真成編 1:ヴェンジェンス・イズ・マイン

「――何のつもりや、唯月いつき

 胸の傷は浅い。

 しかし問題はそこではなく、突如として切りかかられた事実そのものだ。

 抜き身を手にしたままの青年を軽くにらみつけ、問う。

「今回の件、まさかオマエの仕込みか?」

「それこそまさか、だ。おれは大阪まるごと敵に回すほど馬鹿じゃないよ」

 最悪の想定が即座に否定されたことにまずは一息をつく。

「ウチだけなら敵に回してもええって聞こえたで? 葛道かずらみちもナメられたもんや」

「まぁそれくらいの覚悟はあるさ」

「覚悟なぁ、そもそも退魔師の私闘はご法度ちゃうんか」

「そんなもの、有名無実なんだろう? 自分で言ったことじゃないか」

 先日の言葉を引っ張り出せば、揚げた足を取るようにこちらの言で返される。

 戦いぶりを見れば考えにくいことではあったが、唯月の姿を模した別人ということでもないらしい。

「ほんなら、人目がないのをええことに亡き者にしようってか? そないに恨んどったんか、オマエ」

「恨み? いやだな、そうじゃないさ。ただおれは八年間ずっとこの時を待っていたんだよ」

「ボクを殺す機会を、か」

「違う。もう一度――いや、今度こそ・・・・本気でキミと死合う機会を、さ」

 そう言って壬生みぶ唯月が浮かべた笑みは、やはりまったくいつも通りの爽やかなものだった。

「ヤバ~~~~」

「失礼だな……」

 真剣勝負での再戦。

 動機としては頷ける、だからこそこの場合は性質が悪い。

 翻意を促すのが困難だからだ。

 ――八年前、葛道直志なおしはまだ何者でもなかった。

 そのはやさもつよさも、知るものはいなかった。

 他ならぬ直志本人と、その師である大叔父以外は。

 それに対して壬生唯月の名はすでに広く知れ渡っていた。

 二刀の使い手であることはもちろん、強さの要である胡蝶歩の存在、それらの手の内さえも。

 そうして直志が人知れずに研いできた牙は当時の世代最強に届いた。

 戦いの趨勢すうせいははじまる前にすでに大きく傾いていたのだ、それからのちのことは今さら語るまでもない。

「はぁ、未練がましいこっちゃ。結果やのうて過程が問題なら、それこそオマエの油断以外のなんでもないやろ」

「そうだね、後悔に気が狂いそうな八年間だったよ。あの日以来、一日たりともキミのことを思わなかった時はない」

「キッッッショ。野郎にそんなん言われてもなんも嬉しゅうないわ」

「つくづく失礼だなぁ――で、そろそろ拳を握るくらいはできそうかい?」

「……ほぉん、気づいて待っててくれるなんざお優しいこっちゃ」

「気づきもするさ、いつもの直志なら即座に殴りかかってるだろ」

「理解者面やめえや。そういうのがキショいねん」

 口ではそう言いながらも、まったくもって正しい分析だった。

 拳は握れる、けれどそれだけ。

 呪いに侵された腕には、霊気を上手くめぐらせることはまだできない。

 そしてこれ以上はこちらに時間を与える気はないと、そう言うことだろう。

「――はぁ、しっかし八年ボクが弱るんを待っとったのも気ィ長いっちゅうか……そないに自信ないならやめたらどないや」

 構えながらも問う。

 唯月もまた刀を正眼に構えた。

 柄に添えられた左手はさて、どれほどに回復しているのか。

「自信とかそういう話じゃないんだ。今ならキミも本気で、死ぬ気で戦うしかないだろ? 誰の邪魔も入らないしね」

「ほな勝てる気ではおるんやな」

「そうだね――五分ってところかな」

 気負いのない、事実を告げるだけと言った風情の言葉。

 だがそれは確かに直志の逆鱗に触れた。

「ほお、ボクと互角のつもりか……ナメられたもんやなぁッ!」

 言葉とともに直志は踏み込む。

 一見して無造作に、しかしその実油断なく。

 先手を握る、それこそが八年前に勝ち名乗りを上げて以来の葛道直志の道。

 迎え撃つ唯月が目を細める、その表情は歓喜の笑みによく似ていた。

 ――戦闘開始。


 §


「フッ!」

 鋭い呼気が響く。

 踏みこもうとする直志、その道先に鋼の切っ先が置かれる。

 足が止まる、その勢いを吸い取ったようにわずかに刃が進む。

 それをかいくぐらんと直志が身を左に振ると、引き戻された刃がまるで磁石で引き寄せられているようについてくる。

 何度か互いの動きを潰しあうけん制が続く。

 最終的には半ば強引に、直志が間合いの内へと踏み込んだ。

「ッしゃあ!」

 脚を伸ばして腰を落とすことで姿勢を低く、出した足で水面を払うように半円を描く。

「はッ」

 唯月はそれをひらりと軽く跳んでかわす。

 胡蝶歩――重力のくびきを断ち切って、虚空を足場に蝶のように宙を舞うという一見地味に見えて、跳躍という本来危険を伴う選択のリスクを踏み倒す、凶悪極まりない壬生唯月の異能の技。

 こと格闘戦に置いてこれほど恐ろしい術もない。

 しかし――

「るぁ――!」

「なッめんなァ!」

 袈裟掛けに振りおろされる刃に対し、直志が選んだのは更なる前進。

 体ごとぶつかっていく勢いで、空中にとどまる唯月の足を肩で払いながら、刀の範囲を前へと逃れた。

 すでに一度打ち倒した相手、そのためにどれほどの検討と研鑽を重ねたことか。

 対処は体に叩きこまれている!

「くっ……!」

 空中で前回り受け身を取った唯月が、背を取った直志の方へ振り向きながら刃で円を描く。

「はぁッ!」

「っ、とぉ!」

 対する直志は突き出した両腕で身を支え、振り返らぬままの中段後ろ蹴りで刀身を蹴り飛ばした。

「ぐっ!」

 成果を確かめることなく前転しつつ間合いを取り、身をひねって唯月の方へと向きなおる。

 その目の前を文字通り間一髪で胴薙ぎの一閃が通り過ぎて行った。

 ひゅう、と口笛を吹きながら直志は立ち上がる。

 やはり壬生唯月は曲がりなりにも自身と同格に置かれる存在――伊達や酔狂で一級退魔師に選ばれたわけではない。

「――わからんなぁ」

 だがだからこそやはり不可解だった。

 いっそうわからなくなったと言ってもいい。

 低調な新月期の戦果、今の今まで再戦を避け続けていた理由。

 そしてなによりもこの期に及んでなお――

「オマエ、ホンマにやる気あるんか? すずりちゃんの方がまぁだ殺す気あるで」

「っ……!」

 バチィと大気が爆ぜ、直志の声に怒りが混じった。

 壬生唯月の刃は、ときおり決定的な鋭さを欠いている。

 迷いではない、怖れでもおそらくないだろう。

 本気でないわけではない、だが確かに唯月はその剣を鈍らせる・・・・・・・・なにかをまだ抱えている、直志の経験がそう告げていた。

「不意打ちで喧嘩売っといてなんやねん、煮え切らん態度しよって。こっちゃ切られ損やないか――なぁ!」

「ぐっ!」

 疾風の勢いでもって踏み込む。

 いまだ霊力が通わぬ拳を握り、思い切り頬に叩きこんだ。

 拳打は無いと油断があったのか、唯月の顔が驚愕にゆがむ。

「よくも――!」

 至近距離、よりにもよって最大の弱点である下腹部をためらいなく狙ってきた前蹴りを、上げた左のすねで直志は受ける。

 痛みが一気に膝から下の感覚を持っていった。

「――ッ、行儀のええこっちゃ、なぁ!」

 一時的に足を殺された。

 普段以上に出入りがキモとなる剣士相手には大きな不利。

 だからこそ、ここで直志は更に一歩を強く踏み出す。

 その右足が唯月の足を踏みつけて水中へと縫い留めた・・・・・

「これやったらひらひら逃げられんやろ」

「ぐっ……!」

「今度も本気やなかったなんて言わさへん。あとなんや言いたいんやったら今のうちにいっとけや。ご自慢のお綺麗な顔ベコベコにしたるわ」

「……ッ、直志はいつもそうだ!」

「あぁん!? なんの話や!」

 一足一刀の間合いの内、しかも互いの利き足が動かせない状況とあっては、いかな剣聖とうたわれる剣士も有効となる斬撃は振るえない。

 翻って直志と言えばいまだ両腕には霊気がめぐらず、それができる蹴りの選択を捨てたとあってはこちらも決定打に欠けた。

 とは言え間合いは直志に有利、一方で無数の傷からの出血と消耗で余力が少ないのもまた直志のほうである。

「おれのことを、なんだと思って……!」

 状況は予断を許さない。

「はっ、もったいぶってなぁんも言わんヤツの何を酌め言うんや!」

「言って聞くような男かよ!」

「がっ……!」

 剣の柄で唯月が鎖骨を殴りつける、だらりと直志の左腕が垂れた。

「しっらんわボケ!」

「ぐっ……!」

 お返しに直志は脇腹に拳を突きさして身を折らせる。

「毎度毎度思わせぶりにうじうじと! 男らしゅうないんはつらだけにしとけや!」

「ッ、――だったらッ!」

「痛ッ……!」

 珍しく苛立った声をあげた唯月の裏拳が、直志の顔を捉える。

 振り抜いた左腕の、その手首に巻き付けてあった数珠状のブレスレットに指をかけて青年は叫ぶ。

「だったらこれで、納得するのかッ!?」

 身を守る無数の呪具の一つ、それを千切り捨てた唯月はそのまま右手をスーツの懐に突っ込んで、何やら左脇を探るように動かす。

「なにを――……は? いでッ!」

 直後の変化に、思わず絶句した直志の頬をついでとばかりに平手が張った。

 明らかに変質した霊気とそれにより変わった印象、なによりもはっきりと内からシャツの胸を押し上げる確かな存在感。

「唯月、オマエ……」

「――なんだよ」

 わずかに唇を尖らせて、不貞腐れたように唯月が問い返す。

 至近の距離で暗い灰の瞳が、前髪の隙間の蒼の瞳が、恨めしげに直志をにらんでいる。

 聞きなれたはずの声に、その顔に今まで意識したことのないを感じた。

「オマエ、女やったんか――――!?」

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