関西騒擾夜 3:VS身長と胸と尻と態度のデカい女
「――話は済んだかえ?」
ざ、とアスファルトを鳴らし、一歩を踏み出したところで鬼が先手を打つように口を開いた。
「おう、待っててくれるなんて案外律儀やね」
「どうせ
「そらアンタからすりゃたいがいのもんはひょろいやろ、比べんといてや――それと、ボクに歓迎する気はさらさらないで。とっととお帰りいただくわ」
「ほお――なれ、名は?」
「
「かずらみち、かずらみち……はて、誰の血じゃ?
「さぁてご先祖さんがどこの馬の骨かなんて知らんし、たいして興味もないわ。今ここにボクって傑作がおる以上に大事なことないやろ」
「コココ、吠えよる。
「そっちはもっとどうでもええ」
ぴしゃりと言った直志に、鬼は鼻白んだ様子を浮かべた。
「なれは少し女の扱いを知った方がええのう、顔以外はちぃとも可愛らしくない」
「前言ひるがえすの早すぎやない? 気ィは長いんやなかったんかいな」
「口も減らぬ、やはり可愛らしくないのう」
言葉ほどには不機嫌ではない様子で、鬼の女はジーンズの腰にひょうたんをひっかけると、
そうして向き合えば、背はわずかに直志の方が高い。
だが細身の彼とはその厚みが全く違っていた。
もとより、生き物としての格は比べるべくもない。
見守る者の中でいくらかでも面識のあるものたちにとって、葛道直志がこれほどまでに頼りなく見えたのは初めてで、そして驚くべきことだった。
「あては、
「結局名乗るんかい……名前
意趣返しのように直志が言うと、栗駒はきょとんと毒のない表情を浮かべた。
「なにか、変かえ? ちゃんと当代風のはずだがの」
その場で童女のようにくるくると回りながら、己の姿を確かめはじめた鬼にさすがの直志も毒気を抜かれる。
「そこで服を確かめる自信は凄いわ……いや、アンタにはよう
「ああ、そういうことかえ。おどかすのう、悪い子じゃ」
「――一応聞いとくわ、大人しゅう
「ほう? 勇ましく出てきておいて、心変わりかえ」
「アンタは知らんやろけどな、こっちは今忙しいねん。はよう片付くんならそれに越したことないわ」
「
「最後は初耳やな、そうか兵庫にも手ぇだしたんか――なにを知っとる?」
「コココ……さぁて、なにかの?」
あやかしにも、もちろん知性はある。
長く生きたものであれば、それこそ
罠にかかった退魔師の例は枚挙にいとまがないが、あやかし同士の大掛かりな連携は歴史の中にしか残っていない。
本来、彼らはそれほどに自分本位な存在だからだ。
だからもし現代でそれが起きればそれは空前の事件、否、災害になるだろう。
「ほうか、なら前言撤回や――とっとぶちのめして全部吐かしたる」
ばちばちと空気が弾ける音が響いた。
細身の直志の体が、その存在感を鬼にも負けぬほどに大きくする。霊気を練りあげる過程で生まれた余波が雷となって彼の周囲で爆ぜる。
「おぉ……!」
離れて見ていた
それほどの暴威、それほどの力の気配。
しかしそれを真っ向から受け止めて、鬼は実に機嫌良さそうな声をあげた。
「良い良い、
一条の稲妻が
刹那ののち、轟音が山中に響きわたった。
閃光と轟音の中で、人と鬼は奇しくも同じ表情をしていた。
笑みを浮かべたのである。
「ほな、ボクと
余波を切り裂いて、自らの言葉さえも置き去りに迅雷は地を
§
(出し惜しみはなしや!)
練りに練られた霊気が体を駆け巡る。思考の速度に追いついた体は疾風の速さで動き、霊力の
そうだ、そもそも創作の実力者たちは、それがドラマ上必要とはいえもったいをつけすぎだ。
いや、必殺技ブッパした挙句に瞬殺されて、それまでの強者ムーブの落差からネットで延々無能いじりされる地獄のようなケースもあるがそれは忘れておく。
しかし――
「アホほど硬いんや、クソが――!」
思わず悪態が口をついて出る。
頭に一発、胴に二発、十分に腰の乗った拳をすでに打ち込むこと三度、しかしいまだ構えすらとらずに栗駒は涼しい顔を崩さない。
「コココ、
鬼の脅威は何よりもまずその無双の怪力だ。
身体強化の上での格闘戦を得手とする直志にとっては
幸い、足を活かして出入りを繰り返し翻弄する直志の動きを、今はまだ金銀の瞳はとらえられていなかった。
もとより技や速さを競うならそも人の武の業が、生来の暴に頼るだけのあやかしに劣る道理はない。
だがもちろん大妖と呼ばれる存在がそれだけで倒せるほど与しやすいはずもない。
同じ手はいつまでも通用しない、その確信があった。
「のう、なれや。じゃれつきたいならもっと近うよらんかえ? おびえなくてもあては取って食ったりせんぞ」
「お断りや、酒臭いねんアンタ」
「ほんに口の悪い子じゃのう……」
出し惜しみはしないと決めた、だが博打を打つのはそれとはまったく別の話だ。
捨て身の一撃に走るのは、まだ早い。
油断などではない、ここで我慢できないことこそ惰弱のあらわれ――!
「このまま、削り殺したるわ――!」
直志の疾走に巻き込まれ、舞い上がった枯れ葉がばぢぃと一瞬で燃えあがった。
「お……?」
すれ違いざまに顎をかすめるように殴りつける。
女の細いそれを殴ったとは思えない大きく重い手ごたえ、連想されたのは寺社の鐘だった。
こきりと違和を覚えたように鬼は首を鳴らす、しかしそれだけ。
構わず右の拳で狙うのは脾臓、続けて左でむき出しの脇腹、また右に戻って今度は振り下ろすように鎖骨を折りに行く。
「しゃあッ!!」
「む――」
当たる、人体ならば惨たらしいまでの破壊をもたらすだろう一撃の連打、しかし女の体、それ自体がどうしようもなく硬い。
霊力で強化をしていなければ、砕けていたのは直志の拳だったろう。
それほどの一撃であっても、しかし顔色を変えぬこの鬼に果たしてどれほどの傷を与えられているものか。
(コイツ、ホンマ……!)」
内心の苦い思いが強くなる。
「さすがに少し、うっとうしいのう……!」
ぶん、ぶんと羽虫でも払うように、無造作な動きで栗駒が腕を振るった。
何気ない仕草でも風切り音がおかしい、はっきりと風圧を感じるほどだった。
だが、当たらなければどうということはない。
「はッ」
わずかに下がってそれをかわし、直志はすぐに踏み込む。
駆け抜ける勢いで振りかぶった右拳で人中を狙う、恐ろしいほどに整った鬼の顔、その真ん中を砕きに行った。
「ぬっ――!?」
はじめて栗駒の声に、焦りの感情が混じる。
顔を逸らしてかわす動きは、ぎりぎりで間に合った。
拳がかすめた頬が爆ぜるように裂け、鬼の血が流れる。
女の顔がゆがんだ。
「なれ、
「人聞き悪いなぁ、男女差別せんだけやで? そもそもボクが殴って平気なんは女やない、もうちょいかよわなってから出直しや」
「それは差別しとらんかえ……?」
「知らんわ」
あやかしまで権利主張する時代かいなと思いながら初の戦果を確かめる。
熟した実が裂けたような鬼の頬の傷はすぐに塞がる気配はなかった。
血が出るなら殺せる。偉大なロックバンドの言葉だ。
「よっしゃ――ッ!?」
次の一手をと踏み込もうとした瞬間、風圧を壁と感じた。
慌てて動きを大きく左へ、鬼の横をすり抜ける方向へと変える。
直後「ボ」と宙に浮いた布を叩くような音があがった。
発生源は、直志の胸元の高さまで持ちあげられた栗駒のブーツの底である。
「むぅ、今のもあたらんかえ」
(冗談やないで――!?)
鬼の目は、明らかにまだ直志の動きだしについてこれてはいなかった。
ならば今の前蹴りはただの当て推量で放たれたものか? 否、それにしてはタイミングがかみ合いすぎている。
もし、直志が反撃はないと緩み切っていたら、胸元に風穴が空いていただろう。
視覚とは違う何かで、鬼は直志の動きについてきたのだ。
「――――」
試しに拳を放つ前段階の動きを右肩にとらせる。鬼の反応はない。
ならばと殺気を飛ばしてみれば、眉をひそめる、だがやはり動きはなかった。
次に鬼の背を取りに行こうと左へ半歩足を動かす。
「ほ」
すかさず、今度は拳が飛んできた。
心構えがあったからか、虚を突かれた先と比べれば危ういタイミングでもない。
難なくかわした。
(足音、きいとんのか?)
アスファルトの路面、確かにまったくの無音とは行くまい。
だがそれは行動の結果生まれるものであるはずだ。
先手を取った直志に先んじるなら、すなわち鬼が速度で勝っていることになる――果たして今の自身でさえそれが可能だろうか?
面倒な布石を打たれた。
主導権は今だ直志が握ったままだ、だが相手はそれに対応する札を見せてきた。
その引っ掛かりが、正体を確かめたくなる気持ちが、思考のリソースを奪っていく。かといってそれを止めて無策に放置するのも良くはない。
ならば一度あちらに先手を譲るか?
――否、断じて否だった。
それは葛道直志の本領ではない。
ならば今、選びえる、選ぶべき道は。
「速攻や――!」
放たれた霊力が、辿るべき路を無数に枝分かれさせ、張り巡らせていく。
もっと早く、もっと強く、そしてもっと多くの拳を打ち込むために。
それは直志という雷を放つための
「おっと、それは面倒そうじゃのう」
栗駒が腰のひょうたんに手を伸ばす、何かの呪具だったか。
さて何が来る? それが何にせよ狙いは恐らく、足止め。
思考は一瞬、決断は即座。
すべきことは何も変わらない。
「先に、最大最速でブチぬいたる――!!」
疾風迅雷の意思に依然変わりなし。
再び言葉を置き去りに、直志は踏み込み、拳を放つ。
雷放つ霊気、連打する拳の音、巻き起こされる風。
それらがもはや小さな嵐となって鬼を襲った。
「く――!」
ひょうたんこそ掴みはしたものの、栗駒の両腕は今や顔と体の前面をかばう様にかかげられ直志の拳に打ち据えられていた。
それが人であれ鬼であれ、嵐の前にはじっと過ぎるのを耐えて待つしかないとでもいうように。
「ッ、しゃあ――!!」
構わずガードの上からいっそう強く拳の雨が降る。
絶え間なく連なった打撃音は、もはやもともと長い一つの音だったように静まり返った世界に響いていく。
「ぐぅ……!」
鬼が呻いた。
もとより強者、直志言うところのいちびり《おちょうしもの》の鬼が、ただただじっと耐えて機会を待つという選択を取れようはずもない。
なにかをしようと、苦し紛れに腕が動く。
(カスが、空けよった――!)
苦いものを浮かべた美しい鬼の顔、そこを狙っていっそう強く握った拳を放つ。
握力、速度、そして重み――すべてが乗った今日一番の直突きにも、栗駒はかろうじて反応し、手にしたひょうたんで受け止めようとしている。
構わず、それごとぶち抜く――!
「――あぶないあぶない、なれなら顔を狙ってくると思ったえ?」
そのはずだった。
しかし鬼の顔を打ち砕く必殺のはずの右拳は、かかげられたひょうたんに当たって「こぉん」と間の抜けた音を響かせただけに終わっていた。
「なん……やて……?」
あまりにも物理法則を無視した結果に直志の思考が一瞬、止まった。
「コココ、こいつはのう、
直後、すうぅと音が聞こえるほどに息を吸い込んだ栗駒の胸郭が、冗談のように膨らんだ。
鬼の女がそのつややかな唇をひょうたんの口へと押し当てる。
「しまッ、あかん! 耳ふさぎ――!」
慌てて霊気を練りあげながらも、直志は
直後、鬼の肺活量によって、直志の拳さえ受け止めたひょうたんは、あっさりと、そして無残にはじけ飛んだ。
ぱぁん!! と、直志の雷にも勝る爆音が生駒の山を揺らす。
耐え切れずに砕け散った街灯が悲鳴をあげ、周囲が一気に闇へと包まれ、結界それ自体が大きく震えていた。
「――――!」
その断末魔の衝撃は、警告に意識を割いてしまった直志の動きを止めるのには十分すぎる威力があった。
「――つかまえたえ?」
闇の中、まるで恋人に囁くような甘い声で鬼が笑った。
直志の頭をなでるように、そっと手のひらが置かれている。
「ぐ……こ、の――っ!?」
直後、まるで紙風船でも潰すかのように容易く、関西最強の退魔師はアスファルトが割れるほどの勢いで地面に叩きつけられていた。
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