第三章 カズンズ・ストライクス・バック

葛道赤穂の帰還 1:葛道会議

 冬、大阪は吹田市、葛道かずらみち家本邸の二十畳あまりの大きな和室で、古風にも火鉢で暖をとりながら五人の男女が卓を囲んでいた。

 上座には白髪頭の小柄な老人がくつろいだ様子で構え、対面する枯草色の髪の青年――当主代行、葛道直志なおしはそれに呆れたように顔を歪ませている。

 彼の隣には年齢には不似合いな若白髪の中年男性、当主代行補佐である叔父佳哉よしやが悲痛な表情で座しており、その下手しもてに二十歳前後に見える娘がこちらも美しい姿勢で正座していた。

 青みがかった銀の髪に赤茶の瞳、可愛らしいという形容が似合う童顔は表情の硬さのせいで人形めいた印象を与える。

 顔立ちの幼さに反して長身の体はきわめて肉感的で、特にブラウスが内からはち切れんばかりの胸が地味なスーツを着てなお目を引く娘だった。

 名を赤穂あこ。佳哉の長女である二級退魔師だ。

 九州に嫁いだ叔母の元へ修行の名目で出されていた娘が、本邸の敷居をまたぐのはこの春以来のことだった。

 その佳哉・赤穂親子の対面には佳哉と同年代の中年男性が座している。

 線の細い顔立ちの者が多い葛道家の中で、珍しく四角い顎をした厳つい彼の名を龍臣たつおみといった。

 直志には従叔父いとこおじにあたる、こちらも二級退魔師である。

 当主直行なおゆきを除いた現在の葛道家の中核を為す面々が一堂に会していることが、この集まりの重大さを表していた。

 まず口を開いたのは佳哉である。

「――さて本日お集まりいただいたのは義直よしただの失踪により、葛道本家に先日の梅田地下騒乱に関与した疑いがかけられている件と、私の進退について話しあいを――」

「進退言うてもな、お前以外に代行補佐できんのもやりたいんもおらへんやろ」

 くぁ、とあくびをしながら白髪の老人が話の腰を折る。

 葛道義虎よしとら一級退魔師。

 直志の大叔父であり退魔師としての師でもある。

 現役時代には全員が腕利きの一級退魔師「葛道三兄弟」の末弟として名を馳せ、兄たち亡きあとも長く葛道家を支えた人物だった。

 直志の当主代行就任を機の引退後も、相談役として家中に影響力を残す老人はその皮肉気な表情が弟子である大甥とよく似ていた。

「そういうわけにもいきませんよ、相談役」

 佳哉が苦笑いを浮かべながら首を横に振る。

「ま、ボクも正直同意見やけど、佳哉叔父が示しがつかんっちゅうのもわかる。せやから将来見越して当面は赤穂ちゃんに代打で働いてもらお思いましてん」

「おう、そらええわ! 赤穂なら上手くやるやろ。なにせオレらとは頭の出来がちゃうもんなあ、なあ?」

 直志の言葉に義虎は一転して緩んだ表情を浮かべ、大姪に声をかけた。

 恐縮するように一礼する赤穂は、少し返答に困った様子である。

「義虎大叔父おじ、アンタまさか昼から飲んどるんか?」

「アホウ、素面や。それより赤穂。なんや困ったら遠慮なくおっちゃんに言うんやで? 直志は喧嘩くらいでしか頼りにならへんからなあ」

「ウッザ。赤穂ちゃんハッキリ言うたってええで、スマホもロクに使えんじいさんに頼ることないわって」

「はン、お前もどっこいやろ。機械音痴がよお」

「ハァ? スタンプ爆撃しかできひんジジイが何言うとんねや。ボクは体質でよう持てへんだけや」

「オォン?」

「なんや?」

 一触即発の不穏な空気にそれまで沈黙を保っていた赤穂が静かに口を開く。

「――従兄にいさんも大叔父さまも、ありがとうございます。未熟者の身ゆえお二人を頼りにさせていただくかと思いますが、よろしくお願いします」

 声量は控えめながらよく通るその声に、直志と視線をぶつけ合っていた義虎が一転して好々爺然とした笑みを浮かべた。

「おうおう、どーんと任しとき」

「はぁ~~若い子ぉにデレデレするじいさんホンマキッツいわぁ。人間こうはなりたないで」

「ハ、男の嫉妬はみっともないでぇ直志」

「今ので嫉妬するところあったか?」

 大げさに肩をすくめて直志は隣の叔父に視線を向けた。

「佳哉叔父、ちゃっちゃと本題お願いします。このじいさんの茶々入れにつきおうてたら日ィ暮れてまうわ」

「あぁ、わかった」

 いかにも人のよさそうな――それゆえに苦労も多そうな笑みを浮かべて佳哉はうなずいた。

「まず八家はっけへの対応方針ですが、梅田の一件が何者かの攻撃・・であったのは明白。再発防止の対策は当然講じるとしても、我々も被害者であるという方向で主張します。これは紫雲しうん家とも調整済みです」

 佳哉の説明に反応がイマイチ薄いのは三人が――下手をすれば娘の赤穂を含めた全員がいざとなれば実力で黙らせれば良いと考えているからだった。

「まぁ、大蛇自体はボクらが地下で仕留めとるし被害もでてへん。基本は『お騒がせしてスンマセン』で済む話やいうことで。特に陰陽寮が直接の被疑者にパス渡しとる弱みもあんし」

「阪内の家々はおおむね事態を静観。不満のほどはわかりませんが、どこも大事があれば直志に頼らざるを得ない現状、あえて糾弾に回るのは考えにくいかと」

「なんでまぁしばらくは他県の厄ネタに骨を折って手打ちってところやな」

「――それはあくまでウチの自発的な協力の申し出の形で、ですね?」

「せやね」

 赤穂が説明を引き出すように言ったのに直志が頷く。

 義虎がにやにやと笑みを浮かべながら口を開いた。

「その話の出どころ、神戸やろ」

「そっちも正解」

「ハ、いかにも塔院とういんの言いそうなこっちゃ。あっこはずーっとそうや、手ぇ貸してほしいんやったら素直にそう言やええのをつまらん見栄はりよって。頭下げたら死ぬ思うとんちゃうか」

「大した腕でもないんになあ、もう何代も山桜桃ゆすらんとこのが格上やろ」

「ホンマにな」

 師弟でもある大叔父と大甥はそろってくつくつと喉を鳴らす。

 つい先ほど互いに憎まれ口を叩いていたとは思えない息の合い方だった。

「相談役も代行も、どうかそれくらいで」

 佳哉が肩書で二人をたしなめる。

「はいよ――んでまぁヨソさんはそれでええとして問題は義直クンにゃけど」

 携帯を家に残したまま行方知れずと、表向きはそうなっているが、彼を溺愛する母瑞穂みずほが新潟の実家で平然と構えているのだから語るに落ちている。

「それなんだが、直志。諸々が片付き次第、まず一度私があちらへ出向こうと思うんだ。義直は私の息子でもある。まずいことには……」

「ボクは反対やなぁ」

「そりゃあ甘いわ」

「ダメです、パパ」

「やめとけやめとけ」

 佳哉の言を遮って、四人が口々に否定する。

 苦労人の顔が痛々しく歪んだ。

「し、しかし――」

「カモにネギ背負わせて寄越すようなもんや。その上感謝もされへんし」

「佳哉の身柄を押さえりゃ、あっちはあとは知らぬ存ぜぬだろ」

「ま、そのままおいしくいただかれんのがオチやなぁ」

 直志の言葉に同意したのは龍臣だった。

 続いた義虎の相槌に、しかりと頷く。

「あれはやるぜ、それで戦争になるなんて考えもしねえでな」

 無論、万一佳哉に手を出せば家と家の衝突は必至。

 両家の規模を考えれば、最悪は管区レベルでの抗争に発展する可能性すらある。

 常識的に考えればそこまではやらない。

 だが今までの瑞穂の行いを考えれば、それでもあり得ないこととは言い切れなかった。

 お嬢様育ちゆえか彼女の見通しはどうにも甘い。

 退魔師じぶんたちの常識で測ろうとするのは危険だ。

「そもそも義直の名づけからあの女の野心は見え見えだった。また実家がそれに大甘と来たもんだ」

 目の前に当人がいるように殺気のこもった目をして龍臣は吐き捨てる。

 葛道家では継嗣と期待される男児の名に「直」の字を使うのが伝統だ。

 多くは当主の長子につけられるが絶対ではなく、また歴代当主には「直」の字を持たないものも存在する。

 しかしここ三代は直鷹ただたか、直行、そして直志と順当に本家の長男に使われており、次は直志の子世代になるはずだった。

 それが二つ年下の従弟にも「直」の字が使われているのは、瑞穂が土壇場で誰に断りもなく出生届に手を入れたためだ。

 くわえて継嗣以外の男子の伝統である「よし」の音のあとに「直」の字を置くことはもはや暴挙としか言えぬものであった。

 礼和の時代、さすがにこれ一つをもって離縁を強いられるほどではなかったが、妻を抑えられなかった佳哉に対して風当たりは今なお強い。

 表向き許されたのは赤穂、義直と続けて優れた子を産んだ母としての優秀さが惜しまれたためである。

 ――もっとも男児を生んだことで生来の気質をこじらせた瑞穂は、これ以上の情の分散は望ましくないときっぱり子作りを切り上げてしまったのだが。

 それを持ち出された佳哉が、元々白い顔を更に白くして頭を下げる。

「その件に関しては面目次第もない限りで……」

「お前を責めてんじゃねえよ。見合いを勧めたばあさんの目利きが鈍ってただけだ――それよりもこうなると俺は直志がいつまでも代行なのも問題だと思うがね」

「おう龍臣ィ、そりゃまた別の話やないか?」

「いいや言わせてくれ叔父貴。もう五年だぜ? 今さら当主就任に文句は出ねえ、言わせねえ――それはここにいる全員も同じだろうよ」

 龍臣の言葉に誰も口を開かない。

 もちろん否定を意味する沈黙ではなかった。

「直行が復帰するならそれもいい。ただいい加減ハッキリすべきじゃねえか。葛道のテッペンは誰なのか、いつまでも宙ぶらりんじゃ他家に舐められる」

「――龍臣にいさんの言うことももっともや思います」

「だったら――」

 勢い込む龍臣を手で制し、直志は頭を下げた。

「ただすんません。ボクの我儘、もうちょっとの間だけ通させてもらいますわ」

「直志、お前よォ……」

 そうして不満そうな龍臣に、いつもの笑みを浮かべて頭を上げる。

「まぁ、それでもにいさんが納得いかんのやったらそん時はブチのめしてでも納得してもらわなアカンけど、どないしましょ?」

「白々しいんだよ直志ィ……!」

「いやあ、心が痛むわあ」

「カカカッ、お前の負けやな龍臣。すっこんどれ」

「叔父貴、いいのかよ?」

「いいもわるいもあらへんわ。今の実質的な頭は直志や、ほんで葛道ウチの家訓はなんや?」

「強い奴が偉い――はぁ、こんなことになんなら、ガキの頃にもうちょい年上を敬うようしつけ・・・ときゃよかったぜ」

「そんときゃその分、お礼参りが盛大になっただけや思いますけど」

「可愛くねえ~」

「むさいオッサンに可愛がられても嬉しゅうないしなぁ」

「へいへい……そんじゃこれだけは聞いとくぜ、代行。お前の従弟の始末は結局どうする気だ?」

 視線を鋭くした龍臣の問いに、直志もまた笑みをひっこめて応えた。

「居場所がわかり次第、それがどこやろうとボクが連れ戻しに行きますわ。知っとること全部吐かせた上で落とし前はつけさせる、これは確定事項や」

「――そうか。腹が決まってるなら何も言わねえよ」

 しぶしぶといった様子で龍臣が引き下がると、赤穂が発言の許可を求めるように手を上げた。

「話を戻しますが、当面はパパとわたしも本家に移ります。対外的には従兄さんの監視下に入る形ですが、お手伝いをするにもこちらが便利ですから」

「赤穂は交渉のため外にも出しますが、私は謹慎の形で屋敷にとどまりますので、連絡はこちらに」

「おう」

「わぁった」

「ほんじゃあ他になにかあれば――よろしい? ほな、今日のところはこれにてお開きで」

 直志が手を打ちあわせたのを合図に、解散の運びとなった。

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