葛道赤穂の帰還 2:ぶっちぎりでイカれた女
「――ほんじゃ、改めておかえり。
大叔父たち三人が退出したところで、
まだいくらか緊張感のあった先ほどまでとは違い、部屋の空気はゆるんだものになっている。
「はい、ただいま戻りました。お久しぶりです、直志
「元気そうやね」
「ええ、おかげさまで」
その空気に影響されたように、人形めいて硬い赤穂の顔がわずかに綻び、笑みを浮かべた。
「従兄さんもずいぶんと大変だったそうですが、お元気そうでなによりです」
「まぁ大したこっちゃあらへんよ。しっかし悪いなぁ、戻ってきて早々に
「いえ、大丈夫です。大叔父さまも色々とわたしのことを気遣ってくださってのことだって今はわかってますから」
「はぁん、別にあのじいさんそこまで考えてへんと思うけど。お優しいこっちゃ」
「ふふ、従兄さんと大叔父さまも相変わらず仲が良さそうで安心しました」
「それはちょい眼科行くんをオススメするで?」
「そうですか? あ、それからこれお土産です。従兄さんもお好きでしたよね」
「お、登竜門やん。ええね、ほなお茶入れなおしてもろていただこか。赤穂ちゃんも食べるやろ?」
あんこにバターなどで洋菓子風の味付けがされた博多土産の饅頭は、直志の好物だった。
「はい、ご相伴に預かります」
「んじゃ茶ぁと皿と持ってきてもろて――んで、どうやった? 福岡は」
控えていた家人に声をかけて用意をさせながら、話を向ける。
「良いところでしたよ。食べ物もおいしかったですし。
「そら何より」
――ねえさん見習われるんはちょい不安やけどなあ。
父の妹である瑤子は女傑と呼ぶのがぴったりの「欲しいものは必ず手に入れる」と公言してはばからないタイプだからだ。
その影響力の大きさは、甥姪が成人してなお教え込まれた「ねえさん」呼びを本人不在の場でも続けているところに現れている。
「それと大阪を離れている間に、とても大事なことに気づくことができたんです」
「ほぉん? なんにゃろ」
「わたし、パパよりも直志従兄さんとの子供が欲しいんだな、って」
先んじて家人ががちゃんと盆を取り落としたおかげで、直志はふくんでいた茶を吹きださずに済んだ。
§
――退魔師に特有の文化のひとつに初夜権というものがある。
中世欧州に存在したものとは違い、正式に退魔師となる娘が自らの思い人と一夜を共にするための権利だ。
女性退魔師のあやかしによる強姦被害数を考えれば当然の、もっぱら人情によって生まれた制度である。
自由恋愛の現代では半ば廃れた風潮ではあるが、それでも指名があれば男は可能な限りこれに応えなければならない――それこそ妻帯者であっても、だ。
そして
いかに執着心の強い雪女の血を引くとはいえ、めったに聞かない事例である。
直志に次ぐ才と期待されながら、短大卒業を機に大阪からしばし離れることになったのも無理のないところだった――
そんな過去を思い出しつつ、直志は衝撃をお茶とともにゆっくり飲みこんだ。
「――ボク個人としては手放しでは喜ばれへんけど、まあ佳哉叔父は泣いて安心しそうな話やね」
少なくとも従兄妹同士であれば、倫理的にも法的にも問題はない。
果たして赤穂の性癖が改善されたのか、それとも悪化したのかは判断が難しいところだが。
「喜んではいただけませんか?」
「悪い気はせえへんけど、キミの弟のことでゴタゴタしとるしなあ」
実際、悪い娘ではないのである。
身内とそれ以外での線引きが厳しく敵視した相手に酷薄な点を除けば、能力人格ともに評判は高く頭も切れる。
直志自身その才を高く買っており、ゆくゆくは家中で自分の右腕を務めて欲しいと思っていたくらいだ。
ただそれほどの能力があっても、しばし遠ざけずにはいられなかったくらい性癖に難があるだけで。
「そうですか。でも、今の状況もわたしと従兄さんの結婚に障害がなくなった、という点でみれば悪くありませんよね」
「なんでやねん」
これはやはり悪化しているのでは?
耐えきれずに直志は突っこんでいた。
「いえ、あんな毒親を抱えていたら従兄さんが結婚を渋るのもわかるので……」
「赤穂ちゃんとの結婚話なんてした覚えもあらへんし、話が飛躍してんで。なにより確かにアレとはいえ腹痛めて生んでくれた母親に対してちょいひどない?」
「わたしがパパを愛してるのは血のつながりでなく人柄に対する敬意からなので、それがない生物学上の母親に思うところは
「合理性のバケモンか??」
「雪女ですから」
「自分の血ぃ便利に使いすぎやろ……」
それも母に由来しているのがさらにひどい話だ。
げんなりした表情を浮かべる直志と対照的に涼しい顔で赤穂は続ける。
「それにですね。真面目な話、わたしと直志従兄さんの子となればかなり将来への期待値高いと思いますけど、いかがでしょう?」
ずいと直志にむかって身を乗り出すと、卓に乗った胸がつぶれて形を変える。
あからさまに過ぎるアピールだが文字通り決して無視できない存在感があった。
「自分の子ぉガチャみたいに言うやん……言うてその理屈なら赤穂ちゃんにはヨソから優秀な婿とってもろたほうが一族的にはのちのち助かるし?」
自らの血でサラブレッドの配合めいた婚姻を行う・行っていた例は退魔師では珍しくない。
そもそも他ならぬ赤穂自身が、そういった要素も加味された見合いで結婚した両親から生まれてきた成功例である。
「――つまり、従兄さんとの子とわかっていても、実子のように愛情と金銭を注ぎ込める都合の良い貢ぎマゾ夫を見つけるか作り上げろと……?」
「発想が邪悪すぎて震えてきたわ。赤穂ちゃんほんまに佳哉叔父の娘?」
「三度のDNA鑑定ではいずれも九九・九九パーセントで親子関係が認められています。ただ残念ながらわたしには半分
「念入りにやっとんなあ。あとその場合、結局血筋の問題解決してへんやん?」
「でもわたしの子でしたら、従兄さんの本妻の子ときょうだいで結婚するとなればきっと喜ぶと思いますけど?」
「やから
「ふふ、雪女ジョークです」
「どっからどこまでがは怖いから聞かんどくわ」
「はい」
「『はい』やないんにゃけどな?」
終始真顔の赤穂の冗談は極めて判別が難しい。
また彼女自身がわかってそれをネタにしている節があるのでなおさらだった。
頭痛をこらえながらも、口直しに菓子に手をつけ、茶をすすった。
「――今更やけどそういや赤穂ちゃんってなんで
「弟は母の担当だからですね」
「そない言うたらそもそも佳哉叔父が嫁の担当ってことにならへん?」
「なりません。パパはわたしのパパなので」
「なんで??」
「それと弟は少しおかしいんです。わたしが誰に抱かれようと関係ないのに、従兄さんを困らせて」
「まったくの正論やのにキミが言うと面白くなんのズルいなぁ……」
「そうですか?」
とすまし顔の赤穂に、よせばいいのについつい直志は地雷を踏んでしまった。
「やって赤穂ちゃん高校なっても佳哉叔父と風呂入ろうとしたんやろ? そら心配にもなるんちゃう」
「あれはそれ以前に『中学生になったから』と断られた経緯があったので、高校入学で変わったか確認しようとしただけですよ」
「そこら辺は普通不可逆的変化やし、肝心の入浴しようとした事実が否定されてへん――ちょお待ってもしかして小学生の間はずっと一緒してたん?」
「はい。高学年になってからパパにはかなり渋られましたが……」
直志の記憶が確かなら、赤穂はごく一般的な時期に性徴が始まり、小学校卒業前にはもう明らかにブラジャーが必要なレベルで胸が存在していたはずだった。
本家の風呂は複数人が同時に入る余裕はあるが、それでも絵面がひどい。
「キッッッッッッッツ! いや、身内のそういうん生々しくてキッツいわ!」
いまさら二人に隔意が生まれるほどではないにしても、キツい以外の感想がない事実に思わず叫ぶ。
「従兄さんの反応が正常ですよね。それなのに弟ときたら自分も一緒になんて言い出して、実の姉に性欲を向けるなんて気持ち悪い……」
「棚上げ上手すぎひん? なによりもまず赤穂ちゃんやろ」
「少々行き過ぎていたかもしれませんが、わたしは普通のファザコンの範囲です」
「――なるほど、ボクごときでは理解の及ばん
「お時間さえ頂ければ詳しく説明しますけど」
「いや、遠慮しとくわ。頭痛なりそうやし。しかしそうかあ、義直クンは義直クンであかんタイプのシスコンやったんやな……知りたくもなかった事実やわ」
「――ふふ、やっぱり従兄さんと話していると帰ってきたんだなって安心します」
「今そないええ話しとった?」
「ええ。従兄さんはしっかりわたしの話を聞いてくださいますから」
「まともな話してる分にゃみぃんな聞いてくれるはずやけども」
さして長い間話しこんでいたわけでもないのに、やたらと喉が渇いていた。
空になった湯呑を家人へと手渡す。
「お茶、おかわりたのんますわ。赤穂ちゃんは?」
「はい。わたしもお願いします」
しかし表情の読みづらい人形のような童顔に、ほんのりと喜色をにじませる従妹を見るとどうしても追及の手は緩んでしまう。
思い返せばそのあたりも、彼女を外に出した理由だったのかもしれない。
佳哉や義虎のことを甘いだなどとあまり言えたものでもなかった。
「――ま、帰ってきて早々長話んなってもうたけど、赤穂ちゃんの部屋は持ち出したもん以外はそのまんまのはずや。今日はもうゆっくりしとき」
「はい、ありがとうございます。従兄さんはこれからお出かけですか?」
「うん。ちょい
「かしこまりました」
お茶を飲み終え席を立った自らに続くように立ち上がった従妹に、直志は眉をあげる。
「もしかしてついてくんの?」
「いえ、玄関までお見送りしようかと……ダメですか?」
首をかしげる仕草に、そう言えば幼いころすずり以外にも自分の後ろをついてきていた娘がいたことを思い出す。
だるまさんが転んだでもしているつもりだったのか、直志が振り返ると途端に動きを止めていた小さな従妹の姿を。
「んにゃ、構へんよ。好きにしいや」
「はい」
ほのかに喜色を浮かべる姿に、変わらんなあと知れず口元が緩んだ。
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