真成編 3:葛道直志は関西にて最強

「――いい刀だ、すずりさんには感謝しなくちゃね」

 涙とはなで汚れた顔を拭いながら、壬生みぶ唯月いつきは本気とも冗談とも取れない口調でそう言った。

 その軽口に舌を鳴らして、直志なおしは用意していた治癒府を喉に貼ると袖を裂き、呼吸に障りが出ない範囲で強く巻きつけ固定した。

 一日の内に一度ならず二度も不覚を取る形で手傷を受けたことに、はらわたが煮えくり返るような怒りが吹きあがる。

「ボクを切っといて、そないこと言った日にゃ、確実に刺されるで……ごほっ」

「無理して言うほどのことかい? それ」

 それを普段通りに振舞うことで抑えこむと決めた。

 激情はときに力になる、しかし同時に判断を誤らせるものでもある。

(なまっとんなぁ、我ながらヌルすぎたわ)

 殺してしまっても構わない――そのつもりで無力化しようとしてしくじったのがいい証拠だ。

 ついでに利き手でもへし折っておけば憂いも無かったというのに。

 ――かつての勝利は忘れろ。

 数字はどこまでいってもただの数字に過ぎない。

 過去の統計が真に何かを保証・・してくれることなどない。

 今までの壬生唯月への印象も捨てろ。

 再戦から逃げ、肝心な時に頼りにならない男は目の前にいない。

 決して侮ってよい相手ではない。

 だが同時に、気負うな。

 いずれは起こりうると予期していた刃傷沙汰、それがただ男装していて腕前が優れていて獲物と状況が物騒だった、それだけの事。

 決して敵わぬ相手などではない。

「はン」

 それらの思いを全て笑みとして昇華する。

 実に性根が悪そうに見えるだろう、という自覚があった。

 そこで肩の力が一気に抜ける。

「無理? なんやボクが喋れんほどに消耗して見えとんのかいな。油断ちゃう?」

「――そう言うところ、嫌いじゃないよ。正直に言えば少しうらやましくもある」

「オマエに好かれたところでなぁ……」

 舌を出し、ひらひらと手を振ってみせる。

 両腕に霊気の巡りはいまだ鈍い、しかし痛みは薄れ完調に近づいていた。

 向かい合う唯月の口から静かで、深く長い呼吸音が聞こえる。

 不意打ちに成功したあとに続けざまの攻勢に出なかったのは、彼女もまた窒息のダメージから回復する時間を要していたということか。

 拳を握り右を前とした半身に構える、対して唯月は消耗もあってか八相に構えた。

 決戦に備える熱のせいか、すでに何度も全身に水をかぶった両者の体から湯気が立ち上がる。

 唯月が握りしめる刀の柄から、しずくが一つしたたりおちた。

 ぽちゃん、という音がやけに大きく響く。

「しゃあ――――!」

「るぁぁ――――!」

 先手はやはり葛道かずらみち直志。

 疾風迅雷の踏みこみを、後の先を取った袈裟切りが迎え撃つ。

 的の大きな胴を線でなぞるその一撃に対する答えは、先の先を取り切ること。

「破ァッ!」

「くぅ……っ!」

 果たして、先に相手の体をとらえたのは直志の右拳。

 刀は肩に浅く食い込んだところで、後方へと吹き飛ばされた主に引っ張られて浅く長い傷をつけただけに終わる。

「しゃあッ!」

「づっ……!」

 開いた間合いを一息に踏みつぶし、左半身を前へ突き出した肘で胴を打つ。

 手ごたえは先よりも浅かった。

 後方へ跳んだ唯月の足はすでに地を離れ、胡蝶は飛び立たんとしている。

「逃ッげんなやボケ!」

 踏み込んだ左足を軸に跳躍、空いた間合いを右足が描く円弧で塗りつぶす。

 それに刃を向ける余裕は、おそらくあった。

 しかしつい先ほど愛刀を蹴り折られたばかりの唯月に、その選択は取れなかったのだろう。かわりに柄を握る拳がそれを受けた。

「おおお――!」

「ああぁ――――!」

 獣が吠える。

 飛び立つ頭を押さえられた形の唯月の足が地で滑る。

「ッるぅぁぁ―――――!」

 しかし直志が着地するより早く、唯月の刃が振り下ろされた。

 間合いも速度も十分でないそれは本来さしての脅威ではない、しかし霊気の回らぬ腕では受けられない。

「チッ……!」

 代償に直志の体にまた赤い筋が刻まれる。

 刻まれた無数の傷による失血は静かに、しかし確かに直志の気力と体力を奪っていく。

 それだけではない、大蛇の毒によって侵された両腕、牙に裂かれた左肩、それから唯月の刀に断たれた喉と胴。満身に創痍は刻まれていた。

「なんぼ男の勲章や言うてもホイホイ傷つけてくれんなや!」

「人の顔を踏んでおいてぬけぬけとッ!」

 対する唯月も折れたはずの左腕に全身の打撲は数え切れず、くわえて溺死しかけたばかりである。

 なによりも大妖と死闘の直後だ。

 両者ともにすでにつきかけた体力を気力で補っている状態、いつ限界が訪れてもおかしくはないはずである。

 だがしかし踏み込む直志も、押し切らせない唯月も、そんな決着が訪れるとは微塵も期待していないように攻め手を休めない。

 意地が矜持が二人の青年を突き動かしている。

「不意打ちで切りかかってきたんがよお言うわッ」

「葛道の流儀にあわせたまで、敵に隙を見せた自分を恨みなよッ」

 拳と剣の間に互いの言葉も交錯する。

 速さで勝る直志が間合いを操りながらも、やはり最大の武器である両の拳が封じられているのが決定打を欠き、唯月もまた守りの要であり細かな取り回しのできる小太刀を失っているのが痛かった。

 流れを変えたのはやはり尋常ならざる異能――胡蝶歩だった。

「っちィ!」

 攻防の一瞬、とん、とんと小刻みに跳躍した唯月の足を掴もうと伸ばした直志の左腕を狙って銀光が閃く。

 とっさに腕を引いていなければおそらく半ばまで断ち切られただろう。

「――地の利を得たぞッ!」

 一メートルほどの高度をとって、刃を下段に構えなおした唯月の言葉通りに、消耗の積み重なったここに来て高所を取った有利は大きかった。

 容易く頭部を狙える唯月に対し、直志は決定打を与えるためには自らの頭より高い位置を狙う必要がある。

 かわりに真下という普段は意識しない死角も生まれるが、潜り込む動きに対しては唯月はより高く駆け上がればそれで済む話である。

「るぁぁ――――!」

 一転、唯月が攻勢を仕掛ける。

 突くも振るも刀の動きは小さく、反撃の余地を与えず、しかも狙いは顔や首といった急所ときている。

 対して直志はそれらを守るための両腕が万全ではない。

「ウッッッザ! やり口が陰湿やねん!」

 悪態をつきながら直志は身を大きく振って、前後への出入りを繰り返した。

 一度潜り抜けようと駆けた際には、背を掠めた大ぶりの斬撃が来た上に、振り向くより早く身を逆さにした状態で宙を蹴った突きが飛んでくる始末。

 宙を舞う縦横無尽のその動きはなるほど胡蝶の名にふさわしい。

「油断はしない。ここでキミを倒して、おれは最強・・を取りもどす――!」

「ぐぅッ……!」

 幾度かの攻防の末、唯月の下をくぐろうとした直志の左肩をついに刃がとらえた。

 例によって水面をかけていた青年は、右手を突き出して受け身をとる。

 片膝立ちで追撃に備えた直志が振り返ってみたのは、どこまでも冷徹に獲物を見る灰と蒼の目だった。

「――せっかくのチャンスを逃したなぁ、後悔すんで?」

「そうかもね……だけど手ごたえはあった」

 元々大蛇によって傷を負っていたところだ。左の肩口から袖に至るまで流れた血は、何度も被った水に滲んで前衛的な模様を描いている。

 だらりと腕が垂れているのは、多少のブラフは混じれどもいよいよ決定打を打つには使えぬとはた目には見えるだろう。

「一応聞くけどさ、負けを認めるかい?」

 刀を構えたままそう問うた唯月に、白けた表情で直志は肩をすくめ、口を開いた後で唇を突きだし、口を閉じてから横に引く動きだけで答えた。

――――アホくさ

「そうかい。まぁ今回は運もなかったね。もう少し足場が良ければ――」

「はン、そないこと考えながら戦っとるから負けんねや。強い奴はどこで誰が相手やろうと勝つ。それがホンマに強いってこっちゃ」

「最後まで口の減らない、なら今ここでおれの方が強いと証明しようか!」

 わずかに怒りのこもった言葉は、恐らく絶対的な優位を取ったと確信したことから生まれたものだったのだろう。

「それにな――ボクにゃツキもある」

 八年を耐えてきた壬生唯月が、今日初めて見せた感情的な綻び。

 それを見逃すほどに葛道直志は甘くなかった。

 下段の構えから繰り出される、上方からの逆袈裟切り・・・・・・・・・・

 それを身を低くかいくぐって直志は前へと跳んだ。今までより早く。

 二人の体が回転を始める。

 空を蹴った壬生唯月はそのまま斜めに三百六十度を振り抜いて、逆袈裟からの袈裟切りに。

 対する直志は前回り受け身で縦軸の回転のあとに、身を横に回す横軸の百八十度をひねると左腕を振った。

 到底、拳の届く間合いではない。

「ぐぅっ!?」

 しかし直後にうめき声を上げたのは唯月だった。

 顔を襲った一瞬の痛みにまぶたを閉じ、わずかに軌道を反らしながらも刀を振り抜く。しかし当然、それは空を切るだけに終わった。

 なにが、と思いながら目を瞬かせる。

「――ここだからええんや・・・・・・・・・

 その視界に長い指を組んだ掌に水を汲み、目つぶしとして投じた直志が笑いながら足元の水を跳ね上げたのを唯月はとらえた。

「るぁぁ―――――――!!」

 吠えながら渾身の力で刀を突きだす。

 それは反射的な動きだった――直志が誘ったとおりの。

「っしゃあ――!!」

 手ごたえはなかった。

 必殺の突きはなにものにも触れることなく、しかし突如として巨岩に挟まれたかのように動きを止める。

「な――――」

 それを成していたのは直志の両の手だった。

 彼の喉元のわずか数センチ前で止まった切っ先はもはやぴくりとも動かない。

 無刀取り。

 ろくに霊気の通わぬ腕でそれを成し遂げてみせた直志が、意地の悪い笑みを浮かべる。

「すずりちゃんには謝らんとなぁ――ええ刀やったんに」

 先ほどの意趣返しのように言って、膝蹴りで半ばから刀を蹴り折った。

 再び刀を失った唯月の一瞬の自失を見逃さず、直志は跳ぶ。

「関西一はこのボクや! 依然変わりなくなッ!」

「――――!?

 唯月の顔に飛びつくように両膝で頭を挟み込むと、後方に倒した我が身を振り子に、空中から地へと頭から叩き落とす。

「死ね――!」

「がっ!?」

 そのまま流れるような動作で脚で頭部を押さえこむと、渾身の拳を振り下ろし、今度こそ唯月の意識を刈り取った。

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