幕間 勁草よ、疾風を知れ

「うぅぅぅ……」

 空の青に寒々しさが日に日に増していく晴れの午後、南条なんじょう邸の修練場は惨劇の舞台と化していた。

 二十人ばかりの男女が一様に地面にうずくまり、みな体のどこかを抑えて苦し気なうめき声をあげている。

 そしてその事態を引き起こした青年一人だけが、自らの足でしかと大地を踏みしめて立っていた。

 周囲を見下ろすその表情は、少しの失望と多大な退屈で満ちている。

「はぁ~……」

 そしてクソデカため息をついた青年は、周囲を睥睨へいげいしながら独り言のように口を開く。

「なんやろね、キミらには真剣みってもんが足らんわ。今どんな機会に恵まれとるのかホンマにわかっとる?」

 打ちのめされた退魔師たちの中に、問いにこたえられるものはなかった。

 はじめから返事を期待していなかったのか、青年は構わず続ける。

「ハナから負けが前提の芸も工夫も無い玉砕ばっかやん。格上と当たった時に潔く死ぬ練習でもしとんの? 付き合わされる身にもなってほしいで」

 そんなわけがない、そう反発を覚えながらも誰も反論しない、できない。

 だがそれはかえって青年の気分を害したようだった。

「まずもう今の顔がアカンわ、絵にかいたような負け犬面。なんやろ恋人なり姉妹なりの貞操でもかけさせたら、多少は必死になるんかいな」

 別段それを望んでいる風でもない、しかし本気そのものの言葉にさすがに敵愾てきがい心を煽られたものも出る。

「お待ちください、葛道かずらみち様」

 にわかに緊迫した空気が満ちた修練場に、凛とした娘の声が割って入った。

「おお……!」

「『きのえ』のお三方!」

 胸を張り、堂々と青年へ歩み寄る三人の姿に、すでに倒れた者たちが希望の光を見たように顔を輝かせる。

 直志に声をかけた半弓をたずさえる娘を先頭に、槍を持った細身と太刀を手にした中背の二人が左右を固める。

 いずれもみな見目麗しく、年若い娘たちだった。

「南条家退魔衆、甲班班長の南条弥生やよいと申します。わざわざご足労頂いた場にて、家のものが不甲斐ない姿をお見せしたことまずはお詫びを――」

「余計な口上はええわ。次はキミらなんやろ? さっさとかかってき」

 しかしその姿にも挨拶にも別段心を動かされた様子もなく、青年――葛道直志なおしは言葉を遮った。

 余りの無体に呆気に取られた弥生だったが、すぐに表情を引き締める。

 平静を装おうとはしたものの、内心の不満を完全に隠せてはいなかった。

「口だけのも格好だけのもいらんねん。肝心なんは本物かどうか、そんだけ」

「我らが本物ではないとおっしゃる?」

「それを証明しろ言うとんのやけど、聞こえんやった? 言葉って難しいなぁ――ま、ボクの見立てが間違ってたらあとでなんぼでも謝ったるわ」

「――では、そのご用意を」

 三人が身構える。

 青年は手のひらを上に胸の高さまで右腕をあげ、往年のアクションスターのように五指を曲げて手招きした。

「参ります」

 先陣を切った千早ちはやは、一丈を越える槍を片手で軽々と振り回す「金剛力」の使い手、見た目にそぐわぬ怪力の主だ。

 疾風迅雷の異名を取る直志相手にはスピードではかなわなくとも、その力が活きる時は必ずある。

「お覚悟をッ!」

 その役目を担うのが三人の司令塔であるあずさ、一流の剣士であり九字護身法にも通じている。

 そうして二人に前を任せ、獲物をしとめるのが弥生の役目だ――今日に限っては文字通り一矢報いるにとどまるかもしれないが

 体術では二人に劣るが、生来の霊力量を活かした射の威力には自負がある。

 主家のものとして二人に並び恥じることのないように研鑽は怠らなかった。

 関西最強の名は、伊達や酔狂ではなかろうが、それでも私たちをみくびったこと悔やませてみせる――!

「うああぁぁッ!?」

 その意気で臨んだ一戦、牽制として突きだした槍を掴まれた千早が、自らの武器を梃子がわりにぽぉんと宙に放り投げられたのが班の崩壊の始まりだった。

「千早ッ!」

「っ、臨・兵・闘・者――――」

 それを見た梓が慌てて九字を唱えつつ印を結ぶ。

 千早が前衛として壁になりつつ、梓の不動金縛りで敵の動きを止め、弥生が仕留める。それは甲班の定石であったが、今回はいかにも札を切るのが早かった。

 敵に余力が残っているどころの話ではない。

「く――!」

 慌てて弥生も弓を引き絞って、霊気を練る。

 千早はすでに立ち上がっているが、その構えは迂闊に踏み込めないと見たか守りを考えたものだ。

 ならばかわりに梓の助けとなる、相手の気を引く一手が必要だろう。

「――在・前ッ! 不動金縛り!」

 しかしその援護を待たずに、九字は切られた。

 援護の動きに気づかなかったはずが無いだろうに、むしろさらに発動を急いだようにも思える。

「梓……っ?」

 慌てて弥生は弓を構えなおし、改めて必殺の一矢のために霊力を更に練り上げようとした、しかし――

「ヌルいなぁ」

「な――!?」

 直志が右手の指を鳴らした。

 パチンという軽快な音、ただそれだけで九字の呪を唱え九つの印を結んだ梓の術があっさりと霧散する。

「わざわざ時間あげてもこれかいな、キミらも期待できんなぁ」

 そこで弥生は、今さらに自分たちの決定的な見落としに気づいた。

 葛道直志は関西最強の退魔師だが、最高の術者ではない・・・・・・・・・

 彼の真骨頂は鬼をも打ち倒した肉体強化の上での格闘戦にこそある。

「こっから十秒」

 しかしその真価を活かすために一点、破術――相手の術を破ることに関しては疑いなく最高峰の力量にあることを。

「そんだけ耐えたら、褒めたるわ」

「がッ!」

 千早が両脚をまとめて払われ、体が浮いたところを蹴りが突き刺さる。

 そのまま彼女の体は冗談のように修練場の端まで飛んでいく。

「ぎゃっ!?」

 次に襟首をひっつかまれた梓が五百四十度、一回転半を片腕で軽々と振り回されて、千早とは逆の壁に叩きつけられて悲鳴を上げた。

 倒された二人はもちろん、直志と離れている弥生にさえそれらの動きの全ては目に写っていてもしっかりと追えはしなかった。

「おつかれさん」

「~ッ!?」

 すぐそばで聞こえた声に身を強張らせた直後、弥生の視界はぐるりと回り気づけば空を見上げ――腹部を貫く強烈な衝撃に意識を手放していた。


 §


「雑っ魚。やめたら? 退魔師」

 勝者の言葉は、あっけない決着に相応しい無感動なものだった。

 修練場の空気はもはや奈落の底のように落ち込んでいる。

 一度希望を見たからこそ、絶望はさらにその深さを増していた。

「この程度の実力でさっきの態度なん? 甘やかされとんのにもほどがあるわ」

 まさに鎧袖一触。

 苦も無く甲班を一蹴した関西最強の男はもはや呆れも通り越したのか、いよいよ関心をなくした顔と声でそう言った。

 ぴっと立てた指でまずは千早を指さす。

「キミ、力比べで負けてアカンと思ったんやろけど、ビビりすぎ。早々に攻めを捨てて守り一辺倒。相手からすりゃ怖いことあらへん、置物と一緒」

「……くっ」

 小さく呻いた千早に構わず、視線は次に梓へと移る。

「ほんでキミはそれにつられて焦りすぎ。小器用にあれこれできるみたいやけど、そもそもの判断を間違まちごうてたらなーんもならんわ。宝の持ち腐れ」

「うぅぅ……」

 がくりと梓の肩が落ちる、両者ともに返す言葉もなくうなだれている。

 揃って二級に至った自負は、南条家の未来と呼ばれた誇りはあっという間にへし折られてしまった。

 けれど、これは終わりではない。

 幸いなことに敗れはしても自分たちは生きている。

「二人とも、顔をあげましょう。これを教訓にもう一度――」

「イヤイヤ、一番アカン君の言うことやないわ、なに他人事みたいにしとん」

「――え?」

「こっちの二人はまぁ未熟なだけ。焦んのもビビんのも、慣れと経験でなんとかならんこともないわ。でも根本的に思い違いしとるアホはダメや。強なったところで増長するだけ、むしろ有害やね」

 そう言い切った直志の声には挑発の意図は見えない、ただ事務的に事実を指摘している。そんな空気があった。

「な、なにを。私がアホ……? 何の思い違いをしていると……?」

「言われなわからんの? あんな、この三人でキミが任されとる役目は?」

「それは、敵をしとめることですが……」

「せやろ。やのにチラチラ攻めっ気のぞかせて、仲間の気ィ散らしとんのはなんでなん?」

「え」

 弥生が視線を向けると、千早と梓の二人は硬い顔で視線を逸らした。

 その反応はとりもなおさず直志の言葉が正しいことを証明している。

「あ、あれは援護のために……」

「イヤイヤ、お仲間二人は悪いなりに相手を抑えようとしよんのに、とどめを任せるはずのキミが仕上げの前から自分の存在アピールしとるんやで?」

 これをアホやのうてなんて言うねん、と直志は続けた。

「キミが自分を見せるのは最後の最後、勝負が決まるときだけでええねん。やのに出しゃばってアホ丸出し、それを注意もせんと今まで放っとんのも大概や」

 蹴散らされた一族の敵討ち、そのつもりで臨んだ戦いであっさりと敗北し、その上で自分が一番の足手まといだと告げられた。

 三人で積み重ねてきたもの、それら全てを否定された気さえした。

 そう思った瞬間に、説明のつかない感情で一気に顔が熱くなる。

「わた、私は二級退魔師で、この南条家の――!」

「ええとこのお嬢なんがそない自慢やったら、大人しゅう学生さんやっときや」

 反射的に出かけた言葉を遮られたのは、むしろ幸運だったろう。

 口に出した瞬間に後悔するような、無思慮で無分別な感情的な反発。

「な、な――……!」

 それが引っ込んだのは、より大きな怒りによってだったがそれでもまだマシだ。

「お友達との退魔師ごっこ・・・・・・なんて大火傷する前にやめたらええ」

 しかし直志が親切で遮ったわけでなかったことは、侮蔑を隠そうともせずに続いた言葉で知れた。

「ほんで同級生相手に流行りのスイーツがどうの、ブランドのバッグがどうの、新作のコスメがどうの好きなだけいちびっとっはしゃいでたら? ようお似合いやで」

「わ、私だって退魔の家に生まれたものです、そのようなことに興味はありません! ごっこなどでなく、私は真剣に――!」

「それやったら役目をきっちり果たさなあかんやろ。今のままやったらキミ、そのうちこの子ら犬死させるで」

「な――!?」

「大げさや思っとる顔やね、それが間違いやねん。二人はな、いざとなったら機会を作るために死ななアカン。やのにキミがそれに備えてへん」

 そんな、と言いかけて、弥生はまたも二人が直志の言葉を否定していないことに気づいた。

 本当にギリギリのところで、気づくことができた。

「キミが守るべきなんはこの二人やない。お友達・・・とキミ自身の命と引き換えにしても、顔も名前も知らん一般人を守るんがホンモノの退魔師や」

「――……」

 あぁ、そうか――

 すとん、と胸に落ちた。

 二人はきっととっくの昔に覚悟していたのだ。

 退魔師としての務め、果たすべき役割、真に守るべきもの。

 自分が、忠誠を捧げられる主家に生まれた自分だけがそれを理解していなかった。

 仲間たちの覚悟も、献身も、自分への信頼もなにもかもを――

 今顔を熱くしているのは怒りではなく羞恥の一色だった。

「そんでお嬢ちゃん、どないすんの?」

 しかし青年はそんな弥生にうつむくことさえも許さない。

「……え?」

「続きやんのかどうか聞いてんねん、ホンマ鈍い子やなあ」

 視線が合う、関西最強の青年は意地の悪い笑みを浮かべていた。

 面白がっているような声に、しかしある種の期待・・を感じてしまうのは弥生の思い違いだろうか。

「あんな? 今日はボク、ボランティアで来とるねん。やからまぁお義理・・・で時間いっぱいまでは付きうたってもええで」

「「おねがいしますッ!」」

 弥生よりも早く、千早と梓が声をそろえて叫んだ。

 その表情に暗さは少しもない。

「二人とも……」

「やりましょう、お嬢様」

「言われっぱなしじゃ終われませんよ! こんなちょっと強くてイケメンだからって女の子のお腹殴って悦に入ってるような人に!」

「なんや、顔殴られる方が好みやった? 言うてくれたらええのに」

「やめてください!?」

「――ふふっ」

 悲鳴を上げる梓に、思わず口元が緩んだ。

 力の差を見せつけられたとはいえ、何を深刻になっていたのだろう。

 自分たちはまだ強くなれる、何も失ってなどいない。

 つい先ほど二人にそう声をかけようとしたのは自分だったというのに。

「――私からもあらためてお願いいたします、葛道様」

「ちっとは鍛えがいのありそうな顔んなったわ――ほな、ちょい本気出すけど精々心折れんように三人とも頑張ってな?」

「えっ」


 ――それから三人を待っていたのは、いっそうの地獄だった。

 あやかしに嬲り殺される仲間たちの姿を弥生は何度となく幻視した。

 そうしてそれに堪えきれず動こうとした瞬間に、直志はその心の弱さを咎めるように容赦なく刈り取りに来る。

 ただひたすらに自分か友のどちらが死ぬかを選ばされ続けるような拷問にも似た、いやまさに拷問そのものの時間。

 それは十数度目にしてようやく、弥生の放った一矢が直志に防御の動きを取らせたことで終わりを告げた。

「――ま、これで多少はマシな雑魚になったんちゃう」

 さすがに汗はかいているものの、青年にはまだまだ余力が見えた。

 この人と自分たちの間にはいったいどれほどの距離があるのか――

 もはや立ち上がることもできない三人は、ただ直志を見上げてそう思う。

「ありがとう、ございました……あのっ――」

「ああ、南条さんとこのお嬢さん。お名前はなんやったっけ?」

 細めた目の奥が、今日はじめて弥生に関心を持って焦点を結ぶ。

 疲れからいつまでも落ち着かない心臓が、いっそう大きく跳ねた気がした。

「弥生です。旧暦三月の、弥生……」

「弥生ちゃんな、今後もまぁ精進しいや。もうボクが呼ばれんこと願っとるわ」

「――はい、今日は本当にありがとうございました」


 後日、突如として高槻に現れた中妖三体を相手に、南条家退魔衆甲班は二人の重傷者を出しつつもこれを討ち果たすことに成功し、面目を大いに施した。

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