受け継がれる卑の意志 結:やわくてあまいファム・ファタル

 守田もりたたけるは、葛道かずらみち家の遠縁の退魔師で、とにかく壊滅的に退魔師としての才能に欠け、気質の面でも名前に反して荒事にはまったくむかない男だった。

 不幸なのは血筋と家の歴史だけはそれなりに上等で、もっと不幸だったのは彼が適性のない己の生まれとその責務に対し前向きで熱心だったことだろう。

 まだ幼くしかしその才はすでに明らかだった直志なおしが、一回り以上年上のクソ雑魚退魔師と交流を持つことになったのは、熱意と才能、血筋と能力が必ずしも比例するものではないと教える意味合いもあっただろう。

 事実、直志は猛から退魔師に求められる能力とその責務について両方の面でよく学んだ。

 しかし誰にとっても意外だったのは、エリート中のエリートと図太さだけが一級のクソ雑魚ナメクジという、水と油のようにまじりあうことはないかに思える両者が不思議な紐帯で結びついたことだろう。

 容赦のない直志の言葉は互いにとってそれが明白な事実であるからこそその鋭さを失い、また自身の弱さを受け止める守田の姿勢は少年にある種の寛容を学ばせた。

 兄弟というには遠く、友人で済ませるには近かった二人の関係はもはや余人にはうかがい知れぬところで繋がっていた。

 それこそ猛の死後も、直志が彼の未亡人であるあおいのもとへ足しげく通うほどに。


なおくん、こっち」

 直志がリビングに足を踏み入れると、二人掛けのソファに腰かけた葵は自らの隣をポンと叩く。

 客というよりは、久々に会う帰省した家族を迎えるような気安い仕草だった。

 テーブルには、すでに茶と菓子が用意されている。

「ほな失礼しましてっと」

 促されるままに彼女の隣に腰かける、線香に混じってなんとも官能的な葵の匂いが鼻をくすぐった。

「――最近お仕事はどう? 怪我はしてない?」

「順調なもんです。おかげさんでこの通りピンピンしとります」

「そっか、危ないって聞いてたし、そう思ってたけど。直くんはやっぱり違うんだね。ほら、猛さんはいつも傷だらけだったから、まるで別のお仕事してるみたい」

 ふふ、と葵は自分の言葉に笑う。

 それはこの三年のうちに何度となく繰り返されたやりとりだった。

「ま、守田さんはクソ雑魚やったから、ボクと比べるんは可哀想ですわ」

「あ、ひどいんだ。あの人が聞いたら泣いちゃうよ?」

「いや本人にも何度も言うとりましたし。ところで葵さん、そこのろうそく、どないしたんです? 前からありましたっけ」

 リビングのテーブルに花が飾られているのはいつものことだが、その脇に色鮮やかな花を模したようなキャンドルが置かれていた。

 その変化を指摘すると、葵は嬉しそうに微笑んだ。

「あ、これ? カルチャースクールにね、キャンドルアートの講座ができたからそっちも受けてみることにしたの」

「ほぉ、ほな葵さんの手作りですか、道理で」

「そ、第一作目。どう、感想は?」

「独特の味わいがあってええですやね」

「――直くん?」

「いや、さすが葵さんお器用なもんですわ。あれでしょ、バラモチーフの……」

「ラナンキュラス」

「実質バラですやん」

「もう、適当なんだから――あ、そうそう、それでね。そのキャンドルアートの先生が凄い美人なの! もうびっくりするくらい!」

「はぁ、葵さんと美人講師がおるんじゃ教室の男ん人は落ち着かんでしょ。注意しとかんと怪我しそうやわ」

「私なんて全然だよ、それくらい美人なんだから。TVにもね、出たことあるんだって――興味、ある?」

「んにゃ、ボクはどっちか言うたら作業中の葵さんのほうが気になりますわ」

「もう、お世辞ばっかり。こんなおばさんになに言ってるの」

「いやいや、葵さんがそないな謙遜したら世の女性になに言うてんねんって怒られまっせ」

 三十二歳。今年で亡き夫と同い年になった彼女は、しかし直志には事実年を重ねるごとに美しくなっているように思えた。

 憂いを含んだ温和な顔立ちに落ち着きが加わる一方で、体のラインは大きく崩れることなく柔らかさを増している。

「そう? ――でも、私にそんな風に言ってくれるのは、もう直くんだけよ」

 そんなことはないはずだ。

 少し出歩けば、それだけで邪な視線と関心を集めるのが葵という女性だった。

 望むと望まざるとに関わらず、清楚なたたずまいとそれに反して肉感的すぎるほどの体は男を惹きつけてやまない。

「直くんだけで、十分――」

 そしてそれは本人も自覚するところだろう。

 守田家は子をなせなかった彼女が家に残ることは許さなかったが、婚姻解消のかわりに女一人が慎ましく生きていくには十分な額の財産を分けあたえた。

 だからこそ葵はまだ女盛りの身で、猛と選んだマンションに半ば引きこもるようにして世を離れ暮らすことができている。

 ただ一人、猛との過去を共有でき――死別のあと、その悲しみに寄り添ってくれた直志だけを例外として。

「あ――」

 唇が重なる、腰に回された直志の手も拒絶はしない。

 ただ葵は抱き寄せられるまま男の耳元に顔を寄せて囁く。

「ここじゃだめ――ベッドで、ね」


 §


「――葵さん、大丈夫です?」

「っ、うん……もう直くん、元気なんだから……まだかたいし、んっ」

「でも、気持ちよかったんやないです?」

「ん、久しぶりだからかな。すっごく、良かった」

「そらなにより。で、守田さんと比べて、どないでした?」

「え――――」

 性交の余韻に浸っていた葵の熱い体がびくりと震える。

 直志を上目遣いで見つめる表情には何か恐ろしいものを見るような色があった。

「もう、なんでそんなこと、聞くの? ――私のが、とっくに直くんの形になっちゃってるの、わかってるくせに……」

 だが一方でつながったままの彼女の内側は、まったく別の反応を示してもいた。

「いや、ちゃんと葵さんの口から聞きたいやん?」

「……どうしても?」

「どうしても、やね」

「いじわる――本当に、本当に、恥ずかしいんだからね?」

 そう言って葵は一度目を閉じ、唇を噛んだあと大きく息を吸って直志の目に視線をあわせた。

 その表情は愛の告白をする乙女のようですらあった。

「直くんの方が、大きくて硬くて、長持ちで、たくさん気持ちいいところこすってくれるから――猛さんのより、好き…………あ、う」

 言葉に詰まった葵の瞳にじわりと涙が浮かびはじめる。

 潤んだ瞳は許しを乞うように雄弁に語っている、直志は苦笑を浮かべた。

「ほな、これくらいにしときましょか」 

「ああ、もう……! 人妻にこんなこと言わせて、いけない子なんだから……!」

「いやいや。いうて葵さんもノリノリやないですか、キュンキュン喜んでんのバレバレやし」

「――そんなことは、ない、よ?」

「だいぶ自信なさげやん」

「うぅぅ、こんな風に猛さんのこと出汁にして、最低だ、私……」

「まぁまぁ、全部ボクのせいで、葵さんは悪ないってことにしときましょ」

「そう思うんなら言わせないでよぉ……」

 それはそう。

 思いながらちらとサイドボードに目をやると、もじゃもじゃ頭のブサイクな小男が、葵の肩に手を回した写真が飾られている。

 今より少しだけ若い葵もまた、幸せそうに笑っていた。


 §


「――あんな、直志くん、落ち着いて聞いてくれるか?」

「もうその振り・・だけでいやな気ぃしかせんのやけど、一応どうぞ」

「最近な――ワイの死んだあとに葵さんが若くてイケメンで能力も金も家柄もある後輩に寝取られると思うとすげぇ興奮して濃いのが出るんや……」

「死ね」

「その際にナニの大きさくらべはマストやね。中の中のワイと比べて、葵さんのあの唇からなんて言葉が飛び出すんか、想像するだけで泣けるわ」

「続けるんかい。そんでしれっと盛んなや。アンタ精々下の上やろ、短小言われてんの知ってんで」

「てか真面目な話葵さんな、男おらんと無理なタイプやねん。風俗で数多のメンヘラ嬢を見てきたワイにはようわかるわ。絶ッッッ対また変なのにひっかかる、だってよりにもよってワイと結婚した女神やで?」

「今日一の説得力来たなぁ、言ってて悲しゅうならんの?」

「世の無常をバリバリ感じとるわ、世界はどうしてこうも残酷なんやろね……まぁせやから葵さんのこと、ワイが死んだら直志くんにお願いできんかいなって真面目な話やねん」

「守田さん……」

「いや、パイパンとへそピアスと下腹部タトゥーまでは我慢できんねんで? でも肌焼くんと乳首ピアスはあかんねん……葵さんのあの白い肌ともちもちおっぱいにそんな勿体ないことさせるわけには……!」

「今は自分の嫁やからって好き勝手想像しすぎやろ、葵さんに謝らんかい」

「時々やっとる土下座してイヤイヤながらセックスしてもらうプレイの話した?」

「死ね」

「まぁそう言わんとワイに万が一のことがあったらくれぐれも、くれぐれも葵さんのことを頼むで直志くん!」

「なんやこの流れで『はいわかりました』って言いたないなあ……」

「そんな、殺生やで……!」

「ええからそれより死なんですむよう修行せえや、万年三級のクソザコが」

「直志くんにはわからんやろうけど、人にはそれぞれの壁ってのがあるんやで。ワイら凡人はそれにぶち当たった時、ただ立ちつくすことしかできないんや……」

「アンタを凡人のくくりにしたら大多数の凡人が可哀想やろ」

「それはつまり、ワイが非凡……ってコト!?」

「おう、なんで妙なところポジティブやねん」

「そうやっておどけてないと無情な現実に心が持たん悲しい道化ピエロなんよ、笑ってくれや」

「もう遊園地にでも再就職したらどない? 少なくとも死ぬこたないやろ」

「誰もがそない賢明に生きられるわけやないんよ。縛られとるんやね、抗えない血の宿命に……あとワイの年で職歴退魔師のみで職探しは普通に生き地獄やで」

「いや、ボクんとこでもアンタんとこでもいくらでも伝手つてあるやろ……」

 ――――

 ――


 ――聞かされていた通り、葵の意思は薄くて弱い。

 だから他人が考えるような、当たり前の幸せを自ら探して選ぶことはできない。

 彼女にとって幸せとは何かに縛りつけられ、誰かに求められている状態でこそ定義されるものなのだ。

 そしてそれは、なにも言葉や行動でのみ決まるものではない。

 だからかつての彼女は自身に値がつくことを良しとして、そんな自分を生涯の伴侶として選んだ――もっとも高値を付けた・・・・・・男を愛して一緒になった。

 そうして今、葵がようやく得たその幸せを維持するには、亡き夫の思い出に縛られること、その上でなお彼女を強く求める存在が必要なのだ。

 それがかつて守田から聞かされた予想。

 初めて聞いたときにんなわけあるかいと一笑に付したそれが、全くの真実であったことを直志は今までに何度も実感していた。

「葵さん、日焼けサロンにいくんと乳首にピアスだけはせんといてくださいね」

「ええ? 急になに、どうしちゃったの?」

「あー、いや、なんやろ。ふっと思いついたんで……忘れたってください」

「おかしな直くん――うん、でもいいよ、えっちなこと以外のお願いなんて珍しいから、聞いてあげる」

 わざと恩を着せるように言いながら、葵の目には確かに喜びの色があった。

 自ら選んだ不自由に、縛られることを喜ぶような色が。

「おおきに」

「ふふっ」

(――しかしこの場合、ボクと守田さんと葵さん、だれが一番アレなんやろなあ)

 心に浮かんだそんな他愛のない疑念を放り投げ、直志は葵を抱き寄せた。

 最初は同情だったのかもしれない。

 あるいは単に役得と考えていたのか、しかし今や彼女はもっとも別れがたい一人となっている事実を若干の諦めとともに直志は再認識した。

 自らが誇る生まれに殉じた男と、それを愛してしまった女と、両者の思いを知ってなお、女を抱く男――人が皆、賢明な幸せを選べるわけではないのだと。

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