侵攻編 3:祟る蛇

(――こんなもんか?)

 大蛇の背を駆けながら、直志なおしは心の内に浮かんだ疑問を言語化する。

 手傷はいくつも負わせたもののいまだ動きが鈍る様子はなかった。

 そのしぶとさこそさすがは大妖といえるが、それだけでは脅威足りえない。

 確かにその巨大な体に弾かれ潰されるだけでも浅くない傷を負うだろう、だが肝心の動きそれ自体が鈍いと来ている。

 しかし今は疑問に浸っている時間はない。

 高くもちあがった頭部めがけて一直線に蛇の背を駆けあがっていく。

唯月いつきィ!」

「やれやれ、頭はこっちに任すんじゃなかったのかい」

 言いながらも、食いつかんとする頭を二刀であしらった唯月が宙で二歩、三歩と飛びのく。

「しゃあ――ッ!」 

 それに釣られて伸びた首を蹴って、今まさにとびかからんと口を大開きにした頭に直志のかかとが振り下ろされる。

 巨人の手に叩き落とされたように蛇の頭は地に落ちた、勢いで顎がばちんと空を噛んでかみ合わされる。

 凄まじい轟音が地を揺らし、水柱が滝のように天へとのぼった。

「――――!」 

 大蛇の体が波打つようにくねる、常人には近づくのをためらわせる力を秘めていても、それは苦痛にのたうつ獣の動き――すなわち隙に他ならない。

「すずりさん!」

「応――!」

 唯月の声より早く、少女は地を駆けている。

 目印がわりに刻まれた傷の間、範囲を絞ればか弱い人型の霊気の溜まり・・・がすずりの目にも見てとれた。

「っ、しゃあ――!」

 そこへ頭からあわただしく駆け戻ってきた直志が、今度はのたうつ胴のただなかに流星のごとく飛び下りてきた。

 人の形をした杭が、どんと大蛇の体を地に縫い留めんと突きささる。

 巨大な胴がびくんと一度跳ね、地を波打たせるほどに強く叩いた。

 反動でわずかに浮いたそれが再び地に落ちる。

 瞬間、これほどの好機は二度とはない、とすずりは直感的に悟った。

 その覚悟をもって、一気に踏み込む。

 果たして自分に成し遂げられるのか、疑念と恐れはいまだ娘の内にあった。

 けれど超えていくためにはいつだって一歩を進める以外の方法はない――それをずっと追い続ける背中が教えてくれている。

「しィッ――――!」

 横凪ぎの一閃が今までよりも深く長く大蛇の身を切り裂く。

 会心の手ごたえ、間違いなく断ち切った。

「どうだ――!?」

 白い蛇身から血の赤とともに、ピンク色の内側が見える。

 そうしてさらにその内から人の頭らしき黒い色彩がのぞき―― 

「すずりちゃん、パス」

「えっ、わっ、おおお――!?」

 無事なのか、と思わずすずりの意識が奪われたかけたところを、傷口へ無造作に腕を突っ込んで中の人物を引っこ抜いた直志がそのまますずりへと放り投げる。

 慌てて刀を取り落としながら受け止めると、べちゃり、となんとも言えない匂いの粘液が全身を汚した。

「おい、ナオにい――!」

「なぁにをぼんやり見とんねん、息は?」

 抗議の声をあげかけたところを、大蛇に油断なく視線を向けた直志は振り向かないまま問うてくる。

 慌てて口元で呼吸を次いで脈を確かめる。

「――あるッ」

「おし、ほな一旦――」

「二人とも、離れてッ!」

 天から降ってきた唯月の声は、聞いたこともないくらいに切羽詰まっていた。

「ッ!」

「っ、ぁ――っ!?」

 問い返す間もなく飛びのこうとしたすずりを、上回る勢いで腰をひっつかんだ直志が抱えて飛びのく。

 娘二人分の重量を引き受けてなお、その動きはすずり一人よりも速かった。

「――、なんだッ!? 二匹目――!?」

 そうして抱えられたすずりの目の前を、通過する列車さながらの速度で巨大な物体が左から右へと掠めていった。

 慌てて見上げれば上空では剣戟に似た音を響かせて、唯月もまた大蛇の頭を相手にしている。

「――いやいや、戦闘中に頭増やすんはあんまりにも無法やない?」

「大妖ともなると滅茶苦茶だな……」

 十二分に距離をとったあとちらりと振り返って状況を確かめた直志が、二人を下ろしながら零した。

 にわかにまがまがしい気配を振りまきはじめた白い大妖。

 地上数メートルの高さで直志たちを見つめる赤い瞳が四つ・・・・・・――今や大蛇には二つの頭があった。

「最っ悪やな……」

 どうやら呑まれたものを生贄――供物とする術式を組み込まれていたらしいとすぐに思い至る。

 違和感を覚えるのも当然、大妖としてこの地に現れた大蛇はその実、今の今まで鎮められた・・・・・状態だったのだろう。

 だがそれは崩れた。

 他ならぬ娘を救出したことによって、直志たちは祟る神の怒りに触れたのだ。

「性格悪すぎやろ、これ仕組んだん」

「直志にそう言わせるんじゃあ相当だ」

 かたわらに降りてきた唯月がしみじみというのに、直志はケとクの間のような音で喉を鳴らし背のすずりに大蛇から離れるよう手振りで伝える。

「アホ言うとる場合か? すずりちゃん、キミはその子ぉ連れて脱出。地上うえに現状伝えて、これがのぼってきたら通路潰したってや。気配は覚えたやろ?」

「それはできるが、しかし――!」

「ボクの言うこと聞くって話やったろ。相手の手数が増えた上に多分こっから本気や、こんなんお荷物二人・・・・・も抱えて相手しとられんで」

 情け容赦ない言葉は、だからこそすずりに感情的な返事を許さなかった。

 誰よりも認めて欲しい相手だからこそ、この場面で本当に荷物になるような愚かな振る舞いはできない。

「っ……承知した。二人ともご武運を!」

 何もかもを噛み殺すように強く口を結んだあと、真っ直ぐに顔をあげて叫んだすずりは大蛇に油断なく視線を向けたまま後退をはじめる。

「あいよ、頼んだで!」

 ばちぃ、と雷が鳴る。

 駆けだしたすずりに反応しようとふっと首を動かした大蛇が、その強烈な気配を受けて直志へと視線を戻す。

 しばし、にらみ合いが続いた。

 祟る大蛇は相手が油断ならぬ敵であるのを知るために。

 そうして青年たちは少女が去る時間を稼ぐために。

「――よかったのかい。すずりさん、傷ついた顔してたけど」

 大蛇から意識はそらさぬままに唯月が口を開く。

「おおぜいの生き死にかかっとる場面で甘いこと言うとられんわ」

「真面目だなあ」

 視線は向けぬままに直志も答えた。

 二人の一級退魔師の間には油断も過度の緊張もない。

「――あいかわらず厳しいね、そのくせ優しい」

「どっちやねん。それに、すずりちゃんめっちゃタフやし。これくらいじゃめげへんわ。あの娘、今までボクに何回振られとると思う?」

「それは直志が反省すべき要素じゃないかな」

「受けられん話断って何が悪いねん――それより、オマエこそ根性見せえよ唯月。ここでイモ引きよったらいよいよ見下げんで」

「――そうだね、おれもいつまでもそんな風に言われるのは心外だ。ここらで見返しておこうか」

 シャアアアアアアアアア――――!

 二つの頭が大きく口を開くと、大気が震えた。

 人一人を簡単に飲みこむそのピンクの口中を前にしても、しかし二人の青年はまったく顔色を変えなかった。

「ヘビって鳴くんだっけ?」

「いや、声帯無いやろ。知らんけど」

「まるきりモンスター映画の世界だね」

「やめーや、ソレ色男が死ぬジャンルやんけ」

「へえ、珍しいね。おれの心配をしてくれるの?」

いちびっとんちょうしのってるなあ。自分で言うか?」

「それ、そのままそっくり返ってこないかな」

 大蛇が大地を食らうべく首を伸ばした。

 しかしその時にはすでに一人は天を一人は地を、青年たちは左右にわかれて駆け出している。

 空しく地面をかすめた蛇の頭が巨大な水柱を立てた。


 §


 ざざざざ、と波打つ水面はもはや渓流のように音を継続して響かせている。

 にわかに動きを活性化させた大蛇は、その巨体を最大限に活かして敵に食らいつかんとしていた。

「――だッッッッる!! 大縄跳びしとんのとちゃうで!」

 天を駆ける唯月はいざ知らず、直志はその影響をもろに被っている。

 巨体が動き回ることで生じる波は、精々すねを濡らす程度の高さだがそれでもその力は決して侮れない。

 ましてその中で動きまわろうとすれば容易く足をすくわれるだろう。

 結果、事前にすずりに教えた通りに直志は水面の上を走ることになる。

 それで波の抵抗は回避できても足場の不安定さには変わりない。

 いかな疾風迅雷も、いや早さ自慢だからこそ足元の踏ん張りは生命線だ、悪影響は免れない。

「ッとぉ!」

 敢えて水面を踏み抜いて地を踏みしめ、急ブレーキをかけた直志の目の前を蛇の頭部が横切っていく。

 その速度も先ほどとは大違いだ。

 さっきまでが特急列車なら今は新幹線の勢いがある。迂闊に手を出せば質量差で跳ねとばされて仕舞いだろう。

 初手に左右にわかれたのは混乱を期待してのことだったが、姿こそ模していてもそこはあやかし、普通の生物の生理にはしばられないのかさしたる混乱もなく対処してくる。

「しゃあ――ッ!」

 がつんと前蹴りをぶち込めば、引き戻されている最中の首がどぉんと跳ねる。

 手ごたえはなんとも重い、硬い鱗の下にみっちりと詰まった筋肉が打撃による衝撃を受け止めていた。

 ドン、と続けて拳の連打を打ち込んだところで、蛇の胴が迫りくる壁となって直志を打ち付けようと迫る。

 ダン、ダンとそれを蹴りあがって、身の丈以上の壁を越えた。

「ぐ――!!」

 その直後――地を叩くようにくねった蛇身が鞭のようにしなって直志の体を吹き飛ばした。

 ばしゃばしゃと石で水切りをするように二度三度と後転しつつ受け身を取る、体勢を立て直した直後に頭上でつい先ほど自分の身で体感した鈍い打撃音が響く。

 そう認識したときには手が伸びていた。

「う、あ、あ、あ――――!」

「ッッ、しゃあ――――!」

 声を長く残しながら叩き落とされてきた唯月のコートをひっつかみ、勢いのまま二度三度とその身を体全体を使って振りまわした。

 そこへ次なる風を感じて手を離す、直後に反動で離れた互いの間を長大な白い蛇が通り過ぎていく。

「――助かった!」

「小太刀は? どないした!」

 唯月が手にしているのは右の太刀一振りきり、徒手の左腕はぐにゃりと肘から先があり得ない方向に曲がっている。

「今ので持っていかれた! 腕も、ちょっとしばらくは無理だね」

「さよか」

 人狼は極めて高い再生能力を持つ類のあやかしだ、その血を色濃く引く唯月も怪我の影響は常人よりは余程小さい。

 それでも、事態は静かに悪化している。

 直志個人にはまだ十分に余力はあるが――

「――唯月、オマエこれの首切れるか?」

「時間を貰えれば。すずりさんもやったんだ、おれができないとは言わないさ」

 左腕の負傷などないように、壬生みぶ唯月はいつも通りに涼しい顔で請け負った。

 その言葉を信じていいのか、否か。

 悩むというほどの時間もいらなかった。

「上等、ほなええとこ譲ったるわ。こいつ殴り倒そ思ったら、先にこっちの拳がイカレそうや」

「了解、ならおれは機を待つよ――好きに暴れてくれ」

「別にボクが倒してしもうて構わんのやろ、って言うところか?」

「そうしてくれると楽でいいけどね」

 言い残して唯月は点在する葦原へと駆ける。

 霊気を抑え、背の高いヨシに紛れてしまえばすぐに直志にさえも唯月の気配はほとんど捉えられなくなった。

 もとよりすずりが離脱したあとである。

 逃げたとそう判断もできるだろう、ゆえに荒ぶる神の怒りは不遜にもひざを折らない最後の一人に向けられた。

 シュウウウと大蛇の口から呼吸音が漏れる。

 その生臭さも、赤い瞳の敵愾心も気にせずに直志は笑った。

「お互いに相手にとって不足なし、やろ? ほなろやぁ――――!」

 叫びとともに天をかけめぐった雷が、もや立つ葦原を照らし出した。

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