幕間 シビュラは囁く

 ランチタイムでにぎわう店内に戸惑いの波が広がっていくのを確かに感じた。

 大きな窓から自然光が差し込む明るいイタリア料理店に、着物に袴の書生風の装いはなるほど異物に違いない。

 それが枯草色の髪をした百八十センチを越える長身とあってはなおさらだ。

 とはいえ葛道かずらみち直志なおしにとってはなじみ深い毎度のことであり、またそれらを少し楽しんでいる向きさえある。

 店員に案内された席では、待ち合わせの相手が読書中だった。

 白いブラウスにミモレ丈のグレーのスカートと、オフィスカジュアル風の服装にショールを羽織った直志と同年代の女性である。

 長い黒髪を三つ編みにして眼鏡をかけた清楚な雰囲気で、白いたおやかな指が一定のリズムでページをめくっていく姿が実に絵になっていた。

 直志が対面の席につきその姿を観察しはじめたのに彼女が気づくまで、たっぷりと五分ほどかかった。

「――葛道さん、いらしてたんですか?」

 ふっと目をあげて直志の姿に気づくと、ばつが悪そうな声をあげる。

「どうも」

「いつからです?」

「なぁにキミが申し訳なく思わんですむ程度しかたってへんよ」

「声をかけてくださればいいのに……」

 恥ずかしそうに言って、女性は本を脇のバッグへしまうと眼鏡を外した。

 飯干いいぼしうい

 関西騒擾そうじょうの際に阪内を担当していた陰陽寮の職員で、二十二歳にして二等セカンド司令員コントロールを務める才女だ。

 直志の軽口をきっかけに、ときおりこうして会食の機会を持つ仲となっている。

「いやあ、あんま熱中して読んどるから邪魔すんのも申し訳ないやん?」

「それが恥ずかしいんです」

 であれば隙間時間に読まずにおけばと直志などは思うのだが、どうにもそれができないのが愛書家という人種らしい。

「まぁまぁボクは嫌な思いしてへんし」

「もう……」

「ちゅうか先に食べとってええのに。こっちゃ早食いも芸のうちやで」

「それも気まずいですよ。というか葛道さんは、そうなったら料理が来るまで私のことを見てるでしょう?」

「そらもちろん、美人は何してても絵になるんが悪いわ」

「悪いのはあなたの趣味です」

 むくれてみせる初に笑みを返して直志は注文のために手をあげて店員を呼んだ。


 そうして食事をしながらのとぎれとぎれの会話は、流行の本や映画の内容――などではなく、主としてあやかし、退魔師にかかわることだった。

 もっとも初は陰陽寮に属するれっきとした国家公務員である。

 その業務に関わることであるから他愛ない世間話でふと漏らした風な言葉さえ、はじめから伝えても構わない――いや、むしろその反応を確かめる意味で渡された情報であるはずだった。

 もっとも初本人にそこまでの自覚はないだろう。

 自分が何を期待されているかは理解しているだろうが、あくまで退魔師と管区指令部がより円滑なコミュニケーションをとるための接触、それくらいのはずだ。

 情報を渡し受け取るものと、それらを精査するものは必ずしも同じである必要はない。むしろ別である方が望ましいくらいだ。

 そして今日の話題は退魔師の等級制度についてだった。

「見直しなぁ、なんや聞いたような聞かんかったような……」

「まだ調整の段階ではあるのですが、現在一級の方々は全員特級に昇格していただき、新たな一級退魔師を現在の二級から選抜するという案だそうです」

「ええのん、そこまでつっこんで話してもうて」

「有識者にご意見をいただくのも大事でしょうし」

「ほぉん。ところでそれあやかしの分類はどないすんの? こっちにあわせて特妖いうたらなんや老人ホームみたいになってまうけど」

「そちらは大妖と中妖の間に準大妖という枠を設ける予定だそうで、実際に私どももそのあたりの境界が対処に悩むところではありますし」

 つまり大妖に抗するのが特級、準大妖には一級があたり、中妖は二級で、が新体制での割り振り、ということか。

「まぁええんちゃう? 実際二級も中妖もピンキリすぎてちょい問題やったし」

「葛道さんにそう言っていただけると安心です。ご負担も減るかと思いますし」

 大妖相手には必須とされる一級退魔師の数は全国で百人超。

 一都道府県に約二人の計算となる。

 四県でわずか一人の四国管区と言う例外中の例外を除けば、一府四県でわずか五人しかいない関西の窮状きゅうじょうが知れるというものだ。

 しかも和歌山と奈良の二人はすでに全盛期を過ぎ、引退も見えている。

 管区指令から見ればこれほど運用に気を使う地域も無いだろう。

「しかしそれやと現一級への駆け込み昇級やらで面倒になりそうやね」

「そうですね。現一級、特級への昇格基準は変わりませんので影響は少ないと思われますが、新一級に関しては公知後に殺到するのでは、と予想されてます」

「ほぉん」

 退魔師は面子も大事な商売だ。

 今までは一級の壁の高さから当主が二級であっても大きく問題はなかった。

 しかし上から三番目の等級となれば少々体裁が悪いだろう。

「まぁ確かに関西ウチは荒れそうやなぁ」

 肝心の八家はっけの現当主は全員が二級、正式な後継の中でも一級は直志だけである。

 これでは八家以外の家に新しい一級退魔師となる当主が頻出しようものなら、求心力にも影響が出かねない。

 そしてまたその可能性は決して低くはなかった。

 八家の中に代替わりを前倒しするところもあるだろう、あるいは後継者の見直しさえもあるかもしれない。

 特に危ういのは、当主陣で最高齢の兵庫塔院とういん家、すでに傘下壬生みぶ家の一級を頼る形の滋賀庭園にわぞのあたりか。

(――山桜桃ゆすらの心労も増えそうやなあ)

 神部かんべ家当主の息子、山桜桃の従兄弟たちも無能とは聞かない。

 だがもし昇級に手こずるようなことがあればますます友人との評価は開くだろう。

(すずりちゃんの婚期が遅れるかもしらんのんは――まぁしゃあないわな。あの子はまぁだ若いしええやろ)

 当人が聞けば激怒必至のことを思いつつ、直志は顎を撫でた。

「ちなみにその案、反対意見は出えへんかったん? じいさん方は嫌がりそうなもんやけど」

 保守的なものはとにかく変化を嫌うものであり、人は加齢とともに思考が硬直化していく傾向にある。

 そして退魔師の特殊な事情の一つに、老齢の術師のほぼ全てがかつて――あるいは今なお強力な存在だということがあった。

 彼らは皆、その生涯においてあやかしと戦い勝利した生き残りなのだ。

 その意見を軽視することはできない。

 直志でさえも八家の現当主たちはともかく、その上の世代と意見をぶつけるには覚悟が必要だった。

「はい、関東の方針が早期に賛成でまとまったのが大きかったようです。あちらで決まってしまえば、他地域も追随する流れは多いので」

「なるほど、さすが雪くんやね」

 関東退魔師の領袖である三代目當間とうま雪之丞ゆきのじょうへの、直志の少々偏った感情は初も知るところだが、今回の賞賛は妥当なものだろう。

「あ、それから式鬼しきの件ですが、数日中には結果をお伝えできるかと」

「ほぉん、思うてたより早かったなあ。こっちとしちゃ助かるけども」

「當間、来島くるしま両当主のお墨付きがありましたから。特に来島家はご夫人のこともありますし」

「いやぁ持つべきものは頼れる知己やねえ」

「実際、関西管区であのクラスの式鬼が登録されるのはかなり久しぶりだそうですよ。担当部署は資料をひっくり返して大変だったらしいです」

「ま、苦労おかけした分は体で払うっちゅうことで――これセクハラならんよね」

「はい。念押しされるとかえっていかがわしく聞こえますが」

「アカン、まーたやぶへびや。ほなデザートでもどない、ご馳走するけど」

「せっかくですがお気持ちだけ受け取っておきます。仕事の話も出た以上、過度の接待になりそうですから」

「しっかりしてはるわ、関西管区指令局は安泰やね」

「それは大げさですよ――ところで葛道さん、内密におうかがいしたいことがあるんですが」

「なんにゃろ。女の子は顔のあとに胸をチェックする派で、好みのタイプやったら不二子ちゃんやけど」

「ご自身に素直なのは伝わりますね。それが好印象になるかは疑問ですけど」

「こら手厳しい。で、なに?」

「実は将来的な陰陽寮独自の実力確保のために、モデルとなる即応部隊を関西管区で試験運用するプランがあるそうなんですが――どう思われます?」


 §


「またぶっこんできたなあ……あ、それこっちですわ」

 運ばれてきたジェラートにまずは一口手を付けて、直志は口を開く。

「人員やら装備の規模は?」

「そこまではさすがに。ただ新月期の各家の主力班を参考にしているとは思われますが」

「ほなまぁ質次第としても多くて二十、ってところか」

 憶測であってもこれ以上を伝えるのは、ということか初は何も答えない。

 もっとも直志としても答えを期待しての言葉ではなかった。

「ん~、横槍抜きで成立して、まぁ実際に活動もできたとして――それでもむずかしいんちゃう?」

「そう思われますか」

「管区直属の実働部隊なら主力は公務員やろ? ほな高給エサに、適当な家から戦力引っ張って来るんは無理筋やな」

「民間協力者と言う形で外部からも戦力は募るようですが、部隊の中核となるのはおっしゃる通りです」

「となりゃ主力は覚醒者かフリーの術者。売りは安定した収入と『世のため人のため』っちゅうお題目――そんなとこか」

 国家護持と民草を守るために戦う。

 それは日本全国で共通する退魔師の理念であり存在意義である。

 冷笑的なものが鼻を鳴らしそうな行いに命をかける家に生まれ育ち、実践している青年はしかしそれを否定するように言った。

「まぁそないお綺麗な動機でやってくにはこの業界はドロドロしすぎとるわ。退魔師なんて言ってまえば元々異常者の集まりみたいなもんやし」

「え――」

 自分が耳にしたことが信じられない、と言うような表情を初は浮かべる。

「あの、葛道さんは退魔師であることが、お嫌なんですか?」

「まさか。ボクは生まれも育ちも退魔の家や、自分自身でそうあることも選んだ。むしろ誇りに思っとる」

「でしたらなぜ……」

「そやな、例えばやけど殉職した警官の子ぉが警察入るんはまぁあるわな。ただそれは本人の意思やし、なんなら周囲に危ない言うて反対すんのもおるやろ?」

「ええ」

 似たような話をニュースで見た覚えがあった初が頷くと直志は続ける。

「でも退魔師はそうやない。ボクらは生まれたときからそうなれ・・・・言われて育てられる。親が死のうが兄弟が死のうがあやかしと戦えってな。抜けられへんわけやないけど、まぁ少数派や」

 直志の声にそのような境遇を嘆いたり、憐れむ響きは無かった。

 ただただ内情を知る当事者の実感と事実を並べ、どこまでもそれを冷徹に分析する客観がある。

「でもあやかしなんて天災みたいなもんやん。一般人なら運がなかったで済んでまう。今のご時世もっと安全な仕事して、日々慎ましやかに生きてくのは簡単や。やのに自分らで望んで命がけの苦労しようなんて『異常』と言う他ないやろ」

 言葉は過激だったが、語られた詳細は論理的である。

 それに胸をなでおろしかけるも、告げられた内容が胸に落ちると初の表情はやはり硬くならざるを得なかった。

「ですから、上手くいかないと」

「人手が欲しいのはわかるけどなぁ、望まれとるようなもんにゃならんやろ。あとまぁ半端な覚悟で力もっとるんは危ないわな。覚醒者も、家から逃げた半端モンもボクならよう仕事は任せられんわ」

「そこまでおっしゃいますか」

「ま、あくまでボクの意見やけどな? ただ鉄くんやたまちゃんの再来を期待すんのは間違いやね。家としての功績がなかろうと、二人は根っからの退魔師や。そこらに転がっとるこたぁない――そう伝えといて」

「はい、貴重なご意見ありがとうございました」

「まぁボクにこない話聞かされる段階まで進んでるんやったら、失敗もせずにやめられんやろうけど」

 即応が求められる関係から裁量も大きいとはいえ、管区指令局も宮仕えの宿命からは逃れられまい。

「それでも早い段階で懸念が示された事実は何かの役に立つかと思います」

「そんなら似合わん話を長々した甲斐もあったわ」

 どこまでも生真面目な初の返事に、懸念が重大な形で当たらないことを願った。

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