さらに戦う娘たち 1:レディ・フォー・バトル

 十二月、スポーツウェアの下に冬用のインナーを着込んだ紫雲しうんすずりがいつものように葛道かずらみち邸を尋ねると、鍛錬用の裏庭では一組の男女が話し込んでいた。

「しっかし赤穂あこちゃん、その格好で寒ないん?」

 いつも通り書生風の装いの葛道直志なおしが、ノースリーブのブラウスとショートパンツに、ミリタリー風のジャケットを羽織っただけの娘に問いかけると、彼女は子供のような仕草で頷いた。

「平気です、わたし雪女なので」

「こないエグい説得力ある言葉もよう聞かんなあ」

「でも従兄にいさんが温めてくださるなら、お言葉に甘えます」

「あー、それはまた別の機会っちゅうことで」

「はい。ではその時を楽しみにしておきますね」

「アカンはっきり断るんやった。迂闊うかつなことは口にするもんやないなぁ」

「ふふ、言質げんちはとりましたよ」

 そのやりとりに血圧が上昇するのを感じつつ、先導していた葛道家の家人に礼を言ってすずりは大股で庭を進んだ。

 ポニーテールが内心をあらわすように左右に揺れる。

「ナオにい

「お、すずりちゃん。今日も時間通りやね、エライエライ」

「私に何か言うことはないか」

「おん? ――あぁ、ちょい髪切った?」

「切ったが違う! そちらは……」

 想い人が自身の変化にちゃんと気づいてくれたことで少々気をくじかれるも、表情を改めて彼の隣に立つ人物に視線を向けた。

 青みがかった銀の髪と赤茶の瞳が印象的な童顔の美女、葛道赤穂のことはもちろん覚えている。

 問題は二人の距離感だった。

 不仲だとは思っていなかったが、かつての認識よりもずいぶんと親密だ。

 それこそ本能が警鐘けいしょうを鳴らすほどに。

「あぁ、そうそう赤穂ちゃんな。こないだからこっちに戻ってきてん」

「お久しぶりです、すずりさん。直接お会いするのは三年ぶり、ですか?」

「ええ、どうもご無沙汰しています」

「アレそない空いとるんや」

「はい。わたしがまだ制服を着た美少女だったころですね」

「自分で言うか?」

「また私の前でイチャつこうとしてないか?」

「いやいや、普通に話しとるだけやろ。ほんでそこで自分も甘えるんやのうて非難に回るんがすずりちゃんの損なところやなあ」

「的確で非情な分析はやめろ。泣くぞ」

「ええけど、慰めんよ?」

「この男は……!」

 普段通りと言えば普段通りの直志の塩対応だが、今日は普段以上にすずりの胸の内を波立たせた。

 深呼吸でそれを抑え込み、その原因へと視線を向ける。

「それで、赤穂さんはどうしてここに?」

「はい。今日はわたしも従兄さんに稽古をつけていただこうかと」

「ほう?」

「あぁ、ちゃあんとすずりちゃんの鍛錬のあとにするから心配せんでもええで」

「そうか」

 ふと頭をよぎった思い付きに、すずりはにやりと笑みを浮かべた。

「――だがいかに赤穂さんと言えどナオ兄と戦いたいなら、まず弟子の私を倒してからにしていただきたいものだな」

「わたしは別に構いませんが」

「典型的なかませ・・・みたいなこと言いだしよったなこの子……」

 直志の呆れるような言葉はあえて聞こえないふりをした。


 §


 庭の長椅子に腰かけて、準備運動をする従妹とはとこを微妙な表情で眺めていた直志は背後から近づいてくる気配に振り返る。

「あ」

 ちょうど肩を叩こうとしていたらしき壬生みぶ唯月いつきは、いたずらがバレた子供のように笑った。

「や、来ちゃった」

「……なんや滋賀はそないに暇なんか? うらやましいなぁ」

 ダークスーツの上にクラシックなトレンチコート、まばゆいばかりの数の呪具で固めた姿は変わらずとも、その中性的な美貌が以前より柔らかく見えるのは情を覚えてしまったせいだろうか。

 あるいはもっと単純に隠すことをやめている豊かな胸のせいか。

「こっちは人手には余裕があるからね。おれは喫緊きっきんの問題に専念しとけってさ」

「なんやねん喫緊の問題って」

「直志の愛人としての活動。主に子作りとか」

滋賀作しがさくの頭ドピンクか??」

「略して愛活あいかつだね」

「おう、不穏な略し方やめぇや」

 くすくすと楽し気に笑ったあと、ごくごく自然な仕草で唯月は直志に頬を寄せてチークキスをした。

 そこで彼女の匂いも以前とは違っていることに気づく。

 なるほど、変化は目に見える所だけではないらしい。

「外人か? こんなんはじめてされたわ……」

「それはいいことを聞いたね。で、これは何の準備?」

「あ~、赤穂ちゃんもボクと鍛錬する言うたら、すずりちゃんが自分を倒してからにせえ言いだしよってな」

「愛されてるねえ」

 言いながら当然のように唯月は直志の右隣りに腰かけると、腕を取って指を恋人繋ぎに絡めてくる。

 わずかに眉をひそめるも、結局直志は彼女の好きにさせた。

「どっちか言うたら親戚のガキどもに構え構えて引っ張られとる気分やわ」

 はとこと従妹であるから、それはまったくの事実でもあるのだが。

「ああ、おれも覚えがあるけど、人で登山しようとするのはやめてほしいよね」

「ホンマそれな」

 直志はもちろん唯月も子供の冒険心を刺激するには十分な上背だ。

 妙なところでシンパシーを覚えた青年たちはしみじみ頷く。

「――で、やらせていいの?」

「良うはないなあ。少なくとも今やらすんはプラン外や」

 だがすずりは言うまでもなく、赤穂も赤穂で葛道の人間らしい気の強さがある。

 そういった思いを込めて直志は肩をすくめた。

「ただすずりちゃんが啖呵たんか切ってもうたからな。あない言われたのをなぁなぁで済ますとのちのちが怖いわ」

「どっちに転んでも遺恨は残る、か。女たらしの罰があたったかな」

「なんでボクのせいやねん、コナかけた覚えないで」

「どうだか――そうだ、なんなら二人ともおれが相手してあげようか?」

「やめーや。お前までマウント取りにいったらいよいよ収拾つかんやろ」

「それは残念。有望株だし、ライバルでもあるし見ておきたかったんだけどな」

 ぽんと刀の柄を軽く叩く唯月の言葉は冗談とも本気とも取れなかった。

 たとえ物腰穏やかに見えようと、戦いを嫌うものが一級退魔師になれようはずもない。向上は競争からこそ生まれるものだからだ。

 わかりすぎるほどにそれを知っている直志は聞かなかったことにした。

「ま、ボクが審判するし、大事にゃならんやろ」

「最中に刺されないように気をつけなよ」

「人の喉笛かっ切った奴の言うことか?」

「――唯月様、お飲み物をお持ちしました」

「あぁ、どうも。ありがとうございます」

「ほな見物は構へんけどお行儀ようしとけよ、ヤジとか飛ばすんやないで」

「要らぬ心配だよ、直志じゃないんだから」

「はン」

 鼻を鳴らした直志は手をひらひらと振って立ち上がった。

 あとには湯気立つカップを手にした唯月と、葛道家の家人が残される。

「――ところで壬生様はお二人のどちらが優勢と思われますか」

「ん? そうだなあ。葛道の人の前だから言うわけじゃないけど、赤穂さんだね」

「なるほど。理由をお伺いしても?」

「単純に現時点での経験と力量差。すずりさんもいずれは一級になれると思うけど……赤穂さんは今でも昇格の目がある」

「さようでございますか」

「それに知っている限りじゃ、多分相性が良くないね。直志も似たように考えてるからあんな渋い調子なんだと思うけど、違うかな?」

「さすがのご慧眼けいがん、感服仕りました」

 大げさだなあ、と唯月が笑みを浮かべたところで鍛錬場の中央に三人が歩み出てきた。

 東西でにらみ合う二人の間に立った直志が、交互に視線をやって口を開く。

「ほなルールの確認な。術・武器の制限なし、基本はなんでもありや。ただ動かれへんところをガチで殺しにかかるのは無し。勝敗は戦闘不能にさせるか、降参するか、ボクが決着ついた思ったらそこで終わり。ええね?」

「ああ、承知した」

「了解です」

 思い思いの返事を返す娘たちは見るだに意欲旺盛おうせいだった。

「私が言いだしたことだが……全力でぶつからせてもらう、赤穂さんも全力でお願いしたい」

「では、こちらからも一つ。わたしは従兄さんほどには優しくありませんのでご注意を」

 赤穂の言葉を受け、少し考える素振りをしたあとすずりが口を開く。

「それはもうつまり血も涙もない殺人マシーンと、そう言うことに……?」

「ちょおひどない?」

「すずりさんは直志従兄さんをそんな風に思っているんですか」

 赤穂の人形めいた瞳がじいっとすずりを覗きこむ。

 気圧されたように少女は少し身を引いた。

「いや、だって基本的に意地悪だし――」

「嫌われ役をあえて引き受ける、誰にでもできることじゃありませんね」

「こう、ちょくちょく言葉で刺してくるし……」

「本質を突いた言葉はときに耳に痛いものです。それも相手に関心を持っていないとなかなかできないことでしょう」

「平気で女子の顔とかお腹を殴って勝ち誇るし」

「訓練なら当たり前では? それに従兄さんは痕が残るような怪我をさせたことはないはずですが」

「ナオ兄! これ洗脳とかしてないだろうな!?」

「言いがかりやめてくれへん? ちょい身内びいきが過ぎとるだけや」

「いいえ、他の方が従兄さんを色眼鏡で見過ぎなんです」

「唯月さん!」

 二人とはまた違った視点と関係性である直志と同い年の女性に向けて声を張った。

 判定を任された彼女は、しばし考えこんだあと小さく肩をすくめる。

「まぁ直志を評して『優しい』という人は多くないだろうね」

「ほら!」

「すずりちゃんホンマにボクのこと好きなん?」

「たとえナオ兄がスケコマシのロクデナシのヒトデナシだろうと好きだが?」

「ククク……酷い言われようやな。いやマジで」

「それにほら、直志自身がそういうのは伝わる人間にだけ伝わればいいってタイプだしね」

「オマエもオマエで後方理解者面やめぇや」

「そう照れなくてもいいだろ」

「うっといムーブしよんなぁ、無敵か? 赤穂ちゃんも無言で『わかる』みたいに頷くのやめよか」

 あっという間に緊張感の無くなった空気に直志は頭をかいた。

 さや当ての原因としてはギスギスされても困るが、弛緩しかんしすぎるのもそれはそれで歓迎できない。

「もうええわ、ちゃっちゃとやろか。こんなぐっだぐだな空気で怪我でもしたらホンマしょうもないわ。すずりちゃんも赤穂ちゃんも用意はええね?」

「ああ」

「はい」

 すずりは鯉口を切った状態で刀の柄に手をかけ、素手の赤穂は拳を握った腕を顔の前にあげ、右半身をやや後ろに引きつつも足の幅を広くとった構えを取る。

 それを見た直志は右腕を前に突き出して、叫びとともに振り上げた。

「ほな、はじめェ!」

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