邂逅編 4:我が問いに応えよ狼

「――やぁ直志なおし、奇遇だね」

 黒い手袋をはめた右手を軽くあげ、特徴的な少し掠れた声であいさつをしてきたのは美しい青年だった。

 黒いハイネックのインナーに暗色のスーツとクラシックスタイルのトレンチコートをあわせ、腰には大小二つの刀を差している。

 身長はちょうど直志とすずりの間くらい、百七十の後半といったところか。

 肩上で切った黒い髪は左右非対称に伸ばされており、右の前髪は目にかかるほど長く、耳の横で一房だけ伸ばした髪を細い三つ編みにして垂らしている。

 色白の肌が、柔和で中性的な美貌と左目の泣きぼくろを引きたてていた。

「こないな奇遇があってたまるかい。何の用や、唯月いつき

「久しぶりに会った友人に対してひどいなぁ、これくらい普通の挨拶だろ」

 とげとげしい直志の言葉をさして気に留めた様子もなく、一級退魔師壬生みぶ唯月は笑って流した。

「はン、ボクに連れションもしたことない友人ツレはおらんわ。ほんでまぁ、あいっかわらず過保護にされとんなァ」

 唯月の頭の上からつま先まで視線を動かして、直志は鼻を鳴らした。

 霊気に焦点をあわせれば、唯月が身に着けているのは戦地におもむくかのようにいずれも強力な呪具の類だと見てとれる。

 その輝きは目もくらまさんばかりに強烈だった。

「おれもそう思うけどね、まぁ備えあれば憂いなし、さ――それで、そちらの可愛かわいらしいお嬢さんは? 恋人?」

「はい、そうです」

「ちょいちょい、すずりちゃん?」

 食い気味に同意した娘に目を向けると彼女はしれっとした表情で顔を逸らした。

「恋|(してる)人であってるじゃないか」

「そないな無法の名乗り許しとったら、世の中関係性の交通事故で刃傷沙汰あふれてまうで」

「私がなにかするまでもなく刺される可能性は大きいだろう」

「刺しに来る最有力候補がそれを言うんはもうただの犯行予告なんよ」

「待て、私のことをそんな風に思ってるのか!?」

 くすくすと品のいい笑い声が通路に響く。

 直志に噛みつかんばかりに食ってかかってきたすずりが顔を唯月に向けると、口元を手で押さえた青年は軽く頭を下げた。

「いや失礼、二人とも仲がいいなと思ってね」

「お前もなにわろてんねん……はぁ、こちら紫雲しうんさんとこのご長女のすずりちゃん。今ボクが鍛えとるんや。すずりちゃん、こっちゃ滋賀の壬生唯月」

「あぁ、直志が学生さん手籠てごめにしたって話、本当だったんだね」

「人聞きわっるぅ」

「違うのかい? あらためて初めまして、すずりさん。壬生唯月です」

 友好的な笑みを浮かべながら唯月は手袋を外した右手を差しだした。

 今しも隣で苦い顔をしているすずりの思い人の笑いとはまったく違う、見るものにさわやかな印象を与える笑みだった。

「直志さんに手籠めにされた紫雲すずりです。唯月さんのお噂はかねがね」

 そうして互いにその美貌には不似合いな、剣を握るものの武骨な掌にシンパシーを覚えつつ握手を交わした。

「すずりちゃんも半端によそ行きの顔しながら乗るのやめよか? 本気にされたらどないしてくれんの」

「面白い子だね、直志」

「お前もそれで済ますなや。なんやねんさっきから二人がかりで人の名誉棄損してくれよって」

「ナオ兄に強い以外の名誉が残ってたか……?」

「でも実際、すずりさんにはしつけ・・・までしたんだろう? あぁ、事実でも名誉棄損は成り立つんだっけ」

 畳みかける二人に焦ることなく、旗色悪しと見て直志はすぐに逃げを打った。

「そこは黙秘させてもらうわ」

「責任から逃げるな……!」

 湿度の高い視線を向けてくるすずりからは目を逸らして、再度の問いを唯月に投げかける。

「ほんで、どないしたんやこんなところで」

「前々から本家に梅田の視察は頼まれててね。たまたま今日になったんだけど、そうしたら直志も潜っているって聞いたから声をかけただけだよ」

「さよけ、ほなそのさわやか面も拝ませて用は済んだわけや」

 しっしっと犬でも追い払うように手を振ると唯月は面白そうに目を細めた。

「そこまで邪険にされるとかえって居座りたくなるね。あぁ、でもすずりさんのお邪魔になっちゃうかな?」

 ええ根性しとるわ、とボヤく直志をよそに、すずりは問いに首を横に振る。

「いえ、どうせ色気も何もない状況なので。それよりナオ兄の交友関係を知れる方が大事です」

「おっと裏切り者発見伝。そない期待してもご大層なネタなんかコイツからは出てこんで?」

「いや、すでにわりと珍しい姿が見れているんだが……」

「同感だねえ。直志が人の面倒を見られるはずないと思ってたのに」

「なんやボクに対する深刻な風評被害を感じるわ」

「「いや、事実だろう?」」

「ククク、声までそろえて酷い言われようやな。まぁその通りやからしゃあないけど――なんやこれ仕込んでんの? カメラどこ? 配信やったらNGやで」

「ごくごく自然で妥当な感想だと思うが……」

「直志は本当に色々と雑だからねえ」

 しみじみとした様子で唯月がそう零した途端、すずりがぴしりと動きを止めた。

 恐る恐る、と言った様子で口を開く。

「――あの、私時々そのナオ兄に雑だって指導されるんですが」

 何ならそれはつい先ほどにも言われた言葉だった。

 唯月は直志と同じ一級退魔師、その分析となるとにわかに心配になってくる。

「あぁ――それは精度についての話なんじゃないかな。直志の場合やり口がおおざっぱでも、基本はしっかりしてるから」

「やり口がおおざっぱってなんやねん、具体的に言えや」

「そうだなぁ。例えば薪に火をつける時、普通の術者はまず木を乾燥させ、火口ほくちを作って、それに火花を飛ばして着火する――みたいに手順を踏むとするだろう?」

「はい」

「おう」

「直志の場合は薪の一部をマーカーで黒く塗りつぶして、そこに虫眼鏡をかざして、目から強烈な光を発して燃やす、みたいなおおざっぱさだよね」

「それは――」

 なるほど、それは雑としか言いようがない力技だった。

 いっそ木の棒を手回しするきりもみ式の火おこしが何倍も文明的に思えるかもしれない。

「自覚もあるうえに例えがちょいおもろいから反論しづらいわ……ほんですずりちゃんも『確かに』みたいな顔するのやめへん?」

「まぁこの業界って保守的だから、効率が悪い古くて雑な術をあえて・・・使うこともなくはないけど、直志はそうじゃないしね」

「――ボクな、男の価値はどんだけ過去にとらわれんかで決まる思うてんねん」

「結果が同じなら過程にこだわらないって考えもわからないでもないけどね」

「いいように言って逃げたな……」

「さっきからなんやねんすずりちゃん、キミどっちの味方なん? こんな京都のオマケ民の肩なんぞ持つことないで」

「やれやれ、なんで府民はそうも気軽に滋賀をディスるのかな。どこのおかげで水に困ってないと思ってるんだい?」

「はン、滋賀作しがさくは二言目にはすーぐそれや。ホンマ芸のないこっちゃで」

「――やっぱり仲、いいんだな」

 軽快に憎まれ口をたたきあっていた青年たちは、低い少女の声に思わず顔を見合わせた。

「おっとすずりちゃんのヤキモチに火ィついてもうた。オマエのせいやぞ唯月」

「これは多分直志の日頃の接し方に問題があるんだと思うよ」

「誰が正論言えいうたねん」

「自覚があるんじゃないか」

「まだ私の前でイチャイチャ続けるのか……?」

「あ~、ほなすずりちゃん予定外に休憩長くなってもうたし、これ貼りながらちょいと奥まで行ってきてや。分かれ道やら符が無くなったら戻っといで」

「おい、ナオ兄。雑に私を追い払おうとしてるだろう」

「してへんしてへん」

「なら二人っきりで何をするつもりだ……!?」

「サブイボ立つような邪推やめてもらえん? あー、ほらなんやボクの昔の話とか聞きたいんやったら、あとでいくらでも聞かせたるさかい。お仕事しよや、な?」

「――絶対だぞ? 言質は取ったからな」

「ハイハイ、行ってらっさい」

「気をつけてね、すずりさん」

「はい、ありがとうございます。では」

 唯月に丁寧に頭を下げると、すずりは振り返らずに通路を進みはじめた。

 この切り替えの早さは間違いなく長所やな、と直志は思う。

「――いい子だね。八家はっけのご長女さんだ、もう少しクセが強いかと思ってたけど」

「ま、紫雲さん家は元々人格面は業界でも上等なところやし。不思議やあらへん」

「同じ大阪に関西一の武闘派かずらみちがいるのもあるのかな」

「そうかも知らんな――そんで? 何の用やねん、唯月」

 視線はすずりを見送った通路の先へと向けたまま、直志は問う。

 まるで通路の温度が下がったかと錯覚するほどに声は冷たさを帯びていた。

 三度目の問いかけにはこれ以上うやむやにはさせぬという意思がこもっている。

「二つある、一つは注意喚起。うちが管理していた山で社が荒らされてね、ご神体が盗まれた」

「モノは?」

「白蛇の脱け殻、本来は祟る類のものじゃないが、かなり古いものだ。力は強い」

「ほうか、ウチのもんにも用心するよう伝えとく。なんや掴めたら連絡するわ。本家宛てでええんか?」

「ああ、それで頼むよ」

「ほんで、もう一つは?」

「――可愛い子だったね、すずりさん」

 バチィと空気が悲鳴を上げた。

 風が渦を巻くような首を狩る上段蹴りは、それを受けんと抜き放たれた唯月の刀に触れる直前で止まっていた。

「おう、もう三回聞いたで? 同じこと何度も何度も言わすなや」

「相変わらず乱暴だな、少しは丸くなったかと思ったのに」

「女の子連れて喧嘩するようなみっともない真似できるかい。それをええことにのらりくらりとはぐらかしよって、イラつかせてくれるわホンマ」

「悪かったよ、旧交を温めたい気持ちは本当なんだけどね」

「さよか、ならこっちからも話振ったるわ――オマエ、こないだの体たらくはなんやねん」

「大津の件なら、言い訳は何もない。おれの力不足だ」

「ずいぶん簡単に言いよるなあ。ボクの本気の蹴りに反応できる一級が、叡山の坊さんと一族のもん引き連れて、たかが・・・中妖三体相手に力不足やて?」

「ああ、非才を恥じるばかりだよ」

 謙譲とも卑下とも取れるその一言が、いよいよ直志の逆鱗に触れた。

「才能の話しとるんとちゃうやろボケ。オマエ、ぴんぴんしとるやないか。それともなんや、月が欠けてて力が出ませんでしたとでも言う気かいな」

 壬生家は大神おおがみ――日本古来の人狼の血を色濃く引く一族だ。

 その力は月齢に大きく左右され、満月をその絶頂に新月、朔の日には大きく力を落とす。

 しかし似たような弱みをもつ退魔師は、珍しいものでもない。

「それはそっちの家のもんは大体そうやろ? なんで一級のオマエが無事で、他のんが怪我しとるんや」

「……耳が痛いな」

 唯月が刀を引くと、直志も首に突きつけるように上げたままだった脚を下ろした。

 ――二〇〇〇年生まれの関西の退魔師で、もっとも早くに名が売れたのは齢五つで十を越える式神を操った兵庫の『神童』神部かんべ山桜桃ゆすらだった。

 次いでその剣才を評価されたのが他ならぬ滋賀の『剣聖』壬生唯月、すぐに世代最強と称されその評価は長らく揺らぐことはなかった。

 ほかにも奈良は祭田まつりだ家の末弟『怪人』独歩どっぽ、兵庫塔院とういん家傍流に芦名あしな絃子いとこ――いずれは関西を背負って立つと期待された退魔師は多い。

 その中で葛道家の惣領息子は「さすがは八家の本家筋」と言われても、あくまで普通の・・・優秀さにとどまっていた。

 しかし直志はそこから十五歳での唯月からの勝利を皮切りに、十八歳の当主代行就任までに全てをくつがえし、二十歳での一級昇格で関西最強の立場を揺るがぬものとした過去がある。

 だからこそ越えていった同輩たちのその後には思うところも多かった。

 特にかつて天才、世代最強と評され、現在も一級退魔師と同格の立場にある壬生唯月にむける感情が複雑になるのは無理もない事である。

「耳が痛い、そんだけか?」

「ああ、何を言っても言い訳になるからね――でもさ、こういうのはもうやめてくれないかな」

「なんや、こういうんて。ハッキリ言えや」

「直志が勝ち逃げ・・・・になったのを気にするのはわかるよ。ただもう少しこっちの事情も考慮してくれってことさ」

「あ”?」

 空気が震える。

 それほどの霊気の圧をぶつけられても、しかし壬生唯月は顔色を変えずに直志の視線を正面から受け止めていた。

「言葉はよう考えて使うのをオススメするわ。一回負けたくらいでその後も逃げ回っとんのは誰やねん、こっちゃ再戦拒む気あらへんで?」

「その言い草が勝手だって言っているんだけどね……」

 直志にも、自分の物言いが多少・・理不尽である自覚はあった。

 けれど例えば表舞台から完全に姿を消した芦名絃子とは違い、壬生唯月にはいまだに直志と対等に振舞おうとする意思と、そう自負するに足る力量も感じている。

 だからこそ、度々耳に入る不甲斐なさが苛立ちへとつながってしまう。

 コイツほどの退魔師がなぜと思わずには――口に出さずにはいられない。

「そもそも退魔師の私闘はご法度だろう。人目につかないのをいいことに、ここでおれを始末するかい」

「あんなん有名無実もええとこやんけ。あとな、ボクをなんやと思っとるんや」

「頼りになるけど迷惑な友人、かな」

「さっきも言うたけどな、ボクに頼りにならん友人はおらんわ」

「……そうかい」

 だがそれは結局、勝手な思い入れにすぎない。

 まして向かう先がこうも態度を明白にした以上、得るものはないだろう。

「ま、わぁった。もうオマエにゃ構わん、それでええやろ」

「その言い方はひっかかるけど……まぁ、日を改めることにするよ。今日はもう話は難しそうだ」

「アホくさ。とっとと本題に入りゃよかったやないか」

 直志の悪態に唯月は肩をすくめるだけで応えた。

 ホンマにどついたろか、とそんな考えが一瞬頭をよぎる。

「そうだね、そこはおれの失敗だ――でも直志、話を聞く気があるのならせめて家同士での返事は慎重にしてくれないか。おれが今日ここに来たのも、元はそのせいだよ」

「なんやて?」

「話をしたくても打診の段階で打ち切られたんじゃあんまりだろ。葛道家となにかなかったか慌てた本家に確認されたよ」

「さよけ、そない熱心に妹ちゃんやら従姉妹さんやらを売りこみたいとは知らんやったわ。ほんなら改めて言うとくけど、ロリコンとちゃうねん。お断りや」

「――覚えておくよ。それじゃ、すずりさんによろしく」

「おう」

 こつこつと靴音を響かせて去っていく唯月の背を眺める。

 今その背に向けて最速の一撃を放ったとして、さて確実に打倒しうるか――

 否、と直志の直感は告げている。

 おそらく痛手は負わせられるだろうが、戦闘能力とその意志は奪いきれまい。

 正面から戦ったとて勝利は疑わない――けれどそれが圧倒的に・・・・なのか、辛くも・・・になるのかまではわからなかった。

「――なんやねん、アイツ」

 壬生唯月には間違いなく力がある、退魔師としての意志もある。

 それだけに伝え聞く戦果と、対面したときの認識のズレが直志を苛立たせる。

 それを振り切るために瞑目し、息を深く吸いこんだ。

 すずりが戻ってくるまでに平時の心中に戻ることは、長年を怒りを友として生きてきた直志にとってさして難しいことではなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る