることを無意識に避けている。もしかしたら恐れているって言った方が正しいかもしれない。自分でもよく分からない。もしひかりに求められたら私は拒否しない、と思う。でもひかりは一度もキス以上のことを求めて来ないし私から求めたこともない。もう高校生になったんだし別にいいんじゃないのって頭では思うんだけど……
最後の1本を仕上げたときまたキスした。何回もキスしてると段々と気持ちが盛り上がってきてしまう。そろそろ歯止めが効かなくなりそう。外はもう夕暮れ時だ。
「私、そろそろ帰るね」
本当の気持ちに強引に蓋をして私はそう告げる。
「そこまで送る」
私たちは自転車を押して歩き出す。住宅街を抜けて大通り手前の商店街まで来た。人通りが多くて2人っきりの甘やかな雰囲気は消し飛んでしまった。
「じゃあ、また明日」
「うん。ばいばい、気をつけて」
「ひかりもね」
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