関西騒擾夜 6:大妖怪の後始末

「お疲れさまでした、直志なおし殿。どうぞ、こちらを」

「あぁ、おおきに……っととぉ」

 さすがに消耗した様子で手当てを受ける直志は、讃良ささらが差し出したペットボトルに手を伸ばし、取り損ねて地面に落とした。

 長い指は力なく垂れ、腕は小刻みに震えている。

「はは、こら無作法ですんません」

「いえ。こちらこそ気が利きませんでした」

 あれほどの激闘、なにより鬼と力比べで組みあう無茶までしたのだ。

 その体に余力があろうはずもない。

 讃良はボトルを拾い上げると飲み口を丁寧にふき取ってキャップを開けた。

「どうぞ、お口を」

「ほな、お言葉に甘えて」

 さすがに取りつくろう余裕もないのか、直志は差し出されたボトルに顎をあげて口をつける。

 二口、三口と含んだあと視線で合図し、口の中をゆすいで吐き出した。

 うっすらと赤く染まった水に混じって白い小さな欠片が地面に転がる。

「いつつ……あぁ、やっぱどっかの歯ぁ欠けとんね」

「少し失礼――右目の下の腫れがひどいですね。あとで検査を受けられたほうがよろしいかと。それと右耳は縫っておいた方が良さそうです」

「お任せしますわ。できれば慣れてて上手な人に」

「では僭越せんえつながら私が、先に傷口を洗います。染みますよ」

「ハイハイ”~~ッッ! いったァ……!!」

「縫う間は術で痛みを止めます、動かないでくださいね」

「あいやい、よしなに……しっかし、これで男前が下がったら、どないしてくれようかいな。鼻とか低くなってへん? 額やら耳も傷が残ったら女の子のウケ悪うなるやんな?」

「なんの心配をなさってるんですか……むしろ私どもからすればこれで済んでいる方が驚きです。途中、完全に意識が無かったように見えましたが」

「ああ、特別なことはなぁんもしてへんよ。ただ意識がない時も、霊力まわして体を守れるようにしとるだけや」

「それは、十分特別なことだと思いますが……」

「必要やったからね。元々あんま器用やないし、ボクの戦い方じゃ今日みたいな事故はさけられへん」

 直志はさらりと言ってのけるが、果たしてその実現のためにどれほどの努力を、犠牲を払ってきたのか。

「まぁおかげさんで今じゃ熟睡してても、九ミリのフルメタルジャケット弾の掃射だろうが体の表面で止めれるようなってん。すごいやろ?」

「試されたのですか?」

「家じゅうのもんに二度とすんなってえらい剣幕でがなられたわ」

「呆れた。それはそうでしょう」

 愉快そうに直志は笑うが、いったいどんな命知らずが射手を引き受けたのやら。

 それで家の惣領に万一があったらどうする気だったのだろうと讃良は思う。

 そこに諸々の後始末に追われている班員の一人が声をかけてきた。

「班長、葛道かずらみち殿。各所への報告と確認完了しました。御堂筋みどうすじはやはり多少の混乱は見られますが葛道、紫雲しうん両家ともに重傷者はなし、他も片付いたそうです」

「ほうか、わざわざどうも。よその被害はどないやって?」

「最も被害が大きい大津で重傷者が数名。六甲は塔院とういん神部かんべの両家で大妖出現前の封じこめに成功し、追い返したそうです。ただし一級の神部山桜桃ゆすら様が、その後に昏倒――おそらく何らかの呪詛によるものと思われます。吉野も大事なく。軽傷者はどこもそれなりに出ていますが、死者はゼロとのこと」

「……」

 直志がわずかなりとも反応を見せたのは二か所だった、

 大津の被害と兵庫の一件、前者のときはやや不機嫌そうな空気を発したのを、報告する退魔師も讃良も気づいていたが、あえて触れるのはさけた。

「死者がないのは、不幸中の幸いでしたね」

「――せやね、まぁろくでもない夜やったけど、マシな結果か」

「山桜桃殿とは、ご親交がおありでしたか?」

「子供んころからの友人ツレやね。まぁ、唯月いつきとちごうてアイツが下手は早々打たんやろけど――あぁ、しかし今の聞いてようやっと肩の荷も下りたわ」

「さすがの直志殿でも重圧を感じられていましたか」

「そらそうよ。大口叩いて出てきた手前、負けたら一生擦られたやろし。正直言えばもう今日はもう美人に膝枕でもしてもろて、昼まで寝てたい気分やわ」

「私でよろしければ、お貸ししましょうか」

「あー、せっかくで魅力的な申し出やけど遠慮しときますわ、讃良さんもお忙しいやろし」

「あら、年増の脚ではご不満が?」

「んにゃボク年上の方が好みやで? そんでもヨソの奥さんの脚じゃあさすがにくつろげんわ。火遊びはせんて決めとるねん」

 直志の言葉通り、仮面と黒装束で個性と顔を隠した班班長の左手薬指にはシンプルな銀の指輪が輝いていた。

「よく見ていらっしゃる……縫合、終わりました。治癒府を張っておきますが応急処置です、こちらも術者に見てもらってください」

「おおきに。うわあ、これ気づかんかったら黙ってたパターンやな……やっぱ怖いわ、人妻は」

「別に、ねぎらってさしあげたい以上の意図はございませんよ」

「ほんまかしらん。あぁ、ところで誰か小刀もってへん? それと金ヤスリ」

「小刀はありますが……直志殿、なにを?」

「決まっとるやろ。手ぇに力も戻ってきたし、言うてた通りへし折ったコイツの角、ケツにぶちこむ前に加工したろ思って」

 言って直志は折れた鬼の角をくるくると回しながら、自らが椅子代わりに腰かけている栗駒くりこまの尻を勢いよくぶった。

 ぱあんと乾いた大きな音が響いたが、意識を失った鬼はぴくりとも動かない。

 土下座の姿勢で身を丸めた彼女の体からは今なおうっすらと白煙が上がり、焦げたような異臭を放っている。

「本気でおっしゃっていたんですか――」

 讃良が呆れたように言う一方で、班員たちはもっと切羽詰まっていた。

 他家の当主代行に対しても、思わず声をあげずにはいられない事情がある。

「か、葛道殿、これほどの力を持った鬼の角です。ほかにいかようにも使い道があります、それはあまりにも……」

「そうです。そのままでも百年、千年の家宝にもなりうるものですよ!? どうかお考え直しを!」

「は? このクソ女のクソ角にそない大層な価値くれてやってどないすんねん。こんなんはな、コイツのクソ穴ほじくり返しとるのがお似合いやで」

「――さ、さようですか」

「お下品ですよ。まぁ、お怒りは理解しますが」

 しかし直志の発する静かな怒気に、もはやそれ以上の言葉はあげられなかった。

 奪い取るように差し出された小刀を受け取ると、さっそく軽快な音を立てて角を削っていく。作業中の視線は、まさに仇を見るように鋭い。

 長さにしておおよそ十五センチ、緩やかに反ったあかがね色の角は、すぐにいかがわしい形へとその姿を変えていった。

「あああぁぁぁぁ……」

「もったいない……!」

「大妖の鬼の角、いくらになったことやら……」

 堪えきれなかった者たちが口々に落胆の声を漏らす。

 しかし呪詛まで込めて作業に没頭する直志を、もはやだれも止めることはできなかった。もとより彼一人で勝ち取った戦利品である。

 そうしてほどなく、満足げな声とともに鬼の角だった・・・ものを直志は掲げた。

「――おっし、できたで。どない?」

「女性に見せただけでセクハラが成り立つ見事な出来栄えかと」

 讃良の言葉通りに、えらの張った先端部とそこから細くなり根元まで球状の節が連なる構造、そうして出し入れ・・・・をしやすくするためか、全てが内へ入りきってしまうのを防ぐためか、丁の字に残された持ち手――それはどこからどう見ても立派な淫具アナルバイブだった。

 もともとの銅色が、用途とかみ合ってしまっているのがまた酷い。

「ほな、コイツ起こそか。いやあ、どない顔するか楽しみやわ」

「直志殿……」

 うきうきとした声で言って、直志は栗駒の頭に飲みかけのペットボトルの水をぶちまけた。うわぁ、と誰かがやや引いた声をあげる。

「う、うぅ……」

「おう、起きいや」

「っあ、あて・・は……? っ!? つ、つのっ、あての角は――!?」

 直志に背に乗られたまま、覚醒した栗駒がまず行ったのは右の角の無事を確かめることだった。

「ある……ッ、……」

 健在を確かめて息を吐いた後、すぐに今度は尻に手をやる。

 そうしてジーンズに包まれたままの豊かな曲線を描くそこに違和がないことを確かめて、こんどこそ彼女は深い深い安堵の息を吐いた。

「はぁぁぁぁぁ…………」

 それから、恐る恐ると自分の丸めた背の上に乗っている人物を振り返る。

「――お前様、あてを殺さずにいてくれたのかえ?」

 おっかなびっくりうかがう声に、この後の運命を知る幾人かは見ていられないと目を伏せた。

 あやかしにかける慈悲がないのはわかる、ただ殺めるならば誰も異論もない。

 だが敢えて嬲るとなればそれは別の話だ。

 ましてその趣味があまりにも悪いとくれば。

「まぁブチ殺して敵討ちに来られてもつまらんし、見せしめにするんなら生きてた方が都合がええやろ」

「た、確かにの。だがそれなら角は残さずとも良かったはずえ? ありがとう、ありがとうな。あて、あて、いったいどんな酷いことをされるものかと――うっ、うぅぅ、よ、よかった、よがっだぁぁ……!」

 ぽろぽろと涙をこぼしはじめた鬼の姿に、それまでこらえていた残りの綾部衆も耐え切れずに顔を逸らした。

 中には痛ましさに面の上から口元を押さえている者もある。

 退魔師であろうと、それくらいの情けは持ち合わせているものだ。

「そ、そうじゃ、お前様! さっきも言うたが、あてを式鬼しきにしてくれぬかえ? あれはけっして軽い気持ちで言ったのではないぞ。迷惑をかけた詫びと、命は助けてくれた礼がしたい――」

「あぁ、礼を言うんはまだ・・早いで?」

「え――?」

 だがここに一人、例外は存在した。

「酷いことはな、これからするんや。ま、式鬼の件はそのあとでも礼がしたかったら考えたるわ」

 笑顔を浮かべながら直志は淫具と変わり果てた栗駒の角を彼女に突きつけた。

 猫をじゃらすように、ゆらゆらと眼前で揺らしてみせる。

「な、なんじゃ? こ、れ……ぁ、え、あ? ぁ、これ――?」

 鬼の顔一杯に困惑が、続いてじわじわと理解が広がり、やがて再び絶望が全てを覆いつくした。

「カヒュッ」

 限界を越えたらしい栗駒は、奇妙な呼吸音をたてて再び意識を失った。

 受け身も取れずに地面に落ちた顔がごつんと鈍い音を立てる。

「チ。気ィ失いよった、つまらんなぁ――まぁええか、ひん剥いて裸で土下座させてケツにぶっ刺したろ。誰か撮影してもらえへん?」

「直志殿、それはさすがに……!」

「おやめください、御家の品位にも関わりますよ――!」

「人の心とか、お持ちでないんですか!?」

「ええ、なに……? なんでボクが責められるん……?」

 容赦なくジーンズを引きずり下ろし尻を半分晒させたところで、さすがに哀れに思った綾部衆の女性陣が止めに入る。

 総出でなんとか説得した結果、鬼の尊厳はきわどいところで守られたのだった。

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