ピュグマリオーンの陶酔 下

「――なぁなぁお兄さん、カットモデルとか、興味あらしまへん?」

「おん?」

 唐突にかけられたそんな言葉に、戸惑うよりもむしろ驚いたことを覚えてる。

 シンプルな白いブラウスにスキニーな黒のパンツという清潔感のある服装は、なるほどカットモデルという単語からは頷けるものだ。

「あんなぁ? ウチ美容師の専門学校通うてて、今カットの練習させてくれはる人探してん」

 派手な金髪もメイクも年齢的にはなんらおかしくない。

 しかしそこにコテコテの京ことばがあわさると、途端に要素の結びつきがほどけてしまって思考がまとまらない。

 まるで未知の生物に遭遇したような、そんな衝撃だった。

「見たとこお兄さんちょお伸びとるみたいやし、お礼はそんな出せへんけど、お代はもちろん結構やし! ね、どないです?」

「はぁ、最近のマルチ勧誘ってこないなパターンもあるんや」

 やっとしぼりだせた言葉に、娘の反応は劇的だった。

「はあ!? そんなんとちゃいますー! ちゃあんとしたカットモデル探しですー! なんなんお兄さん、イケズやわぁ!」

 綺麗めの顔がぷりぷりと口を尖らせていると途端に幼い印象に変化する。

 ――面白オモロい子ぉやなあ。

 気づけば笑みを浮かべてOKしていた――それがもう半年近く前になる土見つちみメイとの出会いだった。


 §


「――直志なおしくん、眠たなってきた? 大丈夫?」

「あぁ、いや、ちょい考えごとしててん」

 しゃきしゃきと心地よいハサミの音が閉店後の静まり返った店内に響く。

 メイの研修兼バイト先である美容室は席が二つしかない個人経営の小さな店で、アルバイトを雇う余裕がよくあるなと思えるほどに商売っ気が薄い。

 今日も閉店時間の十九時にあわせて来れば、すでに店の明かりは落ち、メイが預かっている鍵で店に入ったくらいだった。

「ふうん、また別の女のひと?」

「またて。ちゃう違う、メイちゃんとはじめて会うたときのこと思い出してん」

「ああマルチの勧誘扱いしはったときの?」

「それ」

「あんときはほんまイケズな兄さんやなってウチビックリしたわぁ。仮に思ってもこないなこと口にしはる? って」

「いやいや場所が悪いわ、あっこの広場とかナンパの定番やん?」

「そんなん、まだキタのこととかよう知らんころやし、人がようさんおるところ選んだだけやし」

「それにメイちゃんくらいの美人に声かけられたら、警戒するのもしゃあないわ。なんぼボクがイケメンやいうてもやで?」

「まーた調子のええこと言うて――まぁでも? ウチも声かけたあとでこん人で大丈夫やろかってビビってたからお相子かもしらんなあ」

「そないなお相子ある? ボクのことどない風に思ってたん」

「背ぇは高いわお顔もええわ服も上等やわ、おまけに女慣れしてはるし。これウチだまくらかして身ぃ崩させたあとお風呂に沈められへんかなあって?」

「ひどない? そないなこと思ってたんや……」

「まあ言うても、それも九月くらいまでの話やし」

「ついこないだまで思っとるやんけ! なんでやねん!」

「きゃあー……あ、直志くん、襟足切るからちょお下向いてな」

「ハイハイ」

 右に左に位置を変え、ときおり手を添えハサミを添え出来栄えを確かめるメイの手つきは上達と慣れを感じさせるものだった。

 もとより髪にこだわりのあるわけでもない直志からすれば、巧拙の判断は難しいがメイ自身の成長となれば話は別だ。

 初めのころは見ている方が不安になるような硬い表情で、話などまったくできなかったのがわずか数か月で自然体で作業をこなせているのだから。

「――ん、こんなんでどない?」

「おー、ええんちゃう?」

「もー、はっきり言ってくれへんと不安なんにゃけど」

「よりによって隣の府民にそない言われるとは思わへんかったわ」

「偏見、時と場合と人にもよりますー。ね、そんなんええから、これでええ?」

「ん、お上手お上手。これでお願いしますわ」

「はーい、ほなシャンプーしますねー。こちらへどうぞー」

「ハイハイ」

 散髪用のマントから髪を落とし、促されるままシャンプー台に移動する。

 仰向けになるとガーゼが主に口を覆うように置かれた。

「メイちゃん?」

「あ、間違えたわゴメンなぁ」

 くすくすと楽し気に笑いながら、顔全体を覆う位置へと置きなおす。

 さあと水音が響く、その温度がすぐに上がっていくのが湯気で感じとれた。

「お湯加減、どないですかー?」

「多分三十八度くらい?、適温適温」

「もう、それウチが教えたんにゃろ」

 ぬるめの湯で濡れた髪にメイの細く、そして意外に力強い指が潜り込んできた。

 わしわしと頭皮から毛先にかけて薬液が擦りこまれていく。

「……前々から思てたけど直志くんの髪って綺麗やんなあ」

「そうなん? 自分ではわからへんわ」

「細めやけどしっかりしてるし艶もあるし、どないお手入れしてはるん?」

「生まれつきやない? 特別なことしてへんし」

 そう言ったものの、実際のところは霊力による身体強化が関係しているのだろうな、と直志はあたりをつける。

 古来より髪は呪術と深く結びついている、霊気による影響は大きいだろう。

「はあ、うらやましい話やわあ……ほな流しますねー」

「ハイ頼んました」

 髪の間を甲斐甲斐しく娘の指が動く。

 その心地よさがもたらす眠気に直志は力を抜いて身を任せた。


 §


「――メイちゃん、ボクもなんや手伝おか?」

 先ほどまで座っていたのとは別の席に横向きにもたれかかって、直志は掃除を続ける娘に声をかける。

 乾燥とセットも終えて、いくらか軽やかになった枯草色の髪が揺れた。

「ん、ええよ。直志くんはお客さんなんにゃから、ゆっくりしよし」

 ハンディ掃除機で床に散らばった髪を片付けるメイが、顔をあげずに答える。

「お客いうてお代払うてへんけども」

「ウチがもろたら無免許営業になってまうやろ、説明したの忘れてもうたん?」

「んにゃ? ほなお言葉に甘えて見物させてもらおかな」

 その言葉に、メイは動きを止めて顔をあげた。

 不満げに頬が膨らんでいる。

「もう、ウチのこと見ててなにが面白いん」

「いやあメイちゃんは働き者やなあ思て」

「そお? 別に普通の片づけしてるだけやん」

「なんやろ作業量とかやのうて姿勢の話やね。純粋に働きぶりが見てて気持ちええっちゅうか」

「んー? 自分じゃわからへんなあ」

 からかっているわけではないと納得できたか、メイは再び手を動かしはじめた。

 しばしのちに手は止めぬままに口を開く。

「あぁでもほら、前にウチお嬢や話した思うけど、家で自分で色々したことないし、こういうの、新鮮で楽しいのはあるかもしらへんわ」

 本人によればメイは京都の名家の生まれらしい。

 派手めの外見にはそぐわない世間慣れしていない様を思えば真実なのだろう。

 そうして人生ではじめて比較的自由を許された専門学校生としての生活は、与えられた最初で最後のチャンスらしい。

 この二年間で家の者を納得させられる就職先と、結婚相手を見つけることが美容師という夢を追うための条件。

 それがかなわなければ大人しく花嫁修業に戻り、決められた婿を取って家に入るように言われているのだという。

「ほおん、なるほどなあ」

 前時代的な、と思う一方で退魔師の世界もまた似たような価値観は残っている。

 直志自身は家の伝統に従う自分の来し方に悔いを抱いたことはない。

 けれど一方でもっと違う、そしてもっと楽な生き方を選べたのも確かだろうとは思っていた。

 だからこそ自分にはできなかった、しなかった生き方のために努力をするこの少女を眩しく思い、惹かれた――

 それだけではないにせよ、メイとの関係を通して自分にもあり得たかもしれない可能性を楽しんでいる、そんな側面があるのは否定できないところだった。

「……もう、まーた見てはる」 

 そしてやはり視線が気になるのか、ちらちらと鏡ごしに直志に視線を向けている。

 その姿に目を細めて手を振ると、鏡の中のメイはぷいと顔を反らした。

「ほんっま直志くんイケズやわあ」

「新聞でも広げて休日のお父さんしといたがええ?」

「そうしといて!」

「アカン、本気で怒られてもうた」

 くつくつと直志が喉を鳴らすと、メイの目はいっそう尖りだすのだった。


「――もう、直志くんのせいで変に時間かかってもうたわ」

「スンマセン。ほなどうしよか、まぁだ急げばご飯と映画くらい行っても、終電には間に合いそやけど」

 掃除を終えたメイが帰り支度する横で直志は時計に目をやる。

「あ、今日な。ウチ、家にはお友達のところに泊まるって言うてきてん。ヨーコちゃんにアリバイ手伝ってもろて」

「淡路から来とる子ぉやったっけ?」

「そ。こういうのちゃあんと覚えてはるのが悪い男っぽいわあ」

「言いがかりやって。第一それ言うたらお家の人に嘘つくメイちゃんも悪い子になっとるやん」

「そこはつきおうてるお人の影響やろねえ」

「否定しづらいけども、なんでもかんでもボクのせいにすんのは止めてもろて。ああ、ほなホテルもとっとかななぁ」

「あ、でもウチ今朝からはじまってもうて、今日はえっちできひんにゃけど……」

「ああ、そうなんや。ほな歩きまわんのもアレやね。食欲は? 普通に食べられそ?」

「ご飯は食べられるけど。あんまし歩くのんは……でも直志くんはええの?」

「ええのって、まぁええけども。どういう意味やろ」

「いや、ヤレへんのやったら今日は帰るわーとか言わへん?」

「メイちゃんの中のボクの印象がホンッマにひどい……!」

「だって結構お友達の話なんかやと、そういうお人もおるみたいやし」

「あー、まぁ若い子ぉらはそうなんかも知らんけど、いやそれでも男の全部が全部そうってこともないやろ」

「若い子て、直志くん四つしか変わらんやろ」

「新学生と新社会人くらいは差があるってことやで。あとそもそもそないボクってがっついて見える?」

「ん、ゴメンなぁ。確かに直志くんなら女の人には全っ然困ってへんわ」

「やっぱ棘がある気ぃするわ……ま、とにかく元々今日はボクから誘ったんやし、つきおうてもろただけでこっちは御の字や。気にせんでええよ」

「そう? ほなお言葉に甘えるわ」

「ホテルはどこがええかな……近くの飯屋で決めよか?」

「ん、別にラブホでええよ? 前からウチ、ああいうとこのルームサービス気になってん。確かカラオケもあるし、映画も見れるんにゃろ?」

「ルームサービスとかそんなご大層なもんやないと思うけど……あとまぁだ歌わせる気かいな」

「アカン?」

「――ま、メイちゃんがええんならボクはかまへんよ」

「んふふ。ほないこ、ご休憩やのうてご宿泊で。楽しみやわぁ」

 連れだって店を出る、別れを惜しむようにからころとドアベルが鳴った。

 メイがアンティーク風のドアにカギをかける間に預かったバッグを、直志はそのまま抱え込んだ。

「いうて今日はなんもせえへんで」

「男ん人の『なんもしいひん』は信じたらあかんってお友達が言うんにゃけど」

「その返しズルない? 乳くらい揉んだろかいな」

「おイタはあかんよ、直志くん」

 楽し気に言ってメイは腕を絡めて、直志を引っ張る。

 そうしている彼女は、どこにでもいる娘のように見えるのだった。

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