受け継がれる卑の意志 3:多分違ったわ

「ありがとうございました――完敗です」

「いや、いい手合わせだった。ありがとう」

 武道家らしく綺麗な礼とともにそう言った少女に、すずりもまた礼を返す。

 心温まる光景だったが、それを見つめる義直よしただは苦い表情で声一つかける様子もない。

 思い通りにならないと途端に口数少なになるのはかねてよりの悪癖だった。

 この場をまとめるのは、どうやら直志なおしの仕事になるらしい。

 どうしようもなく面倒を感じつつ、それを表に出さないよう二人の少女へと歩み寄った。

「すずりちゃんに負けたからって恥じることないで、お嬢ちゃん。ボクらはこないなれるよう子供のころから鍛えとるんや、そもそもの積み重ねが違うねん」

「いえ、実力不足はわかります。怪我しないように、手加減されていたことも」

「ほうか、ほな改めてまず従弟の不始末を詫びさせてもらうわ。これ、陰陽寮の相談窓口の番号な。国のちゃんとしたお役所や、まずそこで詳しい話を聞いてから身の振り方を決めんのをオススメするわ」

「……私が負けたから、そんな風に言われるんですか? この程度の力なら必要ないと?」

ちゃう、正直に言えば君の素質は大したもんや。ええ退魔師になれるかもしらん。でもだからって実際にどう生きるかは別の話や――どうせ大して話も聞かされとらんやろ」

「あやかしという怪異と、命を懸けて戦っているとは知ってますが……」

 ふわっとしとんなぁ、と直志は苦い表情になった。

 流れが良くないと見てか義直が慌てて口を挟んでくる。

「お、おい何を勝手なことを! 今の関西には一人でも多くの優秀な退魔師が必要なのは、お前だってわかっているだろう! 今見た通り八重垣やえがきくんの力は――」

「ンなもん言われるまでもないけどもやね、順序ってもんはあるやろ。義直クン、キミこの娘に去年一年で退魔師が何人死んだか教えたん? 女の退魔師がなにをされたかは? そもそも今日はちゃんと親御さんにも話通してここに連れて来とるんやろね」

「そ、れは――まだ、だ……」

「ほな未成年略取やなぁ、菓子折りの一つも持ってかな。しかし、大した同志ぷりやね? こうなるとボクも聞いてみたいわ、感銘モノの義直クンの話」

 皮肉気に笑う直志とばつが悪そうに顔を逸らす義直に、八重垣は戸惑った表情で両者に視線を行き来させた。

「あ、あの! たとえ説明が不足していたとしても、ここについて来たのは私自身の意思です。それで義直さんを責めるのはやめてください」

「――君はええ子やね、お嬢ちゃん」

「八重垣です。その言い方は子ども扱いされてるみたいで好きじゃありません」

 それはいかにも子供らしい生真面目さで、公平さだった。

 青くもあるが、直志には少し眩しくも映る。

「ああ、こりゃ失礼。八重垣さん」

 だからこそ、そんな彼女を利用しようとしたものの卑しさが目についた。

「わあった、キミに免じてこれ以上はやめとこか。ほな家まで送らせるよって、今日はお帰り。そんでウチのもんからご両親にお詫びと説明、させてもらてもええかな?」

「それは、必要なことですか?」

「詫びは絶対。ほんで今後キミがどうするにせよ、説明は受けた方がええ。ボクはそう思うわ」

「……わかりました。お願いします、代行さん」

「おおきに。ほな気ぃつけて帰ってや」

「はい、お騒がせしました。義直さんも、また」

「……ああ。今日はありがとう、八重垣くん」

 家人に諸々を命じて、直志は少女を送り出す。

 あとは苦い顔をした義直と、意地の悪い興味深さを隠そうともしないすずりが残された。獲物を前にした猫のように目を輝かせている。

「あー、すずりちゃん。ご苦労さん、お見事やったわ」

「なに大したことじゃない、それに彼女には悪いが当然の結果だろう」

「まぁ、そやね。ほんでできればこっから先は他家よそん人にゃあんま見せたないんやけど……」

「今更だな、私は今回完全に当事者だろう? それに大阪を守る家同士、紫雲しうんのものとしては葛道家の問題は気になるところだな」

「ごもっとも。しかしいつのまにかすずりちゃんも家のこと考えて行動できるくらい立派になったんやな……」

「私にまでイヤミはやめてくれ」

「ハイハイ。ほなちょっとお見苦しいと思うけど、堪忍な――義直クン?」

「――なんだ」

 明らかに虚勢の混じった横柄さで従弟は応じる。

「もし陰陽寮の説明を聞いてもあの子が退魔師になる言うたら、師匠でもなんでも必要なんは葛道を代表してキミが全部都合したってや」

「わかった。それくらいは言われるまでもない」

「ただしそれ以降の接触はなしな、あの子に悪影響や」

「なっ、なぜそんな指図を受けなければならない、なんの権利があって……」

「当主代行としての権利に決まっとるやん。あぁ、別に嫌なら嫌でかまへんよ? 大好きなママ共々叩き出して、いよいよ葛道ウチの敷居またがせんだけの話やし」

「父やご当主がそんな横暴を許すとでも?」

「なんも横暴なことあらへんわ。今、家の決定権握っとんのは代行のボク、必要なら佳哉叔父にもご当主にも納得してもらうだけ。そんなんもわからんとはホンマにアホやったんやな、キミ――さ、話はしまい。義直クンもお帰りや、送ったって」

「は――義直様どうぞ、こちらへ」

「……オレに触るな! 直志ィッ! なんでもお前の思い通りになると――」

「さんをつけんかい、タコ助が――!」

 思わずといった様子で声とともに霊気を発した従弟に、それに倍する殺気とともに直志はいよいよ冷たい視線を向けた。

「――ッ」

 息をのんだあと、ヘビに睨まれたカエルのように義直は動きを止める。

 見守る家人も、そしてすずりも指一本動かせないような圧が場を支配していた。

「なんでも思い通りになると思うな? よそ様の、それも一般人の子をだまくらかしてしょうもないごっこ遊びにつきあわせよった男は言うことがちゃうなあ」

「ぐっ……」

「そもそもオマエは退魔師としての覚悟がないねん。ボクに挑んだんはいつが最後や。なんやったら今から性根叩きなおしたろか?」

「…………っ!」

 もはや赤を通り越して義直の顔色はどす黒かった。

 視線こそそらしはしないものの、しかし直志の言葉への真っ向からの反論は出てこない。切歯扼腕せっしやくわんを体現しながら自ら動くことはしない。

「あない小さい子に頼る前にやることやらんかい。キミの腑抜けっぷりにゃ赤穂あこちゃんも呆れとったわ」

 小さなため息とともに直志は視線を切って圧をかけるのをやめた。

 とたんに誰もが深く息を吐く。

「義直クン、しばらくは顔見せんどき。やないとなんや不幸な事故が起きてまうかもしらんわ」

「――義直様、どうか本日はお引き取りを」

 家人が再度強い声で義直を促す。

 不満げな顔をしながらも今度は彼も逆らわなかった。

 ただし、最後の最後でありきたりな捨て台詞を残していくのは忘れない。

「いいか、お前ではない! オレが、オレこそが、真に葛道家と関西の未来を憂いているのだ! そのうちに後悔するぞッ!」

 だがその視線は果たして直志に向けられていたかどうか。

 義直の姿が見えなくなると、誰のこぼしたともしれないため息が裏庭に響いた。

「――ちょっとどころではなくずいぶんと見苦しいことになったな」

「事実やけどあんまいじめんといてやぁ、すずりちゃん」

 冗談めかした言葉に、わざとらしく情けない声を返した直志の姿にすずりはふっと笑みをこぼした。

「生憎と師の教えがいいからな……それで、結局あの従弟殿はどうする気なんだ」

「んー、まぁ当面は謹慎。どうせアホの母親がつついてアホさせるやろから、それを待って縁切りやね。世ぉの人にゃ迷惑やろけど始末するわけにもいかんしなあ」

「ほかから見れば完全にお家騒動だな、ナオ兄が地盤を固めるための」

「勘弁してほしいわ、そんなんするまでもなく盤石やっちゅうねん」

「しかしいよいよこれでほかにめぼしい後継候補もいなく――」

 そこですずりは言葉を飲みこむ。

 まるで関節がさび付いたような動きで、直志の方へ向くと口を開いた。

「待った。これ、ナオにいが結婚を急かされたりしないか?」

「普通にあるで。断りきれん話もろたらごめんな? 先に謝っとくわ」

「あ、赤穂さんに婿を取ってもらえば……?」

 義直の姉の名を口にしたすずりに、直志は首を横に振る。

「やから赤穂ちゃんはその気ないねんて。てか仮にOKやったとしても、あの子ボクを指名してきそうやし」

「ああああぁぁぁぁ――! 嘘だ嘘だそんなのイヤだぁぁ……!」

 頭を抱えてすずりが絶叫する。

 この世の終わりを迎えたような悲痛な声だった。

「こ、婚外子……! もうこうなったら、私が一人でも生むから……!」

「ボクに仕込めって? 冗談キツイで、いよいよ紫雲さんに刺されるわ。そないに大阪大戦争したいん?」

「じゃ、じゃあもう愛人に産ませていいから! ナオ兄に子供さえいればとりあえずはしのげるだろう!?」

「ボクなんかよりよっぽどひどいこと言うとるけど、自覚あるんかいな……そもそも、二人はあんまこっちの世界に巻きこみたくないねん」

「じゃあじゃあ……そうだ! ナオ兄のことだから葛道の家中で初体験を手ほどきしてくれた年上の女とかがいるはず――ぐっ、脳が、脳が破壊される……」

「脳に痛覚ないで。あと残念、もう嫁いどる」

「やっぱりいるんじゃないかぁ……! この浮気者ぉ……!」

「ボクは本命ずっと不在なんやから浮気ちゃうやん。しっかしすずりちゃんは墓穴掘るんが上手すぎて心配になるわ」

「うううう、これはもう今晩ディナーにでも連れて行ってもらうしか――」

「何が『これはもう』やねん。あとゴメンな、夕方からボク予定あんねん」

「――女か」

「声ひっくぅ。まぁ隠してもしゃあないから言うけど、せやね」

「ぅぅぅぅ、でも先約なら、仕方ない……!」

「すずりちゃんのそういう律義なとこボク好っきゃわぁ」

「……どうせ、都合がいいからだろう?」

「自虐がひどない? そんなんちょっとしか思ってへんて」

「ナオ兄はなんでまだ刺されてないんだ?」

「マジ声はやめよか。あぁ、ほんで一個聞きたいんやけど。これでボクあの子に恨まれて、リベンジされることあらへんよね?」

「……なんでそんな発想になるんだ? 別のフラグなら立った気もするが」

「え、なんやて?」

「都合のいい難聴を……! むしろ心配をするなら従弟の方だろう。あっちは動機も十分あるじゃないか」

「そしたら返り討ちで合法的にぶっ殺せるから手間ァ省けて助かるわぁ」

「本気の声でなんてことを言うんだ……」

「退魔師なんて人間兵器に襲われたらそれはもう正当防衛が成り立つんやで?」

「同じ退魔師だし明らかに報復が過剰だろう、捕まるようなことはしないでくれ」

「ほな髪の毛一本も残さんよう気ィつけとかな」

「証拠を隠滅しろとは言ってない……! 待て、冗談だよな!?」

「ハハッ。もちろん、ボクがそんな酷いことするはずないやん?」

「ナオ兄!? ちゃんと私を見て言ってくれナオ兄!」


 §


 後ろ髪を引かれるような顔で帰宅するすずりを見送って、直志が向かったのは大阪市内のとあるマンションだった。

 いつものようにインターホンで呼び出しをかけ、カメラの前に構えてオートロックの開錠を待った。

 通いなれたエントランスはもう四年近く前、最初に訪れたときと変わらずピカピカに輝いている。

「――あら、こんにちは」

 共用部のドアを抜けると、ちょうど外出しようとしていた住人とすれ違う。

 まだ築五年に満たないファミリー向けのマンションでは少数派の、年配の婦人だった。直志に向ける視線には明らかな好奇の色がある。

「あぁ、どうも。おでかけですか?」

「ええ」

 だからこそ堂々と笑みを浮かべて挨拶を交わし、そのままエレベーターへ向かった。行き先は三階、角部屋になる三〇一号だ。

 ドアの前に行き、インターホンを鳴らすと意識せずに「ふう」と息が漏れた。

 ほとんど間を置かずに扉が開かれる。

「――いらっしゃい、なおくん」

 微笑みとともに迎えてくれたのは美しい女性だ。

 下がり気味の眉と目尻のせいか、笑顔を浮かべていてもどこか憂いを感じさせる顔立ちをしている。

「どうぞ、あがって」

「ども、お邪魔しますわ」

 メイクも服装もひとつ結びにした髪型も派手さのない落ち着いたものだが、それでも女性らしい胸や尻の曲線は隠しきれていない。

 来客用のものとは別の、直志のために用意されているスリッパに足を通しながら、いつまでも飽きのこないその後ろ姿をじっと眺める。

「飲みもの、用意するね。リクエストはある?」

「ほなお茶で、あと先に挨拶してからいきますわ」

「お茶ね。うん、そうしてあげて」

 リビングに向かっていた女性は振り向いて笑う。

 ほんの三年ほど前には、向けられるたびに何度も胸をしめつけられるような思いを覚えたはかなげな笑みだった。

 うす、とつぶやいて仏間として使われている部屋に入る。

 うっすらと線香の匂いが香る、綺麗に掃除されてはいるが仏壇以外には何も置かれていないがらんとした空間だ。

 ただし新品のように磨かれ、わざわざ生きた花が供えられている仏壇をみれば、決して故人がないがしろにはされていないのが良くわかる。

 仏壇脇の小さな卓には、男が写った写真がシンプルな額に入って飾られていた。

 キメ顔をしているがお世辞にも美男とはいえない――いや控えめに言ってさえブサイクな中年男だった。

 それを見ると、どうしても直志の口元は苦い笑みを浮かべてしまう。

 自分には不似合いなくらい美人の嫁を貰ったと自慢し、これは長ないかもしれんわと散々ネタにして、本当に一周年も祝えずに死んでしまった彼を思うと「なんでやねん」と「アホちゃう?」と、そう思わずにはいられないのだった。

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