真成編 結:黒髪ボブ王子系素直クール男装幼馴染の本懐

「んっ……ぁっ……ん、くぅ、んっ……」

 布団の上で一組の男女が絡み合っていた。

 後ろから回された男の手が襦袢の前を開き、たわわに実った果実を弄ぶ。

「ねぇ、なんでさっきから胸ばっかり……っ」

 身をよじりながら、震えた声で抗議したのは壬生みぶ唯月いつきだった。

「そらオマエが粗末に扱っとるからや。こない立派なもん潰して隠しよって、なんらかの犯罪やでこんなん」

 それにこたえる直志なおしの声は、冗談なのか本気なのか何とも判別がつかない。

「多分その発言こそがハラスメントに該当すると思うけど……」

「オマエこそ自分の胸いじめたことあやまらんかい」

「バカじゃないの? それに、っ……家でまで抑えてたわけじゃないし」

「バカはやめえや。よりにもよってボクの前で隠しとんのがアカンねん」

「直志の前だからこそ、だろ。第一、運動の時は固定しないと痛むし、動きにくいし、足元は見づらいしで大変なんだよ」

「その手の話聞かされるんは三人目やなあ」

「おれは今その事実を聞かされたくなかったけどね……」

 主として胸の悩みは、あおいと従妹の赤穂あこからだ。

 両者ともにぱっと見でそれとわかる立派な持ち物の主である。

 しかし直志の鍛え上げられた直感は、唯月もまたそれに負けない逸材であると伝えていた。

「ちなみにサイズはなんぼなん」

「すごく言いたくないんだけど……」

「今後のボクのやる気に関わってくるで」

「死んでほしい」

「オマエにゃ無理やな」

「はぁ……Gの65だよ」

「Gの65ぉ!?」

 聞き取れるぎりぎりの声で告げられた言葉を、思わず繰り返した直志の脇に、とすんと力無い肘打ちが突き刺さる。

「声が大きいんだよ、バッカじゃないの!? 絶対これ部屋の外で家の人控えてるだろ! やめてよね!」

「安心せえ、ちゃあんと防音しとるわ。しっかしすずりちゃんよりアンダー細ぉてカップは三つも上やんけ。こんなんが許されてええんか?」

「その暴露こそ許されないと思うけど。おれのは誰にも言わないでくれよ」

「あとな、アホはええけどバカはやめえや。言いすぎやろ」

「そこを気にするのは直志も一緒かぁ……というかさ。話してるときくらい手はとめな、ぁっ……!」

 胸の先をつねりあげられて、唯月の声が高くなる。

 口元を腕で隠しながら朱い顔で振り向く。

「へ、変な声出ただろ……」

「これから垂れ流すんやから気にすんな、泣くまでヒィヒィ言わされるドキドキ初夜コース希望やったろ」

「びっくりするくらい身に覚えがない。というか疲れて乗り気じゃなかったんじゃないの」

「Fより上のおっぱいには疲労回復効果があるんや、知らんの?」

「本気の声かぁ、直志ってこんなにアホだったんだね……」

「アホ。こじらせ処女のオマエが緊張せんように場ぁ和ませてやっとんねん」

「んっ、余計な、お世話、ぁ……」

 腰骨をなぞったあと直志の手が襦袢の裾を割り下着の中に滑り込んでくる。

「まぁ確かにええ感じに用意できとんなぁ」

「~~~~っ……! なお、しっ、ちょっと……!」

 唯月が力無く腕をつかむと、楽しげに直志は声をあげた。

「なんや、怖気づいたんか唯月ちゃん・・・・?」

「この、性悪……!」

「アホ、性悪言うんはな。例えばオマエにラメ入りシャンパンゴールドのクッソ下品な三角ビキニ着させてナイトプールに放置したりすること言うんや」

「それは何を狙いとしてるんだよ……」

 やけに具体的な例え話をしだした直志に、唯月は呆れた表情で問う。

「ヤリ目男の釣り大会。何人まで断れるか見物すんねん」

「悪趣味にも程があるね」

「オマエ、体がエロいわりにチョロそうやからなあ。気ぃつけとけよ」

「こんなひどい侮辱を受けたのは生まれて初めてだけど頭大丈夫?」

「ほんでまぁお持ち帰りされかけとるところをボクが横からかっさらうわけや」

「マッチポンプもいいところじゃないか」

「いうてちょい、期待したやろ」

「アホじゃないの、何を根拠に……」

「声色でわかるわ。人狼の性癖ヘキかいな、指図せえって匂いよる」

「あっ……」

 くい、と顎を掴んで振り向かせれば、唯月は視線を逸らしながらも手から逃れはしなかった。

「こっち見ぃや、遊んでほしいんやろ?」

「――」

 ほんの少しの逡巡もなく直志に視線を合わせた灰と蒼の瞳は潤み、唇はわずかに開いて息を吐いている。

「こない簡単にメス顔すんの、ようも今まで隠せてたもんやな」

「そんな顔、してない……」

 陶然とした声とともに熱い息を吐きながら、唯月は否定する。

 わかりやすい見せかけだけの反抗。

「さよけ――っし、脚ひらけ。やるで」

「そんな言い方……もう少しムードとかさ」

「唯月」

「――――わか、った」

 ただ名前を呼ぶだけの催促に、か細い承諾の意を伝え布団に仰向けになって唯月は脚をM字に開く。

「もっとや」

「……うん」

 期待に満ちた目で男へ、それを恥じるように脇へと交互に視線を向けながら大きく脚を広げた彼女は、直志が脚の間に身を置いた途端に表情を曇らせた。

「待って直志、ゴムしてる」

「そないなクレームつけられたん初めてやわ……」

「だって、おれそういうつもりだ、って最初に説明しただろ」

「ちゃあんと覚えとんで? そやけど種馬扱いされんのはおもしろうないし、先にドハマりさせたろ思て」

「最っ低……外してよ」

「ま、上手におねだりできたら途中で外すのも考えたるわ。まぁ、そんなん気にならんくなると思うけどな」

「――自信過剰。やってみなよこのスケコマシ。そうそう思い通りになるわけじゃないって教えてあげるから」

「ほぉん、吐いた唾呑まんどけよ?」

「そっちこそ――」

 

§


 ――先の言葉通りに、相当疲れていたのだろう。

 行為を終えて、最低限の後始末を終えるとすぐに仰向けになって寝息を立てはじめた直志なおしの横顔に、壬生みぶ唯月いつきは静かに微笑んだ。

 慣れない運動と味わったことのない倦怠感と多少の痛みに、自身もまたも眠りへと意識を引っ張られながら自らの男となった青年の姿を眺めつづける。

「負けちゃったなあ……」

 そうしてるうちに思いが言葉となって漏れた。

 勝てなかった。

 これほどに時間をかけて機会を待ち、恥知らずにも不意を打って挑みながらも自らの剣は彼に届かなかった。

 ――八年、か。

 八年前のあの日、まるで彼と自分しか世界にいないかのような、一途で情熱的で切迫した視線を思い出す――いやわざわざ思い出す・・・・必要などないくらいに、それはいつでも唯月の胸の中にあった。

 今になって思い返せば勝敗に関わらず、あの時にはもう自分は恋に落ちていたのかもしれない。そんな風にさえ思う。

 だからこそ挑んだ。

 もう一度あの目を自分に、自分だけに向けさせるために。

 しかし敗れた。

 だが気持ちは、不思議と清々しい。

 たしかに今回の戦いで雪辱を果たせていれば、未来に渡って彼を独り占めすることができたかもしれない。

 そうならなかったことを残念に感じる一方で、結局自分がやり直したかった瞬間はあの日あの時のただ一度だけのものだったのだ、とも思えた。

 葛道直志が、その過去と現在と未来、その全てをかけて望んだ自身となるために、越えるべき目標として全霊をかけて挑まれる――

 それほどに求められ思われたことは、唯月のほかに誰一人としてないだろう。

 これから直志が誰を抱き、誰と結ばれようともその事実が変わることだけは決してない。

 そう思えばどんな形であろうと今後を納得することはできた。

 敗者としてこのまま彼の愛人の一人としてはべるのだって悪くはない。

 いや正直に言えば、自らのを求められるのはあの日とはまた違う類の喜びと優越感を覚えるものだった。

 あるいは敗北に気持ちが沈んでいないのは、これからは何に気兼ねすることもなく彼の側で女として振舞えるからかもしれない。

 自らを偽らなくてはいけない理由はもうないのだから。

 そのあたりを察して直志は唯月を「メンヘラ」と評したのかもしれないが、そこは自業自得と諦めてもらうしかないだろう。

「おれをこんな風にしたのは直志なんだから――」

 口にしたのは恨み言ではなく、稚気を含んだ戯れ。

 枕がわりの彼の腕に置いていた頭をあげて、ぴたりと寄り添うような位置へと唯月は身を動かした。

 呼吸のたびに緩やかに上下する直志の胸に、そっと手を当てる。

 彼の熱と脈打つ鼓動に、幸福と安らぎを覚えた。

「ん……」

 まだ幼いころ両親の腕に抱かれていた時にも似た熱が、彼と触れあったところからじわりと身の内をあたためていく。

 その暖かさに誘われるまま、愛する男の腕の中で唯月は意識を手放した。


 §


 ――同日、同刻。

 自らに与えられた部屋でノートパソコンを開き、あわただしくキーボードをたたいていた娘は、そばに置いていたスマホが着信を告げるや否や風のような動きでそれを手に取った。

「――はい、もしもし」

 弾んだ、と形容するのがぴったりな声で娘は通話に応じる。

 口元にはうっすらと笑みさえ浮かんでいた。

赤穂あこ、遅くにすまない。今大丈夫かな』

「ええ、勿論ですパパ――梅田に関することですね?」

 自らの名を呼ぶ落ち着いたテノールにうっとりと目を細めたのはわずかのこと、すぐに望まれているであろう答えを返す。

『ああ、事情は聞いていると思うけど――』

「はい、こちらでも確認しています。葛道うち紫雲しうんさんにとっては、少しまずいことになりましたね」

『そうだね。特に直志はこういうことは今まで私に任せてくれていたが――瑞穂みずほ義直よしただのことがある。このままでは紫雲家ばかりに負担がいくことになってしまう』

 詳細は不明だが、母と弟の振る舞いははっきりと葛道家にとって利にならないものだ。

 その夫であり父である葛道佳哉よしやが何の責も取らずに、当主代行の代理として渉外を請け負うのは誰にとっても良いことではない。

 けれどそれを引き継げる人物は、残念なことに今の葛道に多くはなかった。

「すぐに大阪に戻れるようにもう準備は済ませました。瑤子ようこ叔母ねえさんにもお話しています」

『急な話ですまない、直志からも連絡があると思うが……』

「平気です、従兄にいさんもパパもお忙しい中、わたしだけがのんびり花嫁修業なんてしていられません」

『……う、うん。そうか、ありがとう』

「ところで、新潟のおじいさま達はなんといっているんです? あの人・・・の頼る先なんてあそこしかないと思いますが」

 父である佳哉や直志に向けるのとは全く違う、母に向ける思いそのものをあらわしたような冷たく乾いた問い。

 娘に応じる父の声は暗かった。

『――ああ、その瑞穂から連絡があった、お義父さんが急病と聞いて帰省したと言っている。義直のことは――関与していないと』

「ふぅん、そうなんですね」

 取ってつけたような言い訳だ。

 あの女・・・がまさかそれだけで父に断りもなく家を空けるはずもない。

 まして弟を放置してなど天地がひっくり返ってもないだろう。

 雪女の血は愛する男に強い強い執着をうながす、そしてそれが母以上に濃くあらわれた赤穂だからこそ正しい実感として理解できていた。

 その愛は第一に恋人や伴侶である男に、そして愛の結晶である息子にほぼ同量が向けられている。

 いや、他の一切には向けられていないと言いかえてもよかった。

「従兄さんにお任せすれば、悪いようにはなさらないでしょうに」

『私もそう伝えたんだが……取りつく島もなかったよ。まさか義直も直接関与したわけではないんだろうから、なおさらなんだが』

「まったくいつまでも子離れできない。従兄さんの手を煩わせて……」

『赤穂。私が言うのもなんだけど、今回のことは直志が決断する。あまり早まってはいけないよ』

「――ええ、もちろんです。お二人にはご迷惑はおかけしませんから」

『うん。もちろん、信じているとも――それじゃあ気をつけて帰ってくるんだよ』

「はい、おやすみなさいパパ」

『おやすみ、赤穂』

 通話を終えたスマホを宝物のように胸に抱き、しばし赤穂はそれを抱きしめる。

 そうしてたっぷり二分はたってから、あらためてホーム画面を呼び出す。

 そこにはなんとも微妙な表情をした葛道直志が映っていた。

「待っててください、直志従兄さん。すぐにお側に参りますから――」

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