これがボクの生きる道 4:誰にだってわからんことくらいある

「――すずり、すずりッ! おい、しっかりしろ!」

 真っ先に鎮守の森へと飛び込んだ紫雲しうん家当主が、ぐったりと脱力して動かない娘の姿に悲鳴じみた声を上げる。

 漂うアンモニア臭を気にする様子がないのは余裕がないのか、先のオゾン臭で鼻がやられたままなのか。

 思っていたよりも親の愛を感じさせる現状を見ると、彼女の失禁に気づかれなかったのは直志なおしにとって幸いだったかもしれない。

「直志くん! 加減は心得ていると言っておいてこれかッ!?」

「心得とりますよ。どこも折れも千切れもしとらんし、息もしとるやないですか」

「な――!」

 そしてそれ以外の結果には申し開きの必要は感じていなかった。

 直撃させる前に自前の結界で衝撃は減じた、吹っ飛んだ先で頭を打たないよう保護までしている。

 そもそもがはねっかえりをしつけることになったのは、彼女の振る舞いとそれを御せなかったことが原因だ。

「それより紫雲さん。さっき本人が言いよったしつけ・・・、やらせてもろてええですか? あぁ、あっちの人らに聞かれたないんで、小さな声で」

「それより、だと……!?」

 それはとりもなおさず父親に対して、娘の貞操を寄越せという要求だった。

 ことさら嬲ったわけではないが、殴り倒して気絶させた男の言葉に、怒りが浮かばないはずもない。

「君は私を馬鹿にしているのか!? はい、わかりましたと言うとでも!?」

「やから声を落としてくださいって。その代わりっちゅうたらなんですけど、すずりちゃんはボクが鍛えたります。まぁ、弟子入り希望は全部断っとるんで、正式な師弟とはいきませんけど」

 まぁ表向きの理由はいくらでもつけられる。

 同じ大阪を本拠とする紫雲は、もとより葛道かずらみちとのかかわりは深い家だ。

 特に直志の母とすずりの母は従姉妹同士でもある、両家の行き来を咎められることはないだろう。

「これで強なろおもて妙なんに師事されたり、逆にヨソに紹介されても困るでしょ? かといってボク以上の退魔師の伝手なんて当然お持ちやない」

「今更、そんなことを……! 虫のいい話だとは思わんのかね……!」

(――なんや、この反応?)

 すんなり話が通るとは考えていないが、それにしても持ちかけること自体を非難するような言葉選びが妙にひっかかる。

 しかしそれを確かめる時間は今はなかった。

 他の当主連中に聞かれては、余計な横やりが入りかねない。

「別に紫雲さんとこにとっても、悪い話やないと思いますけど?」

 重ねて聞いたころには、紫雲家当主も計算が働き始めたようだった。

 表情に険を残しながらも、声は抑えられている。

「――いや、しかしそれでは君に得が無いだろう。まさか娘を抱きたいからとそんなことを言いだしたわけではあるまい?」

「もちろん。ただ説明の前に――紫雲さん。いまの関西、どない思います?」

「……良くない状況だとは認識している」

「そらまたずいぶん控えめな表現で。維新からこっち西の術者の質は下がる一方や聞きますけど――実際ボクから見れば一部を除けばカスばっかですわ」

 直志自身に並ぶものがいないのはまだいい。

 基準を甘くしてなお両手で足りるほどしか本物・・がいないのが問題だった。しかも多くはまだすずりのように未熟と来ている。

「う、む……」 

 そして直志がいうカスの範疇はんちゅうに自らも含まれているのを知りつつも、紫雲家当主はそれを否定できない。

 全くの事実であるからだった。

 だからこそ、娘の増長を諫められなかった苦い事実がある。

「おまけに東は大空襲の被害を逆手にとって根本から霊的防備を固めなおしたっちゅうのに、こっちはやれ文化財やら景観やらの保護を理由に、新旧の結界があちこちで喧嘩して機能不全を起こしとる。安穏としとるんは洛中くらいですわ」

「おい、京の批判は――」

「誰も聞いとりませんて――まぁそんな早晩破綻が見えてる土地でドンパチやらなあかんのに、肝心の退魔師が質も量も不足ときたら、少しでも使えるんが増えて欲しいっちゅうボクの気持ちもわかりますやろ」

「それはわかる話だが、それはなにも娘である必要が……」

「いやいや葛道うちと紫雲さんとこは一蓮托生、運命共同体みたいなもんですやん」

 ここが勝負どころだな、と直志は最後の札を切った。

「それに――欲しゅうないです? 紫雲家に久しぶりの一級退魔師、そんでそれを生んだ当主の決断っちゅう実績」

 効果はまさしくてきめんだった。

 紫雲家当主は腕組してしばし黙りこんだのち、今日一番力のこもった視線を直志に向けた。

「――そこまで言ってしまえば『努力はしましたが無理でした』では通らないぞ、葛道当主代行。発言には責任を持つんだろうな?」

「もちろん、そん時が来たら一級への推薦はボクで出します。ほんで相応しい実力さえあれば、當間とうま来島くるしまの両家は確実に乗ってくれますわ、伝手は他にも――っちゅうのはどないです? 耳寄りな話でしょ」

「娘にはその才能がある、などとただ言われるよりは余程信じられるが――そうだな、本当に妻以来の『紫雲の一級退魔師』が生まれるなら喜ばしい話だろうな」

「まだなんや不安でもおありで?」

「娘を鍛えるのはいい、しかしそれで葛道の手駒・・・・・が増えるのでは困る」

「心外やなあ。すずりちゃんが家よりボクをとる理由ないですやん。鍛えるにしてもまず言うことを聞いてくれるんかが心配ですわ」

「――本気で言っているのか?」

「ええ。なんぞおかしなこと言うとります?」

「いや、いい。君がそう思うのならそうなんだろう、それが全てだ――分かった。私としては受け入れても良い」

 やはり妙な反応だった。

 紫雲家当主は何か自分の知らない、あるいは見落としていることを知っている。

 だがそれはせっかくまとまりそうなこの話を引き下げなくてはいけないほどの何かだろうか?

 ――答えはノーだ。

 もし葛道直志が倒れる時がきたら、それはそのまま関西の危機でもある。

 ならば逆説的に、地域の安定こそが直志を救うことになるかもしれない。

 ついさっきに思い至ったばかりの考えだが、行動する意義は十分にある。

 どう転がるにせよ、少なくとも将来的な負担だけは減るだろう。

「そりゃなによりですわ、じゃあ――」

「ただし、最後に娘の意思をもう一度確認させてくれ。これがいやだと言うなら申し訳ないがそれまでだ」

 ――ほう。

「ボクも女の子に無理強いするんは趣味やありません、ほなそれで」

 退魔師としてはともかく、父親としては案外悪くない人物なのかもしれないな、と密かに直志は評価を改める。

「ああ、それと適当にそちらに今夜の部屋も用意してもらえます? すずりちゃんも実家の方が落ち着くやろし」

「本当に図々しい男だな、君は……」

 苦い顔をしながら、結局紫雲家当主はそれも飲んだ。


 §


 その日の夜、紫雲家の離れの一室で、直志はすずりと膝付き合わせていた。

 用意されたのは若夫婦などが母屋とは異なるペースで生活するための部屋で、ようは短期集中ヤリ部屋だ。似たようなものは葛道の家にもある。

 当然部屋の布団は一つ、枕は二つだ。

 二人ともすでに体を清めて、寝巻きとして用意された浴衣に着替えている。

 お膳立ては済んだ、問題はすずりの顔に大書された「不機嫌」の文字だった。

「――で、すずりちゃんはなんでそない難しい顔しとるん?」

「自分の胸に聞いて見たらどうだ」

 大人びた美貌に、年相応のすねた表情ですずりは視線を険しくする。

「女の子はむずかしいなあ、そもそも自分で言いだしたことやん」

「あれは結果への覚悟を示したのであって、私を鍛える口実作りのために同意したわけじゃない」

「そんでも、話聞いたうえで断らんやったやろ?」

「それはそう、だが……」

「――あぁ、単純にボクがやりたい言うたらOKやけど、そうやないんがイヤってこと? めんどくさ」

「言い方がひどすぎる……」

「いうてボク、ロリコンやないし。制服をありがたがる気持ちとかわからんねん。理由も打算もなしにすずりちゃんくらいの年の子抱くんはなあ」

「そうか、それなら勝手にしろ」

 ぷいと顔を逸らす、キスでもしてやろうかと頬に手を添えると邪険に払われた。

 勝手にしろとは何だったのか。

 まぁ確実に処女やろし、ここは軽快なトークで和ませたろ、と直志は口を開く。

「ところですずりちゃん、今さらやけど彼氏はおらんの?」

「そんなものはいない」

「ほな彼女は?」

「もっといるはずないだろう」

「確かキミ女子校やったろ? すずりちゃんなんかいかにもモテそうやん」

「告白はされたが、あんなのはただのごっこ遊び、気の迷いだろう。興味はない」

「ありゃあ、こんな綺麗になったんにもったいないなぁ」

 軽口交じりの世辞を口にするとなにやら殺気がこもった、というより殺意が視線に置き換わったような眼で睨まれた。

「どないしたん?」

「……いや、別に」

「そんじゃ、幼馴染の男の子とかは?」

「目の前にいるが」

「ああ、そういう解釈もあるんか……ほな小さいころに誰かと結婚の約束とかはしてへん?」

「言いたくない」

「ってことはしとるんかいな……」

「それより、さっきから質問の意図が読めないんだが?」

「あぁ、いやキミにそこら辺の相手がおって、のちのち恨まれるような展開になるんはちょい避けたいなあ思て。ボク、寝取られものキライやねん」

「――本気で言っているのか?」

 それはたしか彼女の父親にも確認された言葉だった。

 彼のは呆れまじりだったが、すずりのそれは呆れからさらに半周して怒りになった感じがあった。

 やはり、なにかがあるのは間違いない。

「本気やけど? じゃあもうぶっちゃけて聞くけど今好きな男はおらんの?」

「ッ、ああ、いるさ! わかっているだろう、葛道直志!」

「いや、わからんから聞いてるんやけど……あぁ、でもせやったらやっぱやめとこか? 申し訳ないやろし」

「ふざけるな! あなた以外に、他の誰がいると思ってるんだ! 私はそんなに気が多い女じゃない!」

「――へ?」

 怒りからかそれとも羞恥か、顔を真っ赤にして上目遣いでこちらを見つめるすずりはとても冗談を言っているようには見えなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る