葛道赤穂の帰還 3:近辺より友来る、ありがたがれや

 兵庫、神部かんべ家。

 関西八家はっけの一つ。

 神戸市内に本拠を構える由緒正しき社家の一族であり、数ある退魔師の中でも術式の大家たいかとして広く知られている。

 そうしてその神部家における当代最高の術者が、当主の甥である一級退魔師神部山桜桃ゆすらだった。

 その彼が幼少からの住まいとする古い洋館を、勝手知ったる様子で直志なおしは進む。

 そうして主人の私室へたどり着くとノックもそこそこにドアを開いた。

「おう山桜桃、調子はどないや」

「――今まさに憂鬱ゆううつになったところよぉ」

 ベッドで上体を起こし読書をしていた寝間着姿の青年が、直志に視線を向けながら高く作った声で言った。

 インナーにピンクをさしたプラチナブロンドの長髪が不自然にならない彫りが深く尖りのある西洋的な顔立ち。

 くわえて直志を越える百九十センチ超の長身、それもきわめて均整の取れた肉体美を誇る傑作彫刻のごとき体形を誇る美丈夫だ。

 威容に反した蒲柳ほりゅうの質さえなければ関西最強の名は兵庫にあっただろう、と一部では評される関西最高の術者でもある。

 そしてまた異性装を好み、両性愛者バイセクシャルであることを公言していることから、保守層からは異端視される存在でもあった。

 品格に注文が挟まることの多い葛道かずらみち家の惣領と不思議とウマが合ったのは、そのあたりで何か相通ずるところがあったからかもしれない。

「さよけ、元気そうでなによりや」

「ちゃんと聞いてたぁ?」

「聞いとる聞いとる。ほい土産、なんやお高いくだもん詰め合わせ」

「あらぁ、ナオにしちゃ無難なチョイスじゃない」

 サイドボードに果物の詰まったカゴを置き、直志は椅子に腰かける。

「ボクは551でええやろ言うたんにゃけど、赤穂あこちゃんにこれにしとけってアドバイスされてん」

「あぁ、あの従妹いとこちゃん。帰ってきてたのねぇ」

「白々しいわぁ、どうせ聞いとんのやろ。ついでに弟の方の行方も教えてくれたらめっちゃ感謝したるで」

「お生憎、コッチの網にもかかってないわよぉ。まぁ、十中八九新潟で抑えてるんでしょうけど」

「せやろな――んで具合、良うないんか?」

「別にぃ、深刻じゃないわよ。周りが大げさなの。アンタも知ってるでしょ」

「そら日頃の行いやろなあ」

「それならナオがピンピンしてるのはおかしいじゃないのぉ」

「なに言うてんねや、ボクほど関西じもとのために汗流しとんのもおらんわ。隣の府民にも見習うてほしいくらいやで?」

「それを自分で言うのがねぇ。お見舞いに来たんだか自慢しに来たんだか」

「なんや、ご不満なら手作りのミックスジュースでも振舞ったろか」

「ソレ、素手で握り潰して作る気でしょお? やめてよきったないわねえ。適当になにか切って食べさせて」

「あいよ。乳母おんば日傘ひがさのお坊ちゃんはこれやからなぁ」

「お黙んなさい」

「へいへい」

 控えていた神部家の使用人から皿とナイフを受け取った直志は、ナシを手に取ると指先でくるくると回して器用に皮をむいていく。

「意外、アンタそんなこともできたのねぇ」

「あやかしの生皮はがすのに比べりゃなんも難しいことあらへんやろ」

「言い方。食欲なくすような話しないでくれるぅ?」

 ハイハイと聞き流して、直志は手際よく切り分けたナシを差し出した。

「で、実際どうなんや」

「実際も何も本当にただの風邪よ、風邪。最近表に出てないのは単にアタシが出るほどの仕事がないだけ」

「さよけ。ならええんにゃけどな」

「――ナオ、アンタ少し変わった?」

「おん? そら『男子三日合わざれば』言うやろ。ボクはここ二か月で二体も大妖とやっとんのや。変わらん方がおかしいわ」

「そう、かもしれないわねえ――でもそこは素直にアタシのことが心配だとか寂しかったとか言ってみたらぁ?」

「アホか。まぁお前にまで引っ込まれたら仕事量えぐなるんは心配やけどな」

「もうちょっと上手く人を使いなさいよ、手が足りないことはないんでしょお?」

「その辺はおいおいな、幸い戦力にゃアテ・・がないこともないし」

「ふぅん? まぁ率先垂範そっせんすいはんは世の習いだけど、アンタの家はちょっと徹底しすぎなのよねえ」

「大叔父の話じゃ祖父じいさんもそうやったらしいし、こらもう血ィやな、血ィ。しゃあないわ」

 皿からナシを一切れ自分の口に放り込んで、直志は満足げに頷いた。

「あとな、ボクも関西こっちじゃちょい強うなりすぎた。もうオマエくらいしか本気の修行にならへんねん。はよう元気になってくれや」

「なぁにアタシの体が目当てってわけぇ?」

「お前が巨乳美女になったら考えたるわ」

「おバカ」

「おう、アホはええけどバカはやめえや」

「そもそもアタシとしてはアンタの相手なんて疲れること、調子がいい時でも遠慮したいんだけどぉ」

「ええこっちゃ、そんだけ効果的ってことやな」

「徳島なら日帰りでもいけるでしょお、黒須くろすのお嬢さんに頼んだら?」

 四国最強の一級退魔師、黒須珠緒たまおは直志もまんざら知らぬ仲ではない。

 だからこその山桜桃の言葉だったが、提案された側の表情は渋かった。

「珠ちゃんなあ、こないだちょい怒らせてもうてん」

「何したのよ、セクハラ? やめなさいよねぇ」

「違うわアホ。ただなぁ、正直心当たりあらへんねん。見当違いの謝罪になった日にゃ余計こじれんのわかりきっとるし」

「どうせデリカシーのない真似したんでしょ、一回くらい刺されといたらぁ?」

「刺されるどころかこないだ唯月いつきにバッサリやられたばっかやで」

「――ちょっとそれ、言っちゃっていいの? 葛道の代行殿」

 声のトーンを落とした山桜桃の言葉を、直志は手を振って否定する。

「かまへんわ。大体んところはつかんどんのやろ? そもそもヨソさんにゃ価値も意味もない話や」

庭園にわぞのは気が気じゃなくて胃が痛いんじゃない、可哀想にぃ」

「いちいち他人の機嫌うかがわにゃアカンとか弱いんは悲しいこっちゃなあ」

 ハァとため息を吐いて山桜桃はかぶりを振った。

「ナオ。どっかで滋賀から貸しを取り立てなさい。それで向こうも少しは気が楽になるでしょ。あんまり追い詰めてもいいことないわよ」

「おう、ほな琵琶湖取り上げて隣の気取った府民ごと泣かしたろ」

「そこまでやれって言ってないわよ、おバカ」

「ただの冗談やんけ、口の悪いやっちゃなあ」

「アタシの口が悪いとしたら多分誰かさんのが移ったせいねぇ――あぁ、そうだ。そう言えばいつだかの貸し。今度返してもらっていいかしらぁ」

「ええけど、なにさせる気ィかは先に言うとけよ。準備ってもんがあるんや」

「さっきアタシをいきなり修行につきあわせようとしといてソレぇ? アンタならいつでも準備ができてることだから平気よぉ」

「ほぉん、ほな誰を泣かしたればええん?」

「泣かしてほしいわけじゃないけど。大妖を討伐したその力、アタシの部下に見せてもらえるかしらぁ」

「そらかまへんけど、お前抜きでか? 意味あんの?」

「その辺の説明は本人にさせるわ――じい、杏奈あんな。入ってきなさい」

「――失礼いたします」

 少し声を張った山桜桃の呼びかけへの返事は待ち構えていたように即座だった。

 実際に扉の側に控えていたのだろうダークスーツを着た白髪の壮年男性と金髪の若い女性が姿を現す。

 二人とも主人同様に日本人の典型からは外れる彫りの深い西洋風の顔立ちだった。

「お久しぶりでございます、直志様」

 折り目正しい礼をする男に続いて、女性も頭を下げる。

「ああこらどうも。ご無沙汰しとります、石動いするぎさん。お元気そうで」

 石動いわお

 理知的で落ち着いた外見に反していかつい名前を持つ山桜桃の守役は、衛士えじ隊と呼ばれる神部家の戦闘部隊を率いる腕利きの二級退魔師でもあった。

「そちらのお嬢さんは? なんや石動さんにどことなーく似てはりますけど――もしかして隠し子で?」

「いえ、妹の末の娘でございます」

「なんや、おもんな」

「坊ちゃまと同じことをおっしゃいますね。杏奈、ご挨拶を」

「お初にお目にかかります、葛道様。イグナチェワ石動杏奈と申します」

「こらまた厳つい名字やなあ、スラヴ系やんな?」

「はい、父がロシア出身です」

 一見して堅実、隙は無い。

 しかし当然だが歴戦の伯父ほどではないし――その割に強すぎる自負が見え隠れしている。

(なるほど、こりゃ一遍いっぺん痛い目見といたほうがええわ)

「実は私そろそろ代替わりを考えておりまして、直志様には杏奈の指揮による衛士隊を見ていただければと――」

「ほぉん? まだまだお元気そうやけど……うまいことやったやんけ山桜桃」

「変なかんぐりやめてくんなぁい? じいの推薦を受けただけよ」

「ホンマかぁ?」

「あのねぇ。それを言うならアンタの方こそ紫雲しうん家のもそうだけどぉ、最近よそのお嬢さん鍛えて回ってるらしいじゃない?」

「すずりちゃん以外はボクが選んだわけやあらへんし。それこそお前が言うたやないか、人を上手に使えて。ならまずは使えるもんを増やさんとな」

「ふぅん?」

「であればぜひ、我らにもその機会をたまわりたく……」

「杏奈」

 主人と友人の会話に割って入った姪を伯父がたしなめる。

「は、失礼いたしました」

 数十年前ならいざ知らず、現代においては致命的な失態ではない――非礼であることに変わりはないが。

 友人の口元に苦い笑みが浮かぶのを見て、直志は肩をすくめる。

「ま、やり合うんは構へんよ。友人ツレを守るお人らの手伝いなら友人の手伝いも同然や、石動さんにゃ世話にもなったし」

「ありがたく胸をお借りします。のちほど日取りのご相談をさせていただければ」

「あぁ詳しい話は家にお願いしますわ。従妹がボクの予定組んでくれとるはずやからそっちに」

「かしこまりました」

「よろしくお願いいたします」

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