賤ケ岳血戦 1:山中の鬼を破るは難し
新月を一週間後に控えた十二月上旬。
新潟市内にて大妖出現の報が中部ならびに関東・関西管区を揺るがした。
しかもそれが当地の有力退魔師である
この事態に当然五十嵐家が対処に当たるも、初動の遅れから被害を出した上で妖鬼を取り逃がす失態を犯した――
「つまりその大妖の鬼いうんは――?」
件の五十嵐家は他ならぬ葛道
妖鬼となったのは五十嵐家本家のものではないが、故あって逗留していた二級退魔師の青年――先方が管区へ報告した内容は、いかにも苦しい実情をうかがわせるものだった。
これほどの失態の上、葛道家と敵対することになれば、さすがに地元の支持は得られまい。
「はい。ほぼ間違いなく、葛道
「なるほど、義直クンはそないに死に急いでたんやねぇ」
実の弟の顛末を語る姉
声音は平静そのもの、わずかに口角のあがった口元もいつもより細めた目も一見すれば笑みを浮かべているように見える。
だが退魔師であるなら、全身から立ちのぼる怒りと殺気を見落とすことは決してないだろう。
事実、同席している家人たちは事態の深刻さもあって表情は硬く、なかには冬だというのに顔一面に汗をかいてるものさえいた。
「で、行き先は?」
「当初より南西の方角――十中八九で関西、ここ大阪を目指しているものと思われます、到着はおそらく三日か、四日後」
「途中の家はどないしよんの」
「時期が悪いのと妖鬼のルート選びが巧妙でした。
「まぁ冬山と大妖の二連戦はキツいわな」
季節はすでに十二月、北アルプスを横断しようとするあやかしを山中に追うのは退魔師にとっても至難のことである。
ましてその後の目的も行き先も、おおよその検討がついているとなれば道中の家々の腰が重いのも無理のないところだった。
「長野の
「あっこは血の気多いからなァ」
事実ではあるが関西でも、いや日本全国を見ても指折りの武闘派である葛道家にだけは言われたくないだろう。
しかしそんな道理を説くものはいなかった。
「その声も山中で百鬼夜行が形成されたのを確認してからは収まったようです」
強大なあやかしは他のあやかしを引き寄せるものである。
それが雪深い山に道なき道を行くともなればなおさら、減じるものもいないとくれば当然の帰結だった。
「大妖がこの距離を動けばそうもなるわな、さすがの諏訪も手出しできんか」
用意された地図を見ながら、直志は予想される鬼の進路をたどる。
「伊吹山は確実に通りそうやけど、ここで構えんのはどない?」
「滋賀、岐阜両県と管区の境ですから、当家に任せきりにはどちらもいい顔をしないでしょう。人を出すにも標高の高さが問題です。適当ではないかと」
「ほなどっか別ンところ――赤穂ちゃん、
「承知いたしました。それで梅田での
「そやね、ここらで
「良い案だと思います、正直落としどころが難しかった一件ですから、両得かと」
「ほなその方向で進めてもろて」
「承知しました。管区指令局は他家と連携しての対処を希望していますが……」
「新月が近うて戦力借りるには時期が悪すぎるわ。身内のことやし
「ご意向はわかりますが、危険では」
「どのみちボクが狙いや、負けた時点であっちの目的達成。鬼も鎮まるやろ? それに勝ったところで戦力減らして新月で一般人に犠牲出すんじゃ本末転倒やん」
「――でしたらせめて
「ん~……ま、ボクもすずりちゃんに後からなんで置いてったって恨まれるんはごめんやな。そうしとこか」
勝っても負けてもうるさそうやしな、という部分は飲みこんでおく。
「ほなそれ以外に同行する面子の選抜頼むわ。二級からベテラン一人と若手を二人、すずりちゃんがもし来んのなら三人――」
そう言いかけたところで部屋に振動音が響く。
冷たい目をした赤穂が音の発信源を探すと、家人が預かっていた直志のスマホを持ち主へと差し出した、
「代行、すずり様からのお電話です」
「あいよ、ほなちょいと失礼」
苦笑して直志は、一同に断りを入れて通話に出た。
「ハイハイ?」
『話は聞いた。私も行くぞ、ナオ
「いきなりご挨拶やなあ」
そうして前置き抜きの力強い発言に、苦笑を深くする。
「すずりちゃん、まさかボクに盗聴器とかしかけてへんよね?」
『何の話だ?』
「いや、ちょうどキミの話してたんや。で、一応聞くけど紫雲さんの許可は?」
『ある。むしろ私しか出せないと伝えてくれと、そう言われた』
「ほぉん」
現在進行中の事態は深刻だが、紫雲家には新月期の大阪・堺両市の守護というこれも重要な務めがある。
そして紫雲家家中において、すずりはすでに彼女の叔父である紫雲
直志との関係性を抜きにしても適当な人選だろう。
「ほな一緒に鬼退治と行こか、場所が決まったら連絡するわ。雨天決行、おやつは五百円までな」
『からかわないでくれ』
ぴしゃりとそう言った後、電話向こうのすずりが何事かを言おうとしてはためらう気配があった。
「どないしたん、まだなんや聞きたいことあんの?」
『ナオ兄は――その、大丈夫か? いや、戦力的な不安じゃなくてだな……』
自身でも何を言っていいのかもどかしそうな、不器用な彼女の気づかいに直志は息を吐いて口元の笑みを柔らかなものへ変えた。
「なぁに心配せんでも一流の退魔師なら身内の一人や二人、ぶっ殺しとくもんや」
『さすがにそれは過言だろう!?』
「ククク、ほな当日な。頼りにしてんで」
『まったく……ああ、任せてくれ』
すずりの反応に低く喉を鳴らして笑い直志は通話を切った。
スマホを置き、少し緩んだ口元を撫でる。
「ほな赤穂ちゃん、あと三人選んどいて」
「いえ、わたしが間に合わない可能性を考えて、四人選んでおきます」
それは予想外の申し出だった。
「ほぉん、キミついてこんの?」
「少し確かめたいことがあるので」
「大妖の相手より大事なことってなんやろ」
「人が鬼に転じるほどの怨みにはよほどの執着が必要です。本人に自覚は薄いでしょうが、母の血――雪女の性質は弟にも確実に受け継がれています」
「ほんで?」
自分には理解できない感覚の話だ。
直志は曖昧に頷いて続きを促す。
「それなら今回の転化は新潟に送ったあの娘がきっかけである可能性は高いです。彼女が死んだ、あるいは殺されたと聞かされて自棄になったか――」
いかにもありそうな話ではある。
だからこそ別の懸念があった。
「実際にもう死んどったら? 余計キレ散らかすだけやない?」
「葛道瑞穂は甘い女です、自分で手を汚す覚悟もない。まして弟を守るために命まではったお気に入りの娘となればそうそう無下にはできないでしょう」
「どうやろ、希望的観測並べとるようにも聞こえるなぁ――仮に生きて新潟におるとしてどないすんの」
「庭園との話がまとまり次第、わたしを新潟に行かせてください。例の娘を抑えられれば、妖鬼相手に大きく有利になります」
人質にするまでもなくその存在は戦意には関わるだろう。
あるいは戦う意味そのものさえ消滅するかもしれない、しかし。
「それより赤穂ちゃんに現場で戦力になってもろたほうが話は早ない?」
「わたし一人いなくとも
「夜行つきの大妖相手に簡単に言うてくれるなあ、期待が重いわ――リスクは?
「パパは祖父たちからすれば結局は他人です。でもわたしは血の繋がった明確な身内で、なおかつ今回の狙いは母以外の誰にとっても利がある、折り合えます」
「ほな、最後。リターンは? 勝てへん心配しとるわけやないんやろ」
「鬼を生きたまま抑えられれば、事件について手がかりが得られるかもしれません――それに万一従兄さんが敗れたときの交渉材料にもできます」
直志の敗北さえも計算した発言に、家人の一部に動揺が走る。
それを
実際の指摘に至らなかったのは、ひとえに普段からの彼女の献身と偏愛が周知されていたからこそ、判断に私心がないと見られたに過ぎない。
「決して弟可愛さで言っているわけじゃありません。信じてください」
「――わぁった。赤穂ちゃんの言うことや、信じるわ。理屈もまぁ通るしな」
「ありがとうございます」
直志が承諾すると、赤穂は深々と頭を下げた。
人形めいた顔にもわずかに安心したような色がある。
「ただし、わざわざキミは待たへん。はじまったらアイツは死なす。ええね?」
「はい。必ず従兄さんのお役に立って見せます」
「例の娘ぉもそない言うてこれやし、不吉やなあ。キミまで行方知れずとか困るどころやないで?」
「もしどうしようもなくなったら、ちゃんと従兄さんに見つけていただけるようにしておきます」
「さらに不吉重ねてくるのやめへん? 縁起でもない」
一帯巻き込んで氷漬けにでもしかねない従妹に、苦笑を浮かべた直志は姿勢を崩して冷めた茶に手を伸ばした。
話し合いが一段落したのを察して、家人たちも動きはじめる。
「ああそうや、赤穂ちゃん。庭園には場所が決まったら本番前にちょいやかましゅうするわって断っといて」
「はい。ですが従兄さん、いったい何を?」
「決まっとるやろ? 鬼が迷子にならんよう花火あげたるねん」
翌日、滋賀県賤ケ岳にて雲一つない真昼の空にのぼる一筋の雷光が観測された。
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