これがボクの生きる道 3:疾風迅雷やね

 八家はっけの会合に使われていたのは陰陽寮に属する神社の社務所で、同じ敷地内にはちょっとした公園ほどのひらけた空間がある。

 鎮守の森が囲む土の地面を押し固めただけのそこは、退魔師たちの訓練や、有事の際の避難、あるいはあやかしを引き込む戦場として用意されたものだ。

 その中央で四メートルほどの間を空けて二人の人物が向かいあっている。

 東に袴姿の青年、葛道かずらみち家当主代行、一級退魔師葛道直志なおし

 西は白いセーラー服の少女、紫雲しうん家長女、二級退魔師紫雲すずり。

 無手の男が軽く体を動かして備える一方、少女は黒塗りの鞘におさまったままの刀を携えて静かに立っていた。

「ところですずりちゃん、ほんまに着替えんでええの? そない短いスカートで、オッサンたちにサービスしてやることもないやろ」

 現代の基準ならば短すぎることはないものの、それでも膝上丈のスカートは運動と致命的に相性が悪い。

 足元のスニーカーは履きこんだ風だが、下着を気にして負けただのとケチをつけられてはたまらない。

「下に重ね履きがある、心配は無用だ」

 それに対するすずりの返事は年頃の娘には似合わない武張ったものだった。

 こちらが素なのか、会合の時は一応猫を被っていたらしい。

「さよけ」

「葛道殿、立会いは――」

 遠くからかけられた声を直志は一蹴した。

「そない大げさなん必要ないですわ、二級のお嬢ちゃん相手にボクが加減間違える思います? 下がったって下さいな」

 意識しているのかいないのか、すでに臨戦態勢に入ったすずりに気圧されて近寄れもせずにいる者たちに何ができるというのか。

「わかった、では開始の合図もそちらに任せよう」

「ハイハイ――ほんじゃすずりちゃん、いつでもええで」

 観衆のことを完全に思考から追い出して、直志は軽い口調でそう言った。

 その態度を傲慢だとは、すずりでさえも思わないだろう。

 分野によって多少の得手不得手はあろうとも、二級退魔師相手に一対一で遅れをとるようなものが一級になれるわけがないからだ。

「関西最強が相手でも、胸を借りるとは言わない――勝ちを狙わせてもらうぞ」

 腰を落とし抜き打ちの構えを取りながら、作り物のようにさえ見えるすずりの美貌が今日初めての笑みを作る。

 それは美しいだけではない鋭さ――いっそ獰猛どうもうさと呼べるものを内にふくんだ笑顔だった。

 どうにも武人気質というか、退魔師にはときおり見られるタイプらしい。

「キライやわぁ、その呼ばれ方」

 しかしそれを見た直志は嫌いなものでも口にしたように舌を出した。

「なに?」

「ダサない? ご大層に『最強』を名乗っといて関西限定って。岐阜やら岡山やらまで行ったら負けるんかっちゅう話やん」

 実際に直志が西日本最強と呼ばれないのは、九州と四国に彼と互角かそれ以上と見られる人物がいるためである。

 葛道直志は強すぎる自負心を持った自信家である一方、どこまでも純粋な力の信奉者でもあった。

 同格以上とみた人物にはこの上なく真摯で誠実であり、だからこそ地元の退魔師たちによる過剰な持ち上げを疎み、虚名を嫌っていた。

「まぁ『関西一』なら客観的事実として受け入れたってもええけどな?」

 しかしそれはあくまで大きく見せようとすることに対してだ。

 実際に関西に限れば――それこそ京の術者たちをふくめても己こそが最強だという自負はあった、ことさらに謙遜けんそんしようとも思わない。

「――少しは見直そうかと思えばそれか」

 すずりが鼻白んだ顔になる。

 ひそかに鯉口が切られた音がした。

 構わず直志は続ける。

「ボクが間違っとる思うんやったら反証はいつでも大歓迎やで? 口だけの雑魚はなに言おうが知らんけど」

「そうか――――!」

 銀光一閃。

 直志の言葉に、抜き打ちでの胴薙ぎですずりは応じた。


 §


「っ!?」

 四メートルの間合いを一息、まさしく地さえ縮めたようなその一撃は、しかし何の成果を上げることもなかった。

「――体の使い方は上等。殺気も十分こもっとる。せやけど肝心の霊気の練り・・が足らんわ」

「くっ!」

 鋭い一撃を難なく手のひらで受けとめた直志は、刃が引き戻されるよりはやく指で作ったキツネの口でそれを押さえた。

「今ので切れるんは精々並の・・中妖までやね」

「――っ」

 万力で固定されたようなその手ごたえに、すぐに力比べの無為を悟ったかすずりは瞬時に刀から手を離すと間合いを取る。

「ええ判断や」

 本心から言って直志は奪い取った刀を地面に滑らせてそのまま彼女へ返した。

 拾いあげる隙を嫌ってか、スニーカーで受け止めたあとすずりは半身の構えをとかずに直志の動きに注視している。

「――なんのつもりだ」

「違いをわからせる言うたやろ? 瞬殺したら趣旨がちゃうやん」

 これで挑発に乗ったり、言葉を疑うような愚図ならもはや処置なし。

「そうか」 

 対応次第で前言を翻し即座に一蹴する気だった直志は、大人しく刀を拾い上げたすずりの姿に口笛を吹いた。

「よう弁えとる。得物もなしに挑んでくるほど身の程知らずやったら、死ね言おうか思っとったで」

「……あなたはそれで褒めているつもりなんだろうな」

「もちろん褒めとるで、それが気に入らん言うんやったら――」

「ああ、力で示すとも!」

 ぐんっと直志の目前に切っ先が迫る。

 反射的に顔を逸らしてしまうような鋭い突き、しかし実のところそれは囮。

 途中で一気に軌道を落とした刃が狙うのは右脚への斬撃だ。

 脚を殺すだけでなく、大腿部に傷がつけば失血による影響も無視できない。

「それじゃあ切れん言うたやろ」

 しかし慌てることなく直志は腿を持ち上げると、内から外に円を描くように脚を回した。

「っ!」 

 その動きによって膝に押し出された刀が外へと払われ、あわせてすずりの体も流れる。心を残していようと、踏みとどまろうとする硬直がわずかに生まれる。

 その隙を今度は逃さず、ゆるく握られた直志の左拳が飛んだ。

 ためらいなく顔を狙ったそれに備えるべく歯を食いしばり、目で追っていたすずりの目の前でぱっと五指が開いた。

「いたっ!」

 高い鼻を思いっきり弾かれるという予期せぬ、しかし痛烈な一撃にすずりが思わず悲鳴を上げる。

「ククッ」

 その反応にクとケの中間のような声を立てて直志は笑った。

 ずざ、と土の地面が鳴る。

「しィッ!」

 裂帛の気合とともに再び銀の光がひるがえり、逆袈裟の一撃が直志の胴を狙う。

 怒りによるものか、今まで以上に殺気と霊力が乗っていた。

 当たれば薄皮一枚くらいは切られていたかもしれない。

「おお怖」

 それを身を反らしてかわし、直志は笑みを深める。

「はッ!」

 続いた唐竹割には足も使って半歩を踏み出し、くるりと回って縦の一撃を横へとかわすと、すずりの右腕の外側へと身をすべらせた。

「遅いで」

 刀を十全に振るうだけの間合いは、それで完全に失われる。

 息がかかるほどの距離に顔を寄せる、あらためて見るとやはり美しい娘だ。

 それだけに赤くなった鼻の先におかしみを覚える。

「いやぁ、しかしやっぱ女の子やね。綺麗な顔叩かれたんがそない腹立ったん? ごめんなあ」

「こ、の……ッ!」

 距離を取ろうとするすずりの動きにあわせて、直志は同じだけを踏み込む。

 引きはがそうと振るわれた柄頭での横殴りの打突は手で受け止めた。

「さ、次はどないする――っとぉ」 

 問うた瞬間、迷いないくすずりが自らの頭を直志の顔へぶつけに来た。

 のけぞってそれをかわすと、今度は股間を狙って膝が飛んでくる。

 それをよけるために距離を取ったのは、直志にも不覚なことだった。

「しィッ!」

「お、っとぉ」

 離れた距離を活かし、すかさずの鋭い突きが今度こそ喉元目がけて来る。

 初段を直志は首をひねってかわす。

 すぐさま引き戻す動きで続く二段目を察して身を逆にひねり、更なる三段目の前には剣の間合いから離れた。

「あぶないあぶない――ずいぶんとお行儀悪いなあ、すずりちゃん」

 再び開いた距離は、ちょうど開始前と同じ四メートルほどだった。

 ただし、いまだ涼しい顔を崩さない直志に対して、すずりの額には汗が浮き、肩で息をしはじめている。

「分を弁えているだけだ。手段を選べる相手じゃないだろう」

「それはそう。ええ返事やね」

 久しぶりに痛快な思いで直志は微笑んだ。

 綺麗な剣だけではない、絡め手も喧嘩じみた手もあって、それがしっかりと身にもついていた。

 そもそも剣に溺れれば刀を取られた時点で詰み、勘違いした誇りに酔えば返された刀を取れずにやはりそこで詰んでいただろう。

 しかしすずりは実際の利を取っていく判断に加え、格の違いを見せられてもなお向かってくる負けん気の強さもある。

 下手に術に頼らないところも良かった。

 退魔師の使う術は、それこそ炎やら風やら雷やらを起こし、もっと複雑な事象も引き起こせる魔法めいた技だが、一番最初にそして最後に頼れるのはやはり霊力で強化した自身の肉体だ。

 白兵戦をこなせない退魔師など、戦場に出る資格がない――揃いも揃って見物に終始している術頼みの当主たちのように。

 なんでもする、が口だけであることが多い中で、この娘は確かに本物・・の退魔師となれる素質があった。

 であればなるほど紫雲家当主が決闘に難を示すはずだ。

 同時に彼では娘を御しきれなかった理由もわかる。

 自らが通ったことのない道を教えられるほどに優れた師というのは多くない。

 公平に言って彼がそうでなかったことだけは責められないだろう――トンビにタカの飛び方は教えられまい。

「ほな、このまま終わるのもなんやし、すずりちゃんも切り札の一つくらいあるんやろ? 自慢の技、見してみ」

 ならばここで彼女の全てを引き出して、その上でねじ伏せてやろう。

 そんな直志の意図を組んだ上ですずりもまた頷いた。

「――いいだろう、精々余裕ぶっているといいさ」

 刀身にかざした手が、柄から切っ先までをなぞる。

 二尺三寸ほどの長さの刀はにわかにその輝きを増したように見えた。

金生水きんじょうすい

「……ほぉ」

 いや、それは刀身に次から次へと浮かぶ玉のような水滴が刃を濡らし、光を返しているためにそう見えるのだった。

 五行思想における相性そうじょうによれば、金は凝結により水を生むものである。

 刀身から滴りおちたしずくが、地面に黒い・・染みを作った――気づけば、刀はいつしか黒い涙を流していた。独特の匂いは墨のそれだ。

自運じうん旋風つむじ――!」

 ぶんと振るわれた刀から飛び散った墨水が、虚空に嵐の絵を描く。

 直後、渦巻く白黒の嵐は可視の実体となって直志に襲い掛かってきた。

「ッッッ!」

 思わず漏らした驚愕は、演技ではなかった。

(そうきたかァ~!)

 刀を介することで周囲の気から水を生み、更にそれを自身の霊力で変質させる。

 名は体をあらわす、すずり・・・が墨をるのは道理である。

 そして画竜点睛の故事にあるように描かれた絵が動く、あるいは傑作には命が宿るという考えは世界中で見られるものだ。

 すなわち絵が現実を写し取って描かれるものなら、その逆があったところで何の不思議があろうか――しかし。

「――粗うて、甘いわッ」

 自らを飲みこもうとする嵐に、直志は胸の前で柏手を打った。

 快音一つ、ただそれだけで荒ぶる風はそのまま宙に溶け消えてゆく。

 そよかぜが男の髪をわずかにゆらした。

「な――!?」

 避けるか、受けるかその隙を狙っていたすずりも、これにはさすがに次の動きが遅れた。

「発想はええ。応用も効きそうやし、それを考えれば多少の手間はしゃあない。ただ単純に練りが足らん――まだまだ技やのうて芸の域やね」

「っ、おのれっ!」

 続けて一閃、すずりが刃を振るえば先よりも強く大きな嵐が生み出された。

 しかしそれも直志は足踏み一つ、だんと地を鳴らす音で消し去ってみせる。

「さっきよりも雑んなっとるで」

「……馬鹿、な」

「歩法もれっきとした儀式の内やで? それをちゃあんと理解してればこんくらいはできるわ――しかし、ちょいもったいなかったなぁ」

「……」

 なにがだ、と視線だけで問うすずりに向けて、直志は微笑みかける。

 本人の狙いがどこにあれ、他者からみれば実に底意地の悪い笑みだった。

「いや、さっきはうっすい言うたけど。すずりちゃんがボクより強なる可能性、最初に考えてたよりはあったなぁ思て。紫雲さんには悪いことしたわ」

「まだだ、まだ私は負けていない……!」

「負けるで、今から負かす。ただ嬲るのはやめや、キミの可能性に敬意を表して本気の一撃で決めたる」

「……っ!」

 直志の言葉に一瞬顔をひきつらせて、しかしすずりはしっかりと刀を正眼に構えなおした。

 闘志は萎えない、心は折れないと示すように。

(ええやん、ブチ折ったろ)

 それがますます直志のテンションを高めた。

「ところですずりちゃん、腹筋は鍛えとる?」

「……それなりには」

 意図が掴めないと怪訝な表情ながら、すずりは素直に答えた。

「ほな今から全力で腹パン入れたるから用意しとき。あぁ、避けるとか無理やで。腹ん中身ぶちまけたないんなら、しっかり霊力も練って力入れといてや」

 頼むで、と言って直志は左足を前に半身になるとわずかに腰を落とした。

 ぱちぱちと小さく何かがはじけるような音があがりはじめる。

 鎮守の森が生む清浄な空気に、ツンとした生臭い匂いがわずかに混じり、しかもぴたりと風がやんだために吹き散らされず、その場にとどまり続けていた。

「な、なんだこの匂いは……」

「お、おいっ! 葛道の代行っ、なにをする気だ!?」

 異変を察した当主連中が騒ぎはじめる。

 無論、直志はそれらのすべてを無視した。

「これは、まさか――くっ」

 一方彼らの反応で何かを察したすずりは、焦った声で切りかかろうとして――直志の一瞥に忠告を思い出したか、身を硬直させた。

「それで正解や、絶対間に合わへんから。本来はこんな大げさにタメへんのやで? 大人しゅう見とき」

 霊力による身体強化と、生体電流の調整。

 これにより電気信号による脳の指令は一切の遅延なく身体に実行され――動きは思考のそれと速度を同じくする。

「これがボクの異名の由来――」

 言って直志が踏み出した一歩は、離れて見ていた者にさえ捉えられなかった。

 対峙しているすずりにはなおのことだ。

 一瞬の閃光、落雷のような轟音があたりに響いたときにはすべてが決している。

「――~っ!!」

 身を守ろうとした動きその全てをかいくぐって、直志の拳は宣言通りにすずりの腹へ叩きこまれていた。

「疾風迅雷やね」

 その一撃ははやきこと風のごとく、はげしいこと雷のごとし――ゆえに疾風迅雷。

 体が吹き飛んで無くなったような、痛みを越えた衝撃は言葉を発することさえ許さない。

 直志の言葉が脳に届くころには、すずりの体はくの字に折れたまま鎮守の森までの数十メートルを吹き飛ばされていた。

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