第二章 梅田地下ダンジョン

邂逅編 1:確信犯(誤用)の諧謔曲

「せや、すずりちゃん。来週ちょい梅田までいかへん?」

「……それは、何かの隠語か?」

「なんでやねん」


 かつて幼いころは兄のような、そして今は師も兼ね、初体験と現在まで続く初恋の相手でもある葛道かずらみち直志なおしとそんなやりとりをしたのは先週のことだった。

 普段は修行のために、仕方なく色気のない服装で訪れる葛道邸。

 そこへ白ニットにチェックのロングスカートをあわせ、普段はスニーカーの足元もローヒールのパンプスと万端のデート装備であらわれた紫雲しうんすずりは、開かれた門を前にハンドバッグから手鏡を取り出して最後の確認をしていた。

 なにやら微笑ましいものを見るような、それでいて痛ましさも感じているような曖昧な表情の葛道家の家人のことは意識的に頭の外に追い出している。

「よし」

 気を引き締めなおして、門の敷居をまたぐ。

 結構な距離を歩いた先の玄関ではすでに黒塗りのリムジンと直志が待っていた。

 例によって彼自身は書生風の普段とあまり変わらない装いなのは少々不満だったが、常からいいものを着ているのも知っている。

「お待たせ、ナオにい

 期待を込めて、声をかける。

「――お、なんや今日のすずりちゃん可愛ええ格好しとんね?」

 果たして今日のための努力と準備は、そんな言葉で早々に報われた。

 直志の日頃の行いのせいでどうしてもうさん臭さはあるのだが、それでもこうも正面から褒められれば胸は高鳴る。

「ほ、ホンマに?」

「ホンマホンマ、可愛ええ可愛ええ」

「~~~~っ、あ、ありがとな。その、な? せっかくナオ兄とお出かけするんやから、ウチもいつもとちゃう格好してみよ思てな?」

「いつもの凛々しい感じなんもええけど、そういうんも似おうてるね」

「ホンマ!? 良かったぁ! あんな、友達に相談したらナオ兄は口の上手いクズホストみたいやから、絶対清楚系でおぼこい・・・・んが好みや言われてん! 信じてよかったわあ!」

「時々すずりちゃんがホンマにボクのこと好きなんか疑わしくなんなぁ」

「そ、そんなん聞きたいんやったら二人っきりの時にしてや、もう! そしたら、ウチかていくらでも、な?」

「ちゃんと話の流れ把握しとる?? 舞い上がりすぎやない? まあええけど。でも良かったん、そんな気合入れてきて」

「うん! そらナオ兄にも喜んでもらいたかったから――ね、ね、どない?」

「可愛ええよ、美人さんが着飾っとんのはええ目の保養やね。ついでにあと二年分くらい育ってくれたら言うことあらへん」

「無理言わんといて。それに幼な妻は普通男ん人は喜ぶもんちゃう?」

「奥さんちゃうし。でもそやね、せっかくやし腕でも組んでこか」

「うんっ!」

 かつてないほど浮き立つ気持ちで、すずりは直志の腕を取る。

 エスコートされるままに車へ乗りこみ、上機嫌で彼の肩に頭を預けた。

 そっと目頭を押さえて見送る葛道の家人たちや、ルームミラー越しに二人の様子を見て目を伏せた運転手の姿には気づかぬままに。


「――ナオ兄、ここは?」

 そうして今、すずりの目の前には広大な空間が広がっていた。

 入ってきた通路がそのまま天井に位置する下方向へとひらけた場所だ、ぱっと感じる広さは体育館程度か。

 あたりには脈動するエンジンの音とガソリンの匂いが漂っている。

 バルーン型の投光器が連なった真っ直ぐな道とその先に見える通路を除けば、すべては黒一色の闇に溶けて消え、境目ははっきりとしない。

 それはさながら巨大な工事現場か採掘現場のような地下空間だった。

「梅田やけど? うめはん見たやろ」

「梅田の、どこに連れてきてくれたん」

「梅田地下ダンジョン。あれ、なんや聞いたことあらへん?」

「あれは地下街のことを冗談で言うてんやろ……?」

「せやね。ただ嘘から出たまことっちゅうかひょうたんから駒っちゅうか、話が広まりすぎたんやね。よりによってホンマに地下街で入り口・・・が開いてもうてん」

 三本の鉄パイプを並行に渡しただけの簡素な転落防止の柵に寄りかかると、直志は芝居がかった動きで両腕を大きく広げる。

「ほんで、これを塞いでまた変な形でもっかい開くよりはいっそ安定させよかってことになってん。あっち・・・こっち・・・の境目――人工的な異界いうんが適当かな。それがここ、梅田地下ダンジョンや――!」

「――梅田デートじゃないじゃないか!!」

「オウッフ」

 叫びながらすずりがハンドバッグをばしーんと直志の胸に叩きつける。

「いたた……いや、デートやなんてボク一言も言うてへんやん? ただ梅田行こかー言うただけで」

「それは、そうだが……!」

「ごめんなぁ。すずりちゃんがなんや勘違いして浮かれてたんはうすうす気づいてたんやけど、このリアクション見たくて言い出せんかってん」

「サイテーなこと言いながら何を『申し訳ない』みたいな顔しとんねんダアホッ! 死ねッ!」

「ひどない?」

「なにがや! 乙女心もてあそびよってこのクズ! あったまきた!」

「ほな百年の恋も……?」

「冷めへんっ!」

「つっよ。まぁまぁ、ちゃあんと大事なお洋服は汚さんように着替えもいつもの刀もこっちで持ってきてもろとるから」

「ただの計画的犯行の自白やないか!」

「ついでにここでの用が終わったら、ホテルの部屋とレストランも予約しとるし」

「ハァ!? そんなんで誰がごまかされ――ホテル?」

 ぴたり、とすずりの勢いが止まる。

 たっぷり十秒ほど見つめ合った後、すずりの無言での問いに直志は同じ言葉をくりかえした。

「ホテル」

「……二部屋?」

 すずりの返球はさきよりも大分早かった。

「んにゃ、そこそこお高い部屋を一つきり」

「さてはツインだな?」

「ダブルにしといたけど、そっちのがええ?」

「いやベッドは一つで十分だ。うん、正解だな。あ、でも外泊なら家に話を……」

「ちゃあんと先に了解もろとるで、未婚のお嬢さん連れまわすんやし。いや紫雲さんにはめっちゃぐちぐち言われたけどな?」

「そうか、うん、うん……でもナオ兄、なんでそれを先に言わないんだ?」

「一喜一憂するすずりちゃんはさぞ可愛かいらしいやろなぁおもて?」

「クズ――! いじめっ子、小学生男子! 意地悪! 人間のクズ! クズ!」

「そない三度もクズクズ言わんでもよおない?」

「違うとでも言うんかダァホッ!」

「いや、ホンマのことやからしゃあないけど……まぁでも、すずりちゃんがお気に召さんのやったらちゃんと門限に間に合うよう家まで送ったるけど?」

「そう言うん一々言わせようとするん、ホンマにキライ……!」

「傷つくわぁ。ほな今夜は帰さへんから、それで許したってや」

「最初にそう聞かせてや――アホ」

 口を尖らせながらもすずりは了承を示すように小さく頷いた。

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