真成編 4:血雨降って地固まる

「ああしんど、なんでボクがこない苦労せなあかんねん」

 ざぶざぶと水をかきわけながら直志なおしは零した。

 肩には気を失ったままの壬生みぶ唯月いつきを担いでいる。

 意識がないとは言っても出血を伴う創傷はなく、元より人狼の血で回復は早い。

 なんなら直志の方が重傷と言えるかもしれなかった。

 しかしこの地を変質させた大蛇が倒れた今、梅田地下ダンジョンは当初の機能を取りもどしつつあるはずだ、どこからあやかしが沸くとも限らない。

 座して助けを待つよりも二人自力で脱出を図る方が手っ取り早く安全だ。

 何より今度こそ完璧に唯月の牙は折った、もはや脅威にはなりえない。

「…………ん」

「おう、起きたかボケ唯月」

 耳のそばで小さな呻きが聞こえたあと、肩の上で柔らかな感触が身じろぎする。

 しばしの沈黙のあと、ぼそりと不満げな声が響いた。

「扱いが悪くない?」

「合理的やろ」

 実際にファイヤーマンズキャリーは、一人で人を運ぶには負担も少なく速度も出せる運搬法だが、唯月のお気には召さなかったらしい。

「女の子の運び方じゃないよ、これ」

「子ぉいう年かいな厚かましい。あとな、こっちゃ痛む肩で運んでやっとんねん。ガタガタ抜かすなや」

「せめて横抱きにするとかさ」

「放り出してええ?」

「なんでコレでモテるんだか……わかった、このままでいいよ」

「なんでそっちが妥協する側やねん。つか起きたんやったら自分で歩けや」

「いや、無理、頭がふらふらしてる、殴られたせいかな」

「奇遇やな、ボクもあちこち切られて痛むわ。良かったなぁボクが紳士で。オマエが男やったら放り捨てとるで」

「紳士の言葉じゃないよね、それ」

 ふう、と聞こえよがしな唯月のため息のあと沈黙が訪れる。

 直志が水を蹴る音だけがしばし響いた。

「――聞かないの? おれがなんで男装してたか」

「それよりワビ入れんのが先ちゃう?」

「ああ、ごめん。痛かったよね」

「かっる。まぁええけどな……」

 唯月の再戦はしかけ方こそ有無を言わせないものだったが、動機は理解できる。

 元より文句があるなら、いつでも受けて立つと常々言っていたのは直志だ。

 こうして一応は五体満足でしかも勝利という形で決着した以上、すべては済んだことである。

「――で、なんやねん。話聞こか? って言えばええんか?」

「話せば長くなるんだけどね」

「ツッコめや。あと適当に巻きで頼むわ」

「まずは家の事情の説明からになるんだけど。壬生家うちは対外的には庭園にわぞのの傘下になってるけど、実質は同盟者に近い立場ってのは知ってるかな」

「大体のところは多分な」

「で、まぁ先代まであまり仲も良くなかった。関係改善のために、庭園の次期当主にウチの本家から従兄弟のねえさんが嫁いだんだけど――」

「あぁ、聞いたことあるわ。おっかない美人で旦那を尻に敷いとるっちゅう話」

「その人。ただ、おれが生まれたころはまだその話もまとまってなかったんだ」

 両家の仲を取り持つために嫁に出す娘となればその選択は大事だ。

 すなわち血筋か、本人のひいては母体としての能力か。

「はぁん、ほな庭園の仲と秤にかけてオマエを惜しんだわけか」

「そういうこと。自分でいうのもなんだけど、おれの力はまぁ大したものだからね。嫁に出すと退魔師としての両家のバランスが崩れかねない」

「それもまぁ、問題っちゃ問題やな」

 退魔師の才覚は、おおむね顕性けんせいで遺伝すると見られている。

 もちろんトンビがタカを生むこともあれば、タカからトンビが生まれることもあるがハトやスズメがでる心配はまずない。

「それでひとまず男ってことにして育てたわけ」

「まぁ、イトコさんも美人で切れ者やいう話や、ハズレ掴まそうってわけやない。わからん話でもない、か? 知らんけど」

「年もねえさんの方が近いしね。おれが年頃になるのを待ってたら、それはそれで話がこじれるリスクもあった」

「なるほどな、そんなら縁談まとまったあとは男装続ける意味なかったんちゃう」

「今はもう庭園への手打ちも済んでるけど、そこら辺の話が広がるとあちらの体面にかかわるからね」

「――今更やめるわけにもいかんかったっちゅうわけか」

「そう言うこと。あとはまぁ、直志とのこともあるかな。唯一の一級が格付け済じゃいよいよ滋賀が軽くみられる」

 再戦を避け続けていた時点でと思わないでもないが。

 それを差し引いても実際の勝機を持ち続けることを選んだということだろう。

「さよか……いや、ちょい待ち。そこらへんの事情はええけど、ほな腑抜けたあの戦果はなんやねん」

「あー……まぁ、いいか。ここまで話したんだし。おれさ、生理がすっっごく重いんだよね」

「お、おう。そら難儀やな」

 唐突で意外な発言に、一瞬理解が及ばない。

 芸のない返しになったことを、唯月が肩の上で笑ったのが分かった。

「そのクセに周期だけは嫌になるくらい一定でね」

「ほぉん。まさか――」

「そう、月齢と同期するみたいに新月期は絶不調。人狼の女にはまぁある事らしいよ、特に西洋だと。ウチは明治の時代にあっちの血も入ったしね」

「薬は効かんのか?」

「ダメだね、日常生活はともかく退魔師としてはポンコツもいいところさ」

「そうか」

 葛道直志は努力家だ。

 好悪に関わらず、彼をよく知るものならばまずそう評するだろう。

 だからこそ、努力が解決しない問題があることもよくよく熟知していた。

「――そらぁ悪かったな」

 そして「よく知る」の中に含まれる一人である唯月だからこそ、その不器用な言葉の謝意を感じ取ることができた。

「本当、何度叩き切ってやろうと思ったことか――ま、できないんだけどね」

「そこら辺は男装しとったんと差し引きチャラな」

「勝手だなあ。ま、こちらも友人面しておいて隠し事してたのは事実か」

「別に、友人ツレやからってなんでもかんでも話さなあかんわけやないやろ」

「なんだい、随分と優しいじゃないか」

「別に。ボクはお前みたいに何年も引っ張る気あらへんって意思表明や」

「――そうかい」

「おう」

 再び、沈黙が訪れる。しかしそれは決して不快なものではない。

 気づけばいつのまにか人工の光が通路を照らしていた。

 足元も例によって土とも石とも違う不思議な素材の床となっている。

「ところで直志、そろそろ出口も近づいてきたと思うんだけど」

「そやな、下ろすか?」

「いや、抱え方を変える気はない? おれ的には横抱きがオススメだよ、きっとすずりさんがいい顔してくれると思うんだけど」

「アホ、一日に二度も女に切りかかられるんは御免やで」

「……二度目が起きるのはやっぱり直志が省みるべき点だと思うんだけどなあ」


 ――そうして無事ダンジョンを抜けた直志を待っていたのは、唯月の事情を聞いて表情を凍てつかせたすずりと、葛道かずらみち義直よしただが母親とともに姿を消したという家人からの報告だった。


 §


「――葛道直志殿、どうか今宵一晩のお情けをたまわりりたく」

 さらにその晩、疲れ切った体を引きずり戻った自室で、白い襦袢じゅばん姿で三つ指を突く壬生唯月を見ていよいよ直志は現実の過酷さを実感した。

 なぜ自分がこんな目に合わなくてはいけないのか。

 二度三度とまばたきを繰り返しても現実は変わらない。

「5W1H」

 頭を押さえながら、ため息とともにそれだけを絞り出した。

「なに?」

「――5W1Hや、わかりやすく説明せえ」

「今夜、ここで、おれが、体で、詫びるために、直志と子作りをする」

「余計わからんわ!」

「条件全部満たしたのに怒るのは理不尽じゃないかな」

 そう言う唯月は、隠していたその女性的すぎるほどに女性的な体の線をさらし、白い頬はほんのりと赤く、唇は桃色に艶めき輝いていた。

「ちなみにここで詫びとからいらん言うたらどないする気や」

「生き恥晒すよりは腹でも切ろうか。いよいよ家の関係悪化も疑われるし」

「ためらいなく脅迫しよったコイツ……! 正直、詫びやなんやと理由つけて女抱くのはゴメンなんにゃけどな」

「贅沢だなあ。おれじゃ不満かい」

「お前がどうとか関係あらへん、えり好みできる立場でえり好みして何が悪いんや。大体子作りが詫びってなんやねん」

「直志もせっつかれてるだろ? すずりさんのこともあるし、これで既成事実だ嫁に取れだなんて言わないけど一人、二人くらいはいてもいいんじゃないかな」

滋賀作しがさくの倫理観どないなってんねん……お前それでええんか?」

「あと生理の話はしたと思うんだけど妊娠で体質変わる例、結構あるんだよね」

「人で新種の治療法試そうとすんな。つか理詰めで種馬引き受けたら、ボクが何人抱く羽目になると思うねん」

「――あぁ、ちょっと待った。誤解がありそうだけど。そもそもおれ、直志のことは異性として普通に好きだよ?」

「は?」

 なんだかちょっと前にも似たような驚き方をした覚えがあるな、とどこか他人ごとのように思いながらも直志はまず我が耳を疑う。

 しかし唯月の顔は真剣そのものだ。

「そうじゃなきゃさすがに女の子が自分でこんな話は持ってこないって」

「やから子ぉ言う年かいな、二十三年物の処女とかちょっとしか有難みないで?」

「少しはあるんだ。あいかわらず積極的に多方面に敵を作っていくね」

「そもそもなんやねん、その取ってつけたような設定。前振りあったか?」

「設定って。前振りもなにも男装してるのに近づいたところで気持ち悪がられるだけだろ、隠すしかないじゃないか」

「それはそう」

「だからあのキショいとか嬉しくないとか、結構頭に来てたんだよね」

「そこに関してはボク無罪やろ」

「あと証拠っていうなら、毎年郵送してただろ? バレンタインのチョコ」

「あぁ~……待てや、もしかしてオマエもアレ手造りか?」

「いや、既製品だけど。なに、捨ててた?」

「男からな上になんや妙に高そうで腹立ったから味わわんと毎度毎度一口で食っとったわ」

「気に入らなくても食べはするんだね。ちょっと覚悟もしてたんだけど」

「食いもん粗末にしたらあかんやろ、ンなやつ死んだらええ。それに友チョコは山桜桃ゆすらのやつも毎度持って来よるしな」

「――ふぅん」

(しかしなんや振り返るとボクのまわりバレンタインへの執着強ない??)

 あるいはこれが礼和でのスタンダードなのだろうか。

「あとほら、少し前に本家から縁談の打診があっただろ?」

「あぁ、さんざ思わせぶりにしといて結局何も言わへんかったやつな」

「あの話、妹でも従妹いとこでもなくておれとの話だから」

「え、なんやオマエそこまでガチなん?」

「ここに来てる時点で察してほしいな。まぁさっき言ったようにおれの体質変化と互いの家の跡継ぎのために子作りをもちかけようとしてたって話」

「家ぐるみでそれとかどうかしとんなあ」

 はぁ、と大げさにため息をついて直志は改めて唯月の姿を見る。

 口調こそ淡々と何でもないように話しているが、戦場とはまた違う緊張を彼女が抱いているのは見てとれた。

「しかしそうか、オマエ黒髪ボブ俺女系メンヘラ男装幼馴染やったか……」

「メンヘラはひどいなぁ、そこは素直クールにしとこうよ。あと俺女よりは王子のほうがいいかな」

「注文多いねん、厚かましいやっちゃなぁ。そんでまた素直クールかい」

「というか、おれとしては直志には色々抜きにしてもちゃんと責任は取ってもらいたいんだよね」

「はぁ? ボクになんの責任があんねん」

「勝者としての責任だよ。おれは普通だったのに……直志に負けてから、自分より強い相手じゃないと嫌だって思っちゃって大変なんだから」

「知らんわ、そんなん」

「なんとかできることだろ?」

 実際問題、この一件は補佐役である叔父たちも承知の、両家合意の手打ちであるはずだった。そうでなければ死合った男女を同衾させるはずがない。

 これを断れば、まぁまた別の手を考えるのだろうが……。

「――後悔しても知らんで」

「そこは上手く転がして欲しいね。得意なんでしょ、そう言うの」

 これ以上問答しても疲れるだけだろう、と直志は腹を決めた。

「ボクに対する認識がホンマにひどい……一回だけやで? 疲れてんねん」

「そこも、直志次第じゃないかな」

 口角をあげるその笑いが、爽やかさよりも艶やかさを感じさせるのは勘違いだろうか、と考えながら直志は唯月の身を引き寄せた。

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