受け継がれる卑の意志 1:退魔のススメ

「――縁談? ボクに?」

「は。その前段の、あくまで打診ですが――」

「ほぉん、ご当主はなんて言われとるん?」

「代行の好きにさせよ、と」

「さよか、でどっからのお話やろ」

壬生みぶ家からです」

「あー、どちらの壬生さん? たしか三つくらいなかったかしらん」

「滋賀の壬生ですね。庭園にわぞの家の傘下で、分家筋に一級退魔師の唯月いつき殿がおられます」

「あぁ、唯月んとこの――あれ、でもあっこに年の近いお嬢さんおったっけ」

「いえ、本家のご長女が今年で十、唯月殿の妹御が今年十三になられたばかりで、それより上のお嬢様方はすでにご結婚なさっています」

「イヤイヤ、ないやろ。十歳も離れてるやん」

「は。ですので、正式に申し込まれる前に打診をしてきたのかと」

「ええ……? そない無理筋の話をもってくるほどなんか困っとるん?」

「いえ、そういった話は聞きません。ですので、意図は少し不明です」

「まさかすずりちゃんとの話で、ボクがロリコンや思われたんやないやろな」

「すずり殿はむしろお年より大人びて見えるので、考えにくいかと思いますが」

「ほな唯月のヤツが、いよいよ玉無しになりよったとか」

直志なおし様、さすがにそのおっしゃりようは……」

「わぁっとる、間違っても外じゃあ言わんよ」

「いいえ、家中でもお控えください。誰が聞いているとも知れません。いずれご当主のあとを継がれるのですから」

「ハイハイ、覚えとくわ」

 適当な相槌を返しながらも、諫言が聞けるのは良いことだ、とも思う。

 特に全自動皮肉イヤミマンからすれば、外付けの良心はいくつあってもいい。

「――ま、どのみち受けることないし、話は断ってええやろ」

「よろしいので? 主家の庭園を飛ばしての話です、あちらにもそれなりの事情があるかと思われますが……」

「かまへんやろ、ご当主もボクに任す言うとんのやし。一々佳哉よしや叔父の仕事増やすんも申し訳ないわ」

「かしこまりました、ではそのように」

「あ、返事は失礼ないようにな、無難にお願いするわ」

「承知いたしました、お任せください――」


 §


「んじゃ、今日から目指せ一級退魔師への道がはじまるわけやけど――その前にちょい基本的な考え方の整理しよか」

 葛道かずらみち邸の裏庭で、運動着姿のすずりを前に直志なおしはそう言って手のひらをぱんと打ちあわせた。

「はい、ご指導よろしくお願いします」

「なんやかたいなあ、まぁええけど」

 表の立派な日本庭園とは違い、土の地面を固めただけの裏庭は退魔師の家にはよく見られる訓練用の空間だ。

「ほなすずりちゃん、まず第一に一般人があやかしに対してほぼ無力なんはなんでやろ?」

「霊気を上手く扱えないから、だろう」

「正解。銃にしろ刃物にしろ。そのまんまじゃ通用せんわけや」

 霊気と呼ばれる不可視のそれは、森羅万象あらゆるものに宿っている。

 それに方向性を持たせて、力を引き出し活用する――それが退魔師たちが霊力と呼んでいる概念だ。

 あやかしたちが扱う妖気・妖力もあくまで言葉の上での分類であり、本質的には同じものである。

 そして霊力・妖力をもってすれば、それらを伴わぬ鉄の刃を弾き、銃弾を受け止めることは難しいことではなかった。

「んじゃ第二に、一般人と退魔師をわけとるんはなんやろ」

「――それも霊気、じゃないのか? この場合霊力値というべきか」

「せやね、あやかしと戦えるほどに霊力を扱えるかどうか――やから、ボクは退魔師にとって一番いっちゃん大事なんは常に退魔師でおれるかどうかや思っとる」

 長年の研究によって検出可能となった霊力値――周囲の霊気をどれだけ取り込み、活用できるかを表す数値は、おおよそ五千が退魔師となれる基準値とされており、一般人の多くは三桁程度にとどまる。

 そして退魔師であっても、心身の状態によって数値は著しく上下するものだ。

「常に退魔師でいられるかどうか、か……単なる心構えとか、そういう話ではないんだろう?」

「もちろん。要は体力、気力、霊力を必要な水準に保つこと、そのために普段からなにをしておくかっちゅう話やね。すずりちゃん、今走り込みはしとる?」

「ああ、五キロをできる限りは毎日」

「よろしい。ほなとりあえずそれを倍の十キロまで伸ばそか、そんで走っとる間はできるだけ霊力に頼らんようにな」

「わかった、しかし逆じゃないのか?」

「疲労は一番わかりやすく影響でよるから、素の体力が大事やねん。まずは一番簡単に、確実に伸ばせるところからや」

「なるほど」

「疲れたときに霊力振り絞って動く練習やったら走り終えたあとやね。まぁそれはおいおいの話として」

 熱心にうなずくすずりの姿に、満足げな笑みを浮かべて直志は続ける。

「ほんで今のすずりちゃんは、霊力こみでも精々『めっちゃすごい剣士』や、退魔師としてはもっと人間離れしてもらわにゃ――まぁ、いうてもその年で二級まで来とるんや、基本は今までの路線を継続でええかな」

「了解した――しかし、ナオ兄はなんで弟子を断っているんだ? 今の話を聞いていても教えられないというわけではなさそうだが」

「そらボク自身が足らん事だらけやのに、なんで人の面倒みなアカンの? ってのが一つ。教える相手の見極めがメンドイのも一つ。そんなとこやね」

「なら、私には見込みがあると思ってくれてるわけか」

「まぁそれなりに? ただどっちか言うたら気持ちの問題やね。いやあ八家はっけの当主を何度も集めさすなんて、突っ張った真似中々できひんよ」

「そ、その節は大変ご迷惑をおかけしました……」

「ええよ、もう仕置きは済んだし。それと後付けやけど――好きな相手の前でエエとこ見せたいんは男女共通やろ? すずりちゃんなら頑張るやろなあって。ボクそういう子、好きやし」

「そうやって調子のええことばっか言うて、ホンマこのたらし・・・は……」

「お口悪うなってるで。大体な、こないんはちょっとくらい助平根性あった方が上手くいくねん。すずりちゃんかて頑張ったらご褒美ある言われたら普段よりやる気出るやろ?」

「それはまぁ、ないとは言わないが――期待していいのか?」

「任しとき、ダッツの新作買うてきとるねん」

「……それがご褒美?」

「甘いもんは定番やろ。あれ、なんや違うもん想像した?」

「絶ッッ対、わかってて言ってるだろう……!」

「いうてあんまそっちで釣るんもなあ。大事なお嬢さんがスレてもうたら、紫雲しうんさんに怒られそうやし」

「私の乙女心への配慮はないのか?」

「二人っきりの指導で十分おつりがくるやろ?」

「足りひんわ。ダッツ、ナオ兄の分までよこしぃや」

「ハイハイ、それで済むならお安いもんやわ――ほな今日は霊力の鍛錬もしとこか、こっちで同じくらいの圧かけるから気ぃ張ってこらえてや」

「む、わかった」

 表情を改めたすずりは正眼に刀を構え、一気に霊力を高める。

(――んー、安定して霊力値が六桁には届いとる感じやな)

 それは二級退魔師の中央値を大きく上回る数字だ。

 一級であれば全く珍しいものではないが、それはとりもなおさず一つの面ではすずりもすでに十分に資格があるということでもある。

「……ぐ」

 ゆえに遠慮なく彼女のそれを気持ち上回る霊力を練り上げ、ぶつける。

 文字通りに気圧されたすずりが小さく呻いた。

「――ほんで、すずりちゃんの墨飛ばし・・・・やけど」

 そのまま会話をはじめる、これもまた訓練の一環だった。

 強力なあやかしは知性を有しており、会話が可能だ。

 そして人を見下しているためか、やたらに語りたがる・・・・・傾向が多い。

 退魔師としては情報を引き出すために付け入るべき悪癖だ、こういう状況に慣れておくにこしたことはなかった。

「墨飛ばしじゃない、『自運じうん』だ。なにか問題が?」

「いや、よう考えとるし、言うことはあんまないわ。変に枷嵌めたら本末転倒やし。ただアレ、当面は実戦では封印な」

「なぜだ?」

「今のすずりちゃんが戦うあやかしにはあんな大層なん必要ないのが大前提。ほんで格上に遭遇したときに頼るには力不足で逆に危険や。一旦いったん忘れたほうがええ」

「あれを編み出すのにはそれなりに苦労したんだが……」

「練習は好きにしてええよ? ただ基礎能力が上がってくれば、速度も威力も規模もぜぇんぶ別モンになるはずやから、小手先の技は無駄んなると思うわ」

「ううん、そういうものか」

「あぁそんでひとつ言うんなら、アレ、使い方はもうちょいシンプルでもええかもしらんね」

「――具体的には?」

 ふぅぅ……と静かに長く息を吐き、すずりが視線をあわせる。

 落ち着いてきた気をふたたび乱させるため、少しだけ圧を強めた。

「嵐やら風やら一々絵ぇ書くんやのうて、墨飛ばしたんをまんま針に見立てるとか? 相手からすりゃ見づらいし、変化に手間もかからんやろ」

「……なるほど」

「もしくは凝るんやったらもっと大げさに、それこそ相手全部墨の海に沈めるくらいのがええかもな」

「そこまでは、考えもしなかったな」

「ま、そこ含めて刀を介したあれこれはボク以外にも習ったがいいかもしらん。剣術は専門外やし、そもそも器物に霊力流すんはボク苦手やし」

「苦手って……人並みには十分こなせるだろう?」

「一級にとっての人並みどまりははっきりと短所、弱点やね。これはイヤミや謙遜なしに」

 一級退魔師と二級退魔師では、実際に求められるレベル自体がまるで違っているのだ。

 直志が戦いに際し無手で臨むのは、結局のところ自らの体以上に信の置ける武器がないという苦肉の策に過ぎない。

「となると近場では……三重のご老公、雙葉ふたばの先代様あたりに話を聞いてみるか?」

「あー、それはやめとき」

「なぜ?」

「あの妖怪爺さん腕がええのは否定せんけど、頭が平成どころか昭和で止まっとんねん。セクハラパワハラモラハラ全部上等の化石もええとこやで」

 当主を退いたんも息子の嫁に洒落ならんちょっかいかけたんを親戚中に詰められたんや、と伝えるとすずりもさすがに顔をしかめた。

「それは困るな……」

「今の時代で人にもの教える器やない、実際後継も育っとらん。なによりあんなんに嫁入り前のすずりちゃん近寄らせたらボクが紫雲さんにぶっ殺されてまう」

「なら、滋賀の壬生唯月殿はどうだ?」

「アイツはもっとダメや」

「え――」

 端的な言葉に、先の何倍もの否定の意思がこもっていた。

 大小の二刀を使いこなす一級退魔師壬生唯月は直志と同い年で、彼よりも先に天才として広く名を知られ将来を嘱望しょくぼうされた存在だった。

 今では名実ともに直志が上回っているが、それでも関西では有数の実力者であることに違いはない。

 付け加えるなら唯月は「女よりも美しい」と評される中性的な美貌の主で、なにかとやっかまれがちな存在でもあった。

 もっとも今の直志は、それに絡めた冗談は通じそうにない雰囲気を発している。

「過去になにか、あったのか?」

「んにゃ、教えを乞うんに相応しゅうないだけやね」

 言葉少なな説明は、それ以上の言葉を拒む意思があった。

 じぃっとすずりが視線で問うても、まっすぐに見つめ返してくる直志の表情からは何も読み取れない。

「むぅ……」

「雪くんに頼めたらそれが一番なんやけどなぁ」

當間とうまのご当主か」

「そそ、関東退魔師の領袖りょうしゅう、當間家の雪之丞ゆきのじょうくんや。彼も刀使うし、腕に関しては説明不要やろ?」

 三代目當間雪之丞は弱冠二十一歳ながら卓越した剣の腕と熱を操る術で、現在日本最強と目される退魔師だ。

 雪女の血を引く眉目秀麗な青年で、若さに似合わぬ冷静沈着さで知られる一方、坂東武者の末裔らしい果断さも持ち合わせている。

 直志が本物・・の退魔師と認める数少ない一人で、雪之丞もまた年長の関西の雄には敬意で応えていた。

「ああ、よく知ってる――ナオ兄が大好きなこともな」

 だからだろうか、すずりの声には少しねたような響きがあった。

「え、雪くんをキライな退魔師とか存在するん? アホちゃう? 『抜けばたま散る氷の刃』の雪くんやで? あの『天眼』やで?」

「本気の目で言うのは怖いからやめてくれ。教えを受けられるなら願ってもない話だが、頼めるのか?」

「んー、関西こっち来る用でもあれば別なんにゃけど、彼も忙しいしなあ」

「じゃあダメじゃないか……」

「ま、あくまで理想やね。言うて剣術はメジャーやし、大阪ん中出稽古して回るんでも十分やない? そもそも紫雲にも師匠格の人おんねやろ?」

「あぁ、そうだな。相談してみる――ところで、先日体目当てのセフレに振り向いてもらうにはどうしたらいいか、友人に相談してみたんだ」

「めっちゃ話飛ぶやん、どしたん。あとすずりちゃんの通っとるとこ、結構なお嬢様学校やなかったっけ?」

「あぁ、礼和の時代にまだ良妻賢母の育成なんて掲げている骨とう品だ。もっともナオ兄が夢見てるようなところではないと思うが」

「まぁまぁ女の園はエグいところやとは聞くけど、そんな話まですんねや……」

「それで、友人たちに口をそろえてそんな男はやめておけと言われてしまってな。私は少し抜けてるところがあるから騙されてる、と」

「ええお友達やん。大事にせなあかんで」

「……一応言うが、ナオ兄についての話だぞ?」

「やから言うてんやん。あとボクそない体は目当てやないで? すずりちゃん顔はええけどおっぱい小さいし」

「Dの70だぞ!? 十分だろう!? 私なりの悩みを相談したら友人に嫌な顔されるんだが!?」

「知らんし。そんですーぐ数字を出してくるあたりがもう小さいんよ」

「この男、自分は棚にあげて……! 私だって努力はしているッ!」

「なんの努力なん」

「豊胸」

「若い娘さんが胸張って言うことかいな、ほなボクが揉んで手伝ったろか?」

「そ、そういうのは夜に、二人っきりの時でなきゃ嫌だ……」

「断らんのかい」

「やぶさかでは、ない」

「男前やなあ。うっし、ほなぼちぼち休憩しよか?」

「わかった……今は揉ませないからな?」

 せえへんて、と苦笑いをしたところに縁側を下りてきた家人から声がかかった。

「――代行、少しよろしいでしょうか」

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