第4話
蒔乃はバス停まで転がるように駆けていく。丘の上にある家からに下り道の先には湘南の海が微かに覗いていた。海面は春の暖かな日差しを受けて、白い木漏れ日のダンスのように光っていた。その景色を気に入ってか、一臣はバスには乗らず自転車通学を貫いている。
途中、絶対に吠える番犬に挨拶をしてバス停に着くと、バスは二分遅れでやってきた。始発に近いこのバス停で乗り込むと、結構な確率で座れることが多い。今日は最後尾の広い座席が空いていた。ラッキーと思いつつ乗り込んだ蒔乃が席に座ると、バスは緩やかに出発する。
バスはやがて海岸沿線を走り、駅からゆっくりと出てくる江ノ電と束の間並走した。蒔乃は凪いだ海を見ながら、朔司のことを思い出していた。
家で飼う猫に餌を与えている朔司の首筋が先ほどちらりと見えてしまった。彼は襟付きのシャツを好み、第一ボタンまできっちりとはめているが、俯いたりすると僅かばかりその肌が窺えるのだ。
そこには大きめの絆創膏が張ってあり、蒔乃が付けた歯形が痛々しく残っているはずだ。絆創膏に血が滲み、周囲の皮膚は青黒く内出血を起こし、治りかけの痕は黄色の肌になっていた。
申し訳ないと思う。そして、その倍も愛おしく蒔乃は感じるのだ。
蒔乃には脳の障害があり、痛覚が無い。触覚の電気信号こそ脳は受け取るが、痛覚の電気信号を脳は完全に拒否している。ただ、痛みを知らない訳では無い。彼女の障害は後天的なものだった。
蒔乃はバスの車窓に額を押し当て、小さな溜息を吐く。
今日も、海が綺麗だ。
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