受け継がれる卑の意志 2:(お、主人公か?
「お話し中に失礼いたします――すずり様、どうぞこちらを」
「ああ、ありがとう」
差しだされたタオルを受けとったすずりが、すすす、と距離を取る。
今更匂いが気になったのか。
その動きに何やらほほえましいものを見るような表情をした家人に問う。
「どないしたん? このあとなんや予定あったっけ」
「いえ、そうではございませんが、今しがた
「あぁ、ほな今日は忙しいから出直してもろて」
「それが――」
「おいおい、わざわざ訪ねてきた従兄弟にたいして随分じゃあないか
うげえ、と舌を出しながら直志は声の方へ向きなおった。
そこにいるのは細身のスーツを着た若い男、直志の従弟である
二十歳にして二級退魔師は現在の関西では有望な部類に入る――もっとも一族の中では直志はもちろん、彼の姉にも及ばないが。
問題はそれにもかかわらず当主の座への野心を隠そうともしないことだ。
「義直様、どうかお戻りを――」
彼の後ろには制止しきれなかった様子の困り顔の家人、そして更に一人見覚えのない小柄な人物がついてきている。
「あんなぁ義直クン? ボクはキミより三つ年上でおまけに今は当主代行やで。お客さんもおるんやし、もうちょい立場わきまえてもらえへん?」
「
現当主の弟であり、義直の父である叔父
ついでに女を見る目も無さすぎて、息子可愛さでこんなアホに育てる母親を妻として見合いで掴まされたことをのぞけば悪い人物ではない。
実際当主代行補佐として、主に他家との渉外において直志を支える人物でもある。
「本来もクソも実際にご当主に指名されたんはボクや。そもそも佳哉叔父に当主代行は荷が重いやろ。ただでさえ気苦労が多いんやし」
主として妻子のせいだが。
身の丈に合わぬ野心家の息子と分別なくそれを煽る妻、そして今は修行で九州にいる長女の
最近ではもう家族のしりぬぐいで佳哉は謝罪が癖となっている節さえある。
しかし父に負担を強いている自覚がないのか、あるいは気にもしていないのか、悪びれることもなく従弟は不愉快そうに鼻を鳴らした。
「そこは一族みなで支えるのが筋だろう」
「ソレを口実に母子そろって好き勝手したろって? 当主代行の立場は子供のおもちゃとちゃうで、勘弁しぃや」
「今の代行こそ雑事を周囲に押し付けて、気ままに振舞っていると思うが?」
「一人しかおらん一級退魔師の手をできるだけ空けとくんは当然の理屈やん。それを私欲みたいに言われるんは悲しいわぁ」
「全く、口の減らない。そこまでして代行の座にしがみつきたいかね」
「ボクは任された責務を全うしてるだけやで――ま、見解の相違やね。ほんで、何の用? ボクかて暇やないねんけど」
「あぁ、関西最強の看板、そろそろ下ろしてもらおうかと思ってな」
「ンなもん自分で掲げたつもりは一度もないけど、キミにゃ無理や。夢見がちなんもそろそろ卒業しとき」
ついに空想に溺れすぎて現実との区別がつかなくなったのだろうか。
しかし気位の高い従弟からすれば看過しがたいだろう言葉を、今日の彼は余裕の笑みさえ浮かべて流した。
「オレじゃないさ、この子がやる」
義直が一歩左に動く、彼の背に隠れるように控えていた人物が、静かに前に出てきて頭を下げた。
黒髪のショートカットで化粧気のない、いかにもスポーツ少女といった外見の、気の強そうな少女だった。
そう、少女だ。
武道でもやっているのか背筋の伸びた美しい所作をしているが、すずりよりも更に年下に見える。
顔に見覚えはない。
しかし義直が自慢気に紹介しただけあって、確かに高い霊力を持つものに特有の存在の圧のような気配を発していた。
直志の隣ですずりがわずかに身構えるような相手だった。
「――へぇ、こりゃあまた。どこのお嬢さん連れてきたん?」
「今の腐りかけた関西の家々とは関係ない、
覚醒者――すなわち非退魔師の家に生まれ、霊力操作に目覚めた者。
それこそ一級に匹敵するほどの実力者が出ることもある一方で、その何十倍もの悲劇の被害者ともなりうる存在だった。
「自分で感銘言うかねえ……ほんで同志、同志ときたか。なるほどなぁ」
つまり口車に乗せられた九割被害者と言ったところか。
十割でないのは意志の強そうな少女の目に、わずかに陶酔の色が見えるからだ。
使命か、力にか――いずれにせよ自身を特別な存在だと盲信するのは、覚醒者にありがちな傾向だった。
もっとも、それに一々目くじらを立てるほど直志は子供ではない。
責められるべきは詳細も語らずその力の大きさだけを吹き込んだものだろう。
なによりこの世界は、そういう相手を隙あらば
覚醒者に限らず、慢心から足をすくわれる退魔師のなんと多いことか。
むしろ少女をこのまま放置しておく方が心配なくらいだ。
「ほな、すずりちゃんが相手したってや」
「私か? 構わないが」
「おい直志、オレはお前に――」
「直志
「ぐ――」
「――お嬢ちゃん、こっちの娘はボクの弟子みたいなもんで、この年で義直クンと同じ二級退魔師や。相手に不足はないはずやで」
「こちらの方に勝てば、次はあなたが相手をしてくださるんでしたら」
太々しい物言いだったが、挑発された形のすずりは分を害した風でもなくなにやら苦い顔をしていた。
あるいは、少し前までの自分を思い出したのかもしれない。
「ええよ、勝てたらな――義直クン、審判はキミに任すで。ちゃあんと危なくなる前に止めたってな」
「構わんが、あとで贔屓だ卑怯だと言い出すなよ」
「安心し、そない感じたらすぐに二人まとめてブチのめしたるわ――ボクが勘違いせんよう気ぃつけてな?」
ひらひらと手を振って直志は答える。
絶句する二人をよそに「まるきり悪役だぞ」とすずりがつぶやいた。
§
「代行、お茶をお持ちしました」
「ん、おおきに」
木製の長椅子に腰かけて完全に見物体勢に入っていた直志は、家人に顔だけを向けて盆の上から湯呑を取った。
視線を戻した先で向かい合う二人の少女、すずりが手にするのは普段と違い木刀、たいして少女が手にするのも木製のなぎなただった。
構える姿はなかなかどうして堂に入っている。
「よろしかったのですか? このような話をお受けして」
「んー? まぁこないだボクがヘコませたばっかやしね、ここですずりちゃんに勝ちつかませとくんは悪くない思うで」
「しかし、義直様が連れてきたあの娘。扱う霊力だけなら紫雲様を上回るように思われますが……」
「確かにそこだけ見りゃ
言って直志は湯呑に口をつける。
「あのお嬢ちゃんは才能とおまけで意思もあるとしとこか。せやけど退魔師としての素養はあらへん。全部そろっとるすずりちゃんの敵やないわ」
一般に空手・柔道などの無手の格闘技で武器を持った剣士を、また剣士がなぎなたや槍などの長物を相手に上回るにはそれぞれ三倍もの技量が必要だと語られる。
退魔師の世界でもおおむねそれは真実だった。
「しかし、体さばきを見ても、まったくの素人とは思えませんが――」
「競争と闘争は別もんやろ。たとえオリンピック級のアスリートでもすぐに切った張ったはできひんよ」
けれど実際には、直志の言葉通りにすずりが少女を押しはじめていた。
要因は単純な剣術の技量ではなく自らが傷つき、相手を傷つけることを厭わないという経験――直志のいうところの素養の差が大きい。
はじめから生物を、少なくともその形をしたものを――場合によっては人型のそれさえも――殺めるための剣と、現代の武道であるなぎなたでは振るい方ひとつとっても、そこに込められた意図がまったく違う。
どれだけ霊力値が高かろうと信念を持ったつもりでいようとも、傷つき、傷つけることの意味と痛みはその時になるまで体感できない。
「あんだけ気ぃの強いすずりちゃんが、相手のこと気遣ったれるレベルやで? ものがちがうわ」
たしかに一向に表情が変わらないすずりに対し、汗の浮かぶ少女の顔にはどんどんと焦燥があらわれはじめている。
決着に時間がかかっているのは、すずりが万一のことに備え、また少女に怪我を負わせないよう慎重を期しているからに過ぎない。
大勢はすでに決していた。
「なるほど。さすがのご慧眼、感服いたしました」
「――こんなんボクにわざわざ説明させんでもわかりきった話やろ」
「代行が優れたお方であると我々は承知しておりますが、それに対して称賛を受ける機会はやや不足しているかと」
「ご機嫌取りかいな。もしかして義直クンに絡まれたんを励まそうとしとる?」
「いいえ、ただ下々にも『さすが我が主』と誇る機会は必要なものです。それもまたお務めとご理解くださいませ」
「おだて上手やなあ、木でものぼればええのん? ちょうどええのもあるし」
と直志が指さしたのは、彼が子供のころに落ちて怪我をした松の木だ。
当時は一部の過保護な者たちを中心に切り倒すべきだとちょっとした騒ぎになったのだが、直志本人はあいにく覚えていなかった。
「ご自重ください。まぁ、くわえて言えば義直様をご当主と仰ぐのは、ご本人と母君以外誰も望まぬところだとは思いますが」
「姉も父も望まんのかいな、泣ける話やね」
「そのようで」
言って家人は預けられていた直志のスマホを差し出す、ちょうど通知欄には佳哉からのメッセージが届いていた。
『すまない、また迷惑をかけたようだ。本当にすまない……』
「……アレがこん人の息子やなかったらなぁ」
「その場合は
「いよいよ泣ける話やん」
辛らつだが実にもっともな意見だった。
直志にとって退魔師としては平凡でも人格者であり知恵者でもある叔父は公私両面で頼れる存在であり、だからこそ自身も従弟への対応が甘くなった面がある。
どれほどの力があろうと人と人との関係はそうそう思い通りにはできない。
それでもどこかで決断すべき時は来る、今回はそれが今日だった。
「ぐ――そこまでっ!」
もはや誰の目にも勝敗が明らかになったころ、ようやく義直が戦いの終わりを告げた。
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