さらに戦う娘たち 結:デッド・オア・アライブ

 遠野とおの美冬みふゆ

 それが梅田の地下で大蛇の腹から直志なおしたちが助け出した娘の名だった。

 事件後は命に別状こそないものの覚醒と昏睡を繰り返す状態にあり、事情を聴くこともできずにいた。

 聞けば元々赤穂あこたちの母、葛道かずらみち瑞穂みずほが、義直よしただの従者として連れてきた娘で、家族はすでになく遠縁にあたる瑞穂の実家で家人として仕えていたらしい。

 退魔師としての実力に見るべきところはなく、精々で下の上。

 見目は良いが梅田で見せた忠誠心以外は特筆すべき点も無く、葛道家直系男子の従者とするには能力に疑問符がつくが、これは自尊心の高い義直との相性から、敢えてそういう娘が選ばれたのだろう――

 それが赤穂の見解であり、直志もまた頷くところだった。


 その美冬は葛道邸の一室、布団と介護のためのこまごまとしたものだけが置かれた部屋に見張り兼世話役の家人とともにいた。

 布団から上体を起こした寝間着姿の彼女はいかにもやつれた姿で、部屋に入ってきた直志たちを不安げな表情で見上げる姿は悲痛であった。

 ふと直志は彼女がどことなく、赤穂や瑞穂の面影を感じさせることに気づく。

 果たして義直自身がそれに気づいていたかどうか。

「――代行さま、赤穂さま」

「ああ、ええよ。病み上がりなんやからそのままにしとき」

 こちらの姿を認めて起き上がろうとしたのを制すると、しばし迷ったあとで娘は布団の上で姿勢を正し、深々と頭をさげた。

「私のようなもののために、ありがとうございました」

「君を助けたんはついでの成り行きや。恩に着せるつもりはあらへんよ」

 布団の側にあぐらをかきながら直志は軽く手を振る。

 赤穂が従兄の一歩下がったところに腰を下ろすと、美冬の世話をしていた家人が小さく何事かを彼女にささやき部屋を出て行った。

「は――」

「けどま、一級二人と二級一人でそれなりに骨折ったんは事実や。その甲斐のある話が聞けるなら嬉しいところやね」

「はい。あの、申し訳ございません代行様。その前に義直さまは――」

「ああ、なんやまだ説明されてへんの? 失踪中や。まぁ、多分母親の実家や思うとる。ついてったんか連れてかれたんかまでは知らんけどな」

「そうですか。ご無事、なんですね……良かった」

 直志の皮肉気な物言いを気にした様子もなく、美冬は安堵の息を吐く。

(礼が一番、義直クンのことが二番と――こりゃ望み薄やなあ)

 まるで立場を理解しているようには思えない振る舞いに、側の赤穂がむっとした気配を発しているのを察して直志は苦笑した。

 なるほど機転はききそうにない娘だ、演技もできるとは思えないが義直に不利になることは語りそうにない。

 そもそも、何かを知らされているかも怪しいところで、これはかえって扱いにくかった。

「ほんで、まずあんときなんでキミらが梅田におったかなんにゃけど」

「その、義直さまは私に事前に説明をされることが余りないので……元々は紫雲しうん家からの依頼だとはうかがいました」

「ほぉん、ほな大妖に遭遇した状況は?」

「ええと、いきなりのことだったので。通路から少し広いところに出て――それから不吉な気配がしたと思ったら、もう大蛇が目の前にいました。とっさに義直さまの前に出たところまでは覚えているのですが……」

「義直クンに突きとばされたりしたんとちゃうて?」

「よ、義直さまはそんなことなさいません! ――あ、も、申し訳ございません! 代行様に失礼な口を――!」

「まったくです、気をつけなさい」

「も、申し訳ございません、赤穂様……」

 従妹の声はまさしく絶対零度の冷たさだった。

 美冬は気づいていないようだが、なんならときおり攻撃寸前まで霊気を練っている気配さえある。

 良くないところが出ていた。

「まぁまぁ赤穂ちゃん、そない怖い顔してたらこの子もよう話できひんやろ」

「――従兄にいさんがそうおっしゃるのでしたら」

「物言いがまたかったいなぁ」

 ともあれ義直自身から聞かされていた、この娘が彼をかばって呑まれた、というのは事実のようだった。

 案外に従弟が慕われてるのか、それともこの娘がとびきりにちょろいのか。

「ほな最後に一つ。事件の主犯らしい、退魔師の女がおってな。まぁ当人も食われてもう死んどんにゃけど――事件の前、義直クンが誰かと会ってた形跡は?」

「申し訳ございませんが、私には心当たりがありません」

「ほぉん?」

 それはこれまでと違いまるで用意していたようによどみのない否定だった。

「――ほうか、ほなご苦労さん、起き抜けにスマンかったなあ、ゆっくり休みや」

 言って立ち上がった直志を美冬のみならず、赤穂も驚いたような表情で見上げる

「え? あ、あの、代行様、よろしい、のですか?」

「やってなぁんも知らんのやろ? ほなしゃあないやん、これ以上何聞け言うん」

「え、あ。はい。それは、そうなの、ですが……?」

「隠し事をしているなら、弟のためにもなりませんよ」

「い、いえ。私は何も知りません……!」

 良い警官と悪い警官よろしく、切りこんだ赤穂への反応で確信が深まる。

 少なくとも、事件以前に誰かが義直と接触したのは間違いないようだった。

 引き際の良さを考えると瑞穂の実家を疑いたくなるところだが動機は薄い、単なる母の愛の暴走の可能性も十分にあり得るのが頭が痛い。

「あ、あの代行様。一つお願いをしてもよろしいでしょうか……?」

「――赤穂ちゃん、『待て』や」

 部屋の温度が下がったのを感じて直志は制止の声をあげた。

「はい、従兄さん」

 普段からさらに感情が読めない赤穂の声は、室温よりも冷えこんでいた。

 直志にとって意外だったのは美冬がそれにもまったく怯まず続けたことだった。

「私に、新潟に向かうお許しを。もし、義直さまがご自身の意思であちらにいらっしゃるようでしたら、私がお戻りいただくようきっと説得いたします」

「あなたはもう少し考えて話せないんですか? 弟のお気に入りをみすみす――」

「ええよ、行っといで」

「従兄さん?」

「お、貴重な赤穂ちゃんの驚き顔見れたなァ」

「――あの、代行様。本当によろしいのですか?」

「そう言っとるんにゃけど、なんやアカン言うたが良かった?」

「い、いえ、そんなことは……」

 得心がいかない、といった娘の様子に直志は鼻を鳴らした。

「まぁボクには他の選択肢もある。たとえばキミに力ずくで本当のところを話させること、キミを人質に義直クンを引きずり出すこと、それから直であっちに乗りこんで出てくるまで暴れたること――」

「三つめは事前に相談いただいた上で本当に最後の手段にして下さいね」

「ハイハイ」

 従妹にしては冷たい声での釘差しに苦笑して直志は肩をすくめる。

「なんでそうせえへんか、気になんにゃろ」

「はい。その、私には……」

「別に罠とかとちゃうで? 単にキミらにそこまでする価値がないからや」

「価値が、ない……」

「キミが大したこと知らんのはわかった。義直クンもなにか知っとってもすべてやないやろ。体よく利用されただけっちゅうんはちょい考えりゃわかるわな。で、まぁ今回逃げたことで葛道の家のモンとしては死んだも同然や」

「――」

「やからね。例えばキミが嘘こいて、ここを出たら最後二人で逃避行キメる気でもボクにしてみりゃ大した問題やないねん」

「そ、そんなことは、考えておりません!」

 否定の勢いは少し弱かった。

 隠し事も得意でないらしい。

 おそらく義直を説得したい気持ちは本物、だが義直に逃げることを提案されれば、断り切れない――自分でもそう思ったのだろう。

「ま、本当に連れてこれたらもうけもん。キミが行ってあっちに動きがあって居場所が割れればそれも良し。バックレたときにゃ見つかり次第シバきに行く予定になぁんも変わりあらへん」

「多少、不手際を責められる恐れはありますが……」

「ほなそいつが義直クン引きずってきてくりゃええねん。できもせんことグチグチ抜かすのにつきあっとれるかい。それとも、赤穂ちゃんも反対なん?」

「いえ、従兄さんが積極的・・・に活用なさらないなら、石を投げて反応を見るのも悪くないと思います」

「ほな代行補佐見習いからOKも出たけど、どないしよか」

「――行かせてください。きっと、きっと義直さまに思い直していただきます」

 可能性としては母親に軟禁されていること十二分にありえるのだが、そこが出てこないのは義直の信用がないのか、母の愛を過大評価しているのか――

 ともあれ、この娘には二心はあるまい。

 だからこそ波紋を起こすのに相応しい、なにより失っても惜しくもないのが良かった。

 そんな内心をおくびにも出さず、直志はいつも通りの皮肉な笑みを浮かべる。

「ほな会えたら彼に伝言頼むわ。『アホの母親と縁切って戻ってくんのなら、命だけは助けたる』ってな」

「っ、承知いたしました。必ず、吉報をお届けいたします」

「期待せんと待っとくわ」

 ひらひらと手を振る直志のあとを追うように立ち上がった赤穂が一度振り向く。

「――遠野美冬さん」

「は、はい、なんでしょうか赤穂様?」

「今さらですが、命をかけて弟を守ってくださったことにはお礼を言います。ありがとうございました」

「い、いえ、そんな、私はただ、自分の役目を果たそうとしただけで――」

 頭を下げる主の姉に、美冬は慌てて手を振り首を振る。

 顔をあげた赤穂は対照的に静かなままの表情で続けた。

「その献身が無駄にならないことを願っています――母には気を付けて」

「は、はい……? その、努力いたします……?」


 ――しかしその後、遠野美冬が大阪に戻ってくることはついになかった。

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