侵攻編 2:結界顕現 「万里霧中の豊葦原」

 ダンジョンの内部は耳が痛くなるほどに静まりかえっていた。

 天井の明かりがときおり風の動きに合わせてチラチラとその波を途切れさせる。

「さて道中優先順位確認しとこか。すずりちゃん、最優先は?」 

「あやかしの討伐、でいいんだよな?」

ちゃう。唯月いつき

「まずは大妖を地上に出させないこと、だろ」

「せや。手に負えへんやったら最悪入り口ぶっ壊してボクらもろとも閉じこめる」

「まぁ仕方ないか。こういう環境なのは不幸中の幸いというべきかな」

「な――」

 関西最強の男と格の上では彼と並ぶ青年の当たり前のようなやりとりに、すずりは絶句した。

 どこかで彼らをあてにしていた自分に比べ、その意見に楽観はない。

 だが確かに場所と相手を考えれば、万一の想定はあってしかるべきだろう。

「そん次が討伐、ボクらの無事の生還、その下に呑まれたらしき二人の救出――こんなとこかいな」

 義直よしただに告げた通り、大蛇に呑まれた娘の優先順位は最低。

 それにしかし異論ははさみようもない。

「異論なし。すずりさんは?」

「あ、あぁ――」

「すずりちゃん、ちゃあんと紫雲しうん家の人として考えなアカンで? ボクも唯月も家の立場もあってここにおるんにゃから」

「む」

 言われて、流されるままに自分が決断しようとしていたことに気づく。

「案外いい先生っぷりじゃないか、直志なおし

「なんで上からやねん」

「おれは年少組の面倒を前々から見ているからね、家じゃこれで若先生だよ」

 そう言って唯月は腰に下げた大小の柄に手を置いた。

 表情を改めて、青年はすずりに視線を向ける。

「現場での判断は実力から言って直志が決めるのが筋。それはそれとしてここの管理は紫雲家だ。すずりさんがご当主である御父上の命でここにいる以上、君の意見は紫雲家のそれとして考慮すべきものだとおれも思うよ」

「了解した。では紫雲家としても先のお二人の方針に異論はない」

「決まりやな」

「じゃあ急ごうか」

 そうしてただ三人分の足音だけが響く道行を経て、そこへたどり着いた。

 梅田地下ダンジョン深部、未踏破の通路にたちこめるもや・・はさながら白い壁のようだった。

 先の視界はまったくとれない。

「こら、はぐれそうやな」

「なら腕でも組もうか。すずりさん、右側どうぞ」

「あ、はい」

 唯月に促されて、すずりは彼の反対側とそれぞれ直志の左右に陣取る。

「おう、なんで自然にボクをはさむねん」

「おれは左でも脇差が振るえるし、すずりさんは利き腕で太刀を持てる。直志には立派な脚があるだろ?」

「組んで蹴ったら絵面が面白くなってまうやろ――まぁ、大物以外は場に呑まれとるし、はぐれんように優先でええか」

「決まりだね」

「おう唯月、あんま寄んな。オマエと引っ付くなんざ冗談やないで。そんですずりちゃんは胸押しつけすぎ。ひっどいなあ、キミら緊張感とかないんか?」

「いや、つい……」

「こういうときはリラックスしてた方がいいだろ?」

「ボクでくつろぐな言うてんねん、ハイハイ行くで」

 ぐいと二人を引っ張って直志はもやの中へと踏み込む。

 瞬間、全身に水の中へ放り込まれたようなひやりとした感覚を覚えた。

 さらに数歩を進むと、ぱしゃりと足元で水音が上がる。

 それはやがて靴のソール部を越え、足の半ばまでがひたるほどの深さになった。

「水の匂いが濃くなっているね、もう少し深くなりそうだ」

「もやは、少し薄れてきたな……」

 更に十数歩を進むと圧迫感が多少やわらぎ、まだ薄いベールがかかったような状況ではあるものの広い空間に出たのが見てわかった。

「……湿原か?」

「湖のほとりに似てるね」

「あっちゃ生えとんのはヨシか、なんでもありやな」

 三者三様の感想が漏れる。

 そして誰もが真実の一端を掴んでいた。

 足元はぬかるみ、足首までの深さの水場が遠くまで続いている。

 季節外れに青々とした葦原の存在は、なるほど湿原にも湖岸のようにも思える。

 うすぼんやりとした天の光源に照らされる、霧深い朝のような世界の中、遠くに巨大な影が存在しているのがわかった。

「――アレか」

 霧の向こう、こんもりとした影は小さな丘ほどにも大きい。

「動いてへんな」

「腹が膨れているから、とかかな?」

「それは――」

「ありそうや、しかけどき・・・・・かもな」

 美しい青年の冷徹ともいえる見解にすずりが何か言うよりも早く、直志が同意を示した。

「うーん、しっかし……」

 親指と人差し指で長方形の枠を作り、その中に巨影を捉えた直志が唸る。

「どうだい」

「――アイツ、多分こないだの鬼女より強そうや」

「ほう、それは強敵だな」

 しかしそれを聞いたすずりの声には、まったく怯むところはなかった。

 聞くものとしては頼もしさと危なっかしさが半々である。

 少なくとも彼女一人では絶対に敵わないほどの差があるのだが。

「唯月、そっちはどないや」

 問いに唯月は形の良い鼻をひくりと動かした。

「そうだね、例の白蛇に何か呪いを噛ませて生まれたのは間違いない。霊気の匂いが濃い箇所が二つ――多分、二人は呑まれてる・・・・・ね」

「一人が義直よしただのツレとして、もう一人が外部の二級で決まりか? 自分が喰われてりゃ世話ないやろ」

「というよりは体よく利用されたんじゃないかな」

「ほぉん、根拠は?」

「勘だね。ただ紫雲と葛道かずらみち――大阪を丸ごと敵に回そうって術者なら、そんな初歩的なミスをするとは思えないよ」

「――ま、そやな。すずりちゃんは?」

「ん、いや疑問は色々あるがまずは切ってからでいいと思うが」

「直志さぁ……」

 すずりの言葉を受けて、唯月がなんともいいがたい目を直志に向けた。

 苦い色で顔がゆがむ。

「ちょお待てや、別にこれボクのせいやあらへんで。すずりちゃんが元々ちょいアホの子やねん」

「おいナオ兄! 私のことをそんな風に思ってるのか!?」

「いやまぁ、そこが可愛いんにゃけどな?」

「それでごまかせると思うなよ……」

「はいはい、ごちそうさま。いちゃつくのは後にしてくれないかな――とは言え、確かに今ならまだ一人は助けられそうだね」

「そう、私もそこが言いたかった」

 我が意を得たりと頷くすずりは「ホンマかいな」と語る直志の視線を無視した。

「それに呪いの核にもなっていそうだ。助け出す意味はあるね」

「そうは言うてもあのサイズやで? おとぎ話やないんや、腹の中に入るわけにもいかんし、どないして助ける」

「切るしかないんじゃない? 幸いこっちは二人が刀を持ってる」

「ま、結局そうなるか――ほな頭の抑えは唯月、お前に頼むわ。ボクが胴を締め上げるよって、すずりちゃんが適当にすぱっと切ったって」

「わ、私がか?」

「他に誰がおんの? さっきまでの威勢はどしたん」

「いや、でもしかし中の人間を傷つけずにうまく切れるか……唯月さんと逆の方が」

「それはちょっと難しいと思うよ」

「ていうかハッキリ無理や。まがりなりにも大妖相手やで? キミが一人で抑えられる相手ちゃうわ」

「ぐ、それは、そうだが……」

「まぁそれに心配せんでも切る方は大丈夫やって」

「何を根拠に……!」

「間違って中身・・まで切ってもうたらそんときはもう切り替えたらええねん」

「全っ然大丈夫じゃないだろう! それは!」

「いやいや、言うてやってもうた時はしゃあないやん? 最初に優先順位、説明したやろ」

「ひっどいなあ――まぁでも本当に大丈夫だよすずりさん」

「唯月さんまで……!」

「いや、直志の見立てはこれで確かだし、できないことは任せないやつだよ。これで君のことを信じているのさ」

 笑顔で言った優男の青年に、直志が舌を出す。

「はぁ? なにをボクのことわかった風に言うとるねん、サブイボ立つわ」

「あのさ、フォローしてるのにそれはあんまりじゃない?」

「頼んでへんし――なあ、すずりちゃんあやかし退治なんて決断迫られることの連続やで。それもたいがい時間制限付きや」

「む……」

「迷っとる間に全部ご破算ってこともある。ボクらは神様ちゃうねん、どないしたって決めなアカン時は来る。そん時もキミはまごついとるつもりなん?」

 あからさまな挑発の言葉は、すずりの性格を知るからこそのもの。

 返事は期待通りだった。

「舐めるな、ナオ兄。やってみせるさ」

「上等。ほなさぱっと大蛇の料理、頼んだで。関西じもと風に腹開きでな」

 お上手、という唯月のつぶやきは直志の耳にだけ届いていた。


 §


 ばしゃばしゃと水面を蹴散らす音が連なり、一つの音となる。

 わずかに足が沈みこむような感覚、実際の湿地帯と比べればマシでも近接戦を得手とする者たちにとっては軽視できない環境だ。

 ただ一人、壬生みぶ唯月を除いては。

 胡蝶歩――地に、星の重みに縛られる人の定めから文字通り解き放たれている青年は、水面の上を離れ、まるで見えない階段をのぼるかのように宙を駆けていく。

 この異能こそが、直志が蛇の頭を唯月に任せた理由だった。

「それじゃ、お先に行かせてもらうよ」

「おう」

「お願いします」

 軽やかに加速し先行する唯月を見送り、直志はパンと拍手を打つ。

「せや、こういうところで急に足元深くなったときの対処なんにゃけど」

「ああ」

「片っぽの足が沈みはじめたら、沈みきる前にもういっちょの足を出す。ほんでそれを繰り返してけばOKや」

「全然OKじゃないが?? 漫画じゃないんだぞ??」

「あれ、水走りまだできひん? ガチなやつやで、これ」

「ええ………」

 真剣な表情で返してきた直志に、すずりは絶句した。

 まぁ確かに退魔師とは軽率に物理法則を無視しがちな存在ではあるのだが、今まさに唯月がしているように。

「その場でってのはムズいからな、ひとまずは走りながらでええよ」

「慣れるとその場の足踏みで水面に立っていられるように聞こえるんだが?」

「せやで」

「一級と二級の間に、こんなにも常識の差があるなんて思いもしなかった……!」

「そもあやかしなんてもんが非常識なんやから今さらやろ。ほら動いたで」

 駆け寄る三人を認めたか、真珠にも似た光沢の大蛇が鎌首をもたげた。

 角ばった頭部だけで大きめのワンボックスカーほどのサイズの蛇は、こちらも一抱えほどもあろうかという赤く丸い瞳で宙を駆ける唯月を追う。

 胴回りはおそらく数メートル、その幅だけでも目測で二メートルはこえている。

 目の前で見ればほとんど動く壁のようなものだ。

 全長が果たしていくらになるのかは、想像もしたくない。

「しゃあ――ッ!」

 それに何のためらいもなく踏み込んだ直志の拳が、なんとも鈍く低い音を立てて拳が突き刺さる。

 叩き込まれた霊気が波となって、大蛇の体を伝っていく。

 程近くにちょうど一人分の霊気のこぶが一つあるのを退魔師たちは感じた。

「おったけども。まずは目印やな」

 白い鱗が怪しくぬめ光った。

 その速度と、代わり映えのしない胴の構造は位置をあっさり見失わせる。

「すずりちゃん、スパッと切って目印。やれんね?」

「――あぁ、やってみよう」

 すずりの答えは間髪入れずだった。

「ホンマ、返事はええ子やなあ」

 覚悟が決まったこともあろうがが、あるいは若さのあらわれというべきか。

「ほなボクが動き止めたらやってもろて。三つ数えたら行くで」

「承知」

「さーん、にー、いーちッ!」

 ドン、と。

 直志の足元が爆発するようにはじけ、周囲のもやが吹き飛び視界が開けた。

 舞い上がった水が雨と降るなか、大唯月の幹のごとき蛇の胴に大きなへこみができている。

「るぁ――――!」

 直志を認識し向きを変えた蛇の頭へ、唯月の刃が閃く。

 キシィと硬い音があがり、白い蛇に赤い筋が大きく深く刻まれるのが見えた。

(これ、私要るか?)

 一瞬浮かんだそんな考えごと叩き切る――決めた瞬間には迷いは失せている。

「しィッ――!」

 今は動かぬ的だ。

 目をつぶっていても当たりはする。切り通せるかは自分次第――

(――通った!)

 確信した瞬間、蛇の身が裂けて鱗よりさらに白い膜と薄いピンクの肉がのぞき――噴出した血の赤であっというまに覆い隠された。

「おうすずりちゃん、ちゃっちゃと離れな。何をひたっとんの」

「あ、すまない」

 直志に強く腕を引かれ、のたうつ大蛇から距離を取る。

 静かだった水辺を鉄錆びた匂いと赤い色彩が汚していく。

 ずろろろ、と大蛇が身をくねらせる。

 二人が刻んだ傷はすぐに一度、二度と折り返された蛇身の壁に隠されてしまう。

「しゃあ――ッ!」

 それを、ひっかけた爪先を振り抜くように蛇の胴を蹴り上げて、直志が暴く。

「ほなカウント行くで。三ッ、二ぃ、一ィ!」

 疾風迅雷の面目躍如。

 足元の悪さを苦にもせず、今度は前に突き出した肘で大蛇を打つ。

 それは文字通りに数十センチは鱗と筋肉の守りを抜けて、深々と突き刺さって見えた。

「しィッ!」

 気合の声とともに再び縦に一閃。

 先よりもなお深く、断ち切った手ごたえがあった。

 大蛇の苦悶の動きもまた先よりも激しい。

「直志、すずりさん! 内に巻きこもうとしてるっ。一度外へ!」

 上から動きを見ていた唯月が警告を発する。

「おう! とは言ってもやな――」

「どちらに抜けるべきか……!」

 すでに二人は渦巻く蛇の身に囲まれた中、それが二重か三重のものなのかさえわからない。

 乗り越えたとてその先に何が待つか。

 であれば退路は一つ。

「すずりちゃん、体重なんぼ?」

「こんな時になんや、アホ!」

 直志の問いにすずりは瞬間で顔を赤くした。

「こんな時やから聞いとるねん。放り投げたるから、ボクの手ぇのって跳びやっちゅう話。んで何キロ?」 

「よ、四十八……」

「んなわけあるかい、図々しい。鯖読むにしてももうちょい遠慮しいや」

「くっ、ほ、本当は五十七キロ……」

「わぁった、六十オーバーな!!」

「なんで大声で言うんやダァホ! ノンデリ! クズ! 女の敵!」

「ま、計算内や、いけるいける。ええから、はよおいで」

「殴りたい……!」

 中腰になった直志がバレーボールのレシーブのように組んだ手を構える。

 眉を吊り上げながらすずりが駆けた。

 そのまま膝を直志の顔に叩きこまんばかりの勢いで彼へと飛びこむ。

「あとで絶対償わせるからな、覚えていろナオ兄……!」

「お手柔らかに、頼むわッ!」

「――――――ッ!」

 手に足がかかったと思った瞬間、まるで打ち上げられるような勢いですずりの体は宙に舞っていた。

 幼い日に子供用のアスレチックで遊んだトランポリンがふっと思い出される。

 重力を振り切って上昇を続ける、時間が引き延ばされたような感覚。

 それは一瞬戦いを忘れるほどに心地よかった。

「っ、ナオ兄は――!?」

 縦に一回転し、着地に備えながら地上へ視線を送る。

 渦巻く蛇の内に、大きな水柱が立ち上がっていた。

 震脚でそれを成した直志は迫りくる肉の壁に背をぶつけ、重さにして数十倍になるだろう大蛇をはじき返すとそこに飛び乗って長大な背の上を走りはじめていた。

「化け物か??」

 世の乙女たちが想い人に対してはまずしないであろうその形容は、しかしこの場合においては実に真っ当な感想だった。

 葛道直志の底はすずりには見えない。見たことがない。

 それでも――

「また、強くなったのかナオ兄」

 ずっと追い続けてきた背は、こちらを振り返り声をかけることはしてくれても、待っていてはくれない。

 その足が止まることは、きっとない。

 すずりが好きになったのは、そう言う男だった。

 ぎりと歯が鳴る。

 それがいかなる感情によるものかはすずり自身にさえわからなかった。

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