ピュグマリオーンの陶酔 上

 別れの時間が近づくにつれなにやら不満げな表情になっていったすずりを駅まで送って、直志なおしが次に向かったのはカフェチェーン店だった。

 駅周辺には複数の商業施設に二桁の店舗が存在していたりと、直志個人としては待ち合わせ場所にはイマイチ適切でないように思える。

 もっともそれがどこであろうと、店さえ間違えなければ探し人を探すのはいつだって簡単なのだが。

 コーヒーを手に入った店内、BGMと人の声がさざめく中で不思議とそれが落ち着いた一角がある。

 そして今日もその中心にいるのは、二十歳前後の染めた金髪の少女だった。

 二人掛けの席を一人で使い、空席にはカチッとした方形のバッグを置いて、無表情にスマホをじいっと眺めている。

 緩くウェーブのかかった髪も、派手目のメイクもそこらにいる同年代と大きな差があるわけではない。

 顔立ちは整っているが「誰もが振り返る」というほど大げさでもなかった。

 コートを脱いで白いブラウスとシンプルな黒いパンツの服装は、スタイルの良さを引き立ててはいたが地味といって差し支えない。

 にもかかわらずなんとなく周囲の声を潜めさせ、視線を集める。

 土見つちみメイはそんなカリスマとでも呼ぶしかない空気をもっている少女だった。

「お嬢さん、相席ええですか?」

「――直志くん」

 そんな彼女が声をかけてきた相手は誰か気づくと、周囲に無関心だった美貌に花咲くような笑みを浮かべる。

 まるで彫像に命が吹き込まれるような、この変化の瞬間が直志は好きだった。

 ガラテアが動き出したときのピュグマリオーンはこんな気分だったのだろうか、などとガラにもないことを考えるほどに。

「どうぞどうぞ」

 重たげなバッグを手元に引き寄せ、空けた席をメイが示す。

「ほな失礼して、待たせてもうた?」

「ううん、ウチも今来たとこ」

「それは嘘やろ」

 以前のデートで買ったクマの形をした透明なタンブラーに、中身はもう半分ほども残っていなかった。

 それを指摘すると悪戯がバレた子供のような表情でメイは舌を出す。

「ふふ、そやけどこれ一遍言うてみたかったんや」

「本懐かなってなによりやね。ほな今日はどこ行こか。ご希望は?」

「んー、とりまカラオケとか?」

「カラオケかぁ……」

 自ら聞いておきながらも、提示された行き先に直志はわずかに言葉を濁した。

「あかん?」

「いや、ええんやけどね。毎度三十分はぶっ続けでボクに歌わせるんはちょい非人道的や思わへん? しかも振り付きやで」

「そやけど直志くん動画見せたらすぐ完コピしはるやろ? ウチそれが面白おもろうて面白うて」

「完全に見世物やん、お代とったろかいな。家のもんの目ぇ盗んで練習すんの結構大変なんやで?」

「ふふ、もう直志くんのその姿想像するだけで面白いわあ」

 鈴が鳴るような声でメイは笑う。

 髪型とメイクには不似合いな、けれど違和感は覚えない上品な笑い方だった。

 机に頬杖を突きながら直志はことさらに情けない表情を作ってみせる。

「勘弁してほしいで、ホンマ」

「でもそないしてまで覚えはった芸、お披露目したくなるのんが人情ちゃう?」

「それはまぁあるけどもやね。もういい加減こっちもネタ切れなんよ」

「別に毎回毎回新作やのうてもええのに」

「そこはボクの意地が許さへんねん」

「難儀やねえ。ちなみに直志くんに歌って踊ってもらお思たらなんぼになんの?」

「そこはお気持ち次第やね」

「ほなー……一万五千円イチゴくらい?」

「変に生々しい金額はやめてもろて」

「ほんなら奮発して五万円!」

「いきなりディナーショーのええ席みたいになったなぁ。それさすがにトークやらも挟まなあかんくない?」

「普段から直志くん色々お話してくれはるけど」

「つまりボクは天性のエンターティナーやった……?」

「でもウチあんま自由になるお小遣いあらへんから、程ほどのサービスとお値段でお願いしたいわあ」

「そんなメイちゃんに朗報なんやけど、なんとカラオケの後でご飯も一緒してくれたら無料になるらしいで?」

「わぁ、めっちゃお得やねえ。かわりにウチなにされてまうんにゃろ」

「そこもメイちゃんの気分次第やね」

「直志くんの、やのうて?」

「そこはボク、こう見えて紳士で通ってんねん」

「ふふ、わっるいヒモみたいな雰囲気してはるのになあ」

「最近はすっかり言われ慣れてもうて、そんくらいじゃこたえへんよ」

「ほな、何人の子ぉは紳士や言うてくれとんの?」

「おおっ、とぉ……」

 歓談の中ですっと飛び出してきた鋭い言葉に、滑らかだった直志の口が止まる。

 テーブルに両肘をついて、組んだ指に顎を乗せながらメイは微笑んだ。

「ええんよ? 男ん人の甲斐性やもんなぁ。ウチはちゃあんと遊ばれとるだけやわかっとりますから。でもなあ、そのうち直志くん本気にさせたお人に刺されはるんやないか、それだけが心配で心配で」

「そない言い方されるとボクが何人も女の子弄んでるみたいで人聞き悪いやん?」

「そやけど今日もデートに別の人の匂いさせて来よるしなあ? あーあ、いつかの埋め合わせやいうても誘ってもろてウチ嬉しかったんになあ」

ちゃうねん、メイちゃん。これにはふかーい理由があんねや」

「ほおん、なんやろ」

「スケジュールが詰まってて匂い消えるほど時間空けられへんやってん」

「何のいいわけにもならへんわぁ、しかも前からのねえさん・・・・とはまーた別の子やし。いったい何人囲ってはるの?」

「メイちゃぁん」

「――うそうそ、ほんまに怒ってへんよ。そもそもウチと直志くんはただのお友達つれやし。ああやこおやうるさく言われへんわ」

「のわりには言葉の端々に棘を感じるんにゃけども」

「それは多分、直志くんにやましいところがありはるからやろねえ」

 くすくすと笑みを深めるメイに、直志は両手をあげて降参の意を示した。

「わかりました。三十分でも一時間でもメイちゃんの聞きたいんを歌って踊りますさかい、そろそろ勘弁したってや」

「あら、ええの? なんや悪いわあ、催促したみたいなってしもて」

「いやいや、これ全部ボクの自発的なサービスですよってお構いなく」

「そお? でも疲れたら遠慮なく言うてな? ご休憩も大事やよし」

「メイちゃんの優しさは五臓六腑に染み渡るで」

「ほな直志くんエスコートして? うぶなお嬢さんをやり手のホストが篭絡ろうらくするみたいに優しく丁寧に、な?」

「またよりにもよっての例えやなぁ……」

「ふふふ」


 §


「――――」

 ダン、と靴音を響かせてポーズを決めた直志に遅れること少し、それなよりなお大きな伴奏の最後の一音が部屋に響いた。

 それが完全に消えゆくと歌詞を表示していた画面が待機モードに写り、薄暗い中に光線をおどらせていたカラオケルームの明かりが通常に戻る。

「きゃー、直志くーん♪」

 歌唱を担当していたメイの拍手を合図に、ぴたりと動きを止めていた直志がポーズを崩し、大きく息を吐いた。

「っはぁ~~~、しんど……いやいやメイちゃん、毎回言うとるけど、締めにつかう曲ちゃうでコレ」

 愚痴っぽく言いながら直志はメイの隣へ腰かけると、テーブルのグラスに手を伸ばした。

 ストローを抑えながらグラスに直接口をつけてウーロン茶を喉へ流しこむ、カランと大ぶりな氷が音を立てる。

「ええ~、めっちゃ面白かったやん? 直志くんもノリノリやし」

「辛気臭い顔でこれ踊ったらシュールすぎひん?」

 五年ほど前にMVのダンスと合わせて流行ったユーロビートのカバー曲は、さすがの直志もダンスと歌を両立させるのが厳しい難物だった。

 というわけで歌はメイに任せたのだが、笑い上戸な彼女は途中で笑いだすし、そもそも服装が激しいダンス向きでないのもあって消耗がひどい。

 なにより、この曲がもう毎度の定番となっているのが辛いところだ。

「じゃあウチのこと、こない頑張って楽しませてくれてありがとうなぁ」

「うっわ、ここでそれはズルいわ……なんやメイちゃん、手慣れてきてへん?」

「なんかなぁ、ウチのお友達はんは不二子ちゃん? 好きらしいんよ。そやから悪女っぽくしたら喜んでくれはるかなぁって」

「もうぽいとかやなくて本物に両脚つっこんでへん?」

「あかん?」

「あかんことないけどやね……お嬢さんになに教えとんのやってお家の人に怒られそうでなぁ」

 大げさに直志が肩をすくめると、くすくすとメイが笑う。

 男の腕を一度持ち上げると、自分の肩へ回すように置いた。

「それこそ、今更の話やろ?」

「たしかに」

 陽性の笑みにじわりと情欲の色を混ぜて、メイは男の胸に頭を預けてわずかに顎をあげる。

 無言の要求に直志は唇を重ねて応えた。

「ん――――ふふっ」

 顔が離れるとメイはくすぐったげに笑いを零した。

 目を閉じて体の力を抜くと身を寄りかからせる。

「――なぁなぁ直志くん、なんや面白い話して?」

「おおっとぉ、関西人に一番したらあかん前振り来よったな……」

「あかん?」

「いや、なんやかんや言うてボクもなにわの男や。挑戦からは逃げられへん」

「直志くんとこ、吹田やっけ?」

「せやで、なにわナンバー。ボク免許は持ってへんけど」

「そうなん? めっちゃお高いスポーツカー乗り回しとるイメージやったわ」

「ほんで女の子ひっかけとるって?」

「うん」

 間髪入れない返事に、墓穴掘ってもうた、と直志は苦笑する。

「んーと面白い話なぁ……あぁ、そや中学んときにハルカちゃんってクラスメイトがおってな? 頑張り屋の明るい子ぉでな、母子家庭で結構苦労もしはったそうなんにゃけど、全然そんなん感じさせへんねん。親子めっちゃ仲もようてな?」

「うん」

「ほんで、その子がある日お母さんの再婚決まった言うてん。みんなでおめでとー、良かったなー言うて本人も喜んでたねん」

「うんうん」

「それがちょっとすると『だまされた』『うちも結婚してはよ家出たい』とか言いだしよるん。でも理由を聞いても言わんねん。こらなんかあったんちゃうかって仲のええ子らが心配して聞きだしたらな? ――ハルカちゃんのお母さんの再婚相手が『阿倍野あべの』さんやったんやって」

 落ちから一泊置いて、メイはきゃらきゃらと笑い声をあげた。

「――ええ~、嘘やあ。今絶対作ったやろ」

「いやいや、これがホンマにあったことやねんて。まさに事実は小説より奇なりっちゅうやつやね」

「ほんまぁ? ほな今そのアベノハルカさんはどないしてはるん?」

「開き直ってハルカスの百貨店で働いとるで。ショップの店員。面接の時にここで働くためにオカン再婚させました言うて大ウケやったらしいわ、一発採用やって」

「そこまでくるといよいよ嘘っぽいわあ」

「いやホンマホンマ。なんなら今度二人で確かめに行こか?」

「ん――それはうん、ええかもね」

「で、どない? 採点は?」

「うん、面白かったわ。ほんでそのハルカさんは直志くんの元カノ?」

「ちゃうで? ただのクラスメイトやって」

「あ、そこは嘘つくんや。中学のころやろ? わざわざ隠しはるんなら、こら絶対見に行かなあかんわぁ」

「メイちゃぁん」

 直志が今日何度目かの情けない声をあげたところで、部屋の電話が鳴った。

「あ、ウチが出るな」

 先んじて立ち上がったメイが受話器を取る

「――はい、はい。ほなもう出ます、ええ、延長なしで」

(そう言えば、最初のころはなんやおっかなびっくりやったなあ)

 直志自身カラオケはメイと付きあう前は中学時代までさかのぼるほどに縁がないところだったが、彼女の当初のリアクションは完全に初心者のそれだった。

「直志くん、五分前やって」

「ハイハイ、ボクはいつでも出れるで。そんで次はどこに行くん?」

「決まっとるやろ――ええところ」

 そう言ってメイは小悪魔っぽい笑みを浮かべた。

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