第2話 嵐到来

 それは突然にやってきた。

「リナリー!緊急事態発生だ!救世主を探せ!」

 支離滅裂な言葉を叫びながら、青年がクローズの看板を下げていた扉を蹴破る勢いで開いたのだ。

 ちょうどその時、フィオはマダム•リナリーに化粧の手ほどきを受けていた。そばかすを気にするフィオに、お客さんが隠すのにちょうどよいコンシーラーがあるとプレゼントしてくれたのだが、その使い方がわからなくて教えを仰いでいたのだ。

 びっくり仰天してぽかんと口を開けながら青年を見たフィオを、彼も見返した。無遠慮に、じろじろと。マダム•リナリーの手にあるコンシーラーにも目を止めて、そうして彼はずかずかと入ってくるとフィオの正面に立って指差した。

「化粧?そんなもの必要ないだろ!お前はじゅーぶん個性的だ!」

 唐突すぎるし不躾にも程がある。

 あっはっはっ、と大きく口を開けて笑う青年にフィオは奥歯を噛み締めた。

 個性的。本来なら賞賛として用いられるその言葉が、心の柔らかな部分をぐさりと刺し貫く。

「し、失礼です!それにあなたに私の気持ちはわからないわ!そんな、容姿に恵まれているから!」

 青年の見目は、美しい。異国の血が入っているのか見慣れない象牙色の肌をしていたが、不思議と艶のある漆黒の髪と黒曜石の双眸が映えて神秘的な雰囲気に見せている。性格のせいで全て台無しだが。それでも、十分に美しい姿にフィオの卑屈な部分が牙を剥く。青年はそれを歯牙にもかけなかった。

「ふうん?変な理屈!なあんでみんな外見を取り繕うんだ?そんなはりぼて面白くない!オレは嫌いだ!」

「それは、その方が好かれるから!」

「ならなんでオレの見た目で寄ってきたやつはみんな中身を知るなり逃げたんだよ!おかしいだろ!?」

 いやそれは何もおかしくないと思う。小さな子どもが感情のまま生きるのは可愛らしいが、良い年をした大人がするとかなり痛々しい。などとは流石に言えず黙り込んだフィオに、絶好調な青年はがなりたてる。

「べたべた顔に塗りたくって、個性を潰して、楽しくない!同じ顔ばっかで気持ち悪い!そんなに無個性になりたきゃ死体にでもなれよ鬱陶しいなあ!」

 暴言に次ぐ暴言にもうフィオは短音を発することもできなかった。

 怒りを通り越して惚けたフィオに興味を失ったのか、青年はつまらなさそうな顔になるとぐるりと辺りを見渡して、動きを止めた。その目が作業台に置かれた紙に据えられる。

 ――フィオが練習で描いていた、ドレスのラフ画だ。

 はっと息を呑んでフィオは立ち上がるが、青年の方が早かった。彼は素早く紙を手に取ると光に透かすようにして眺めた。薄く形の良い唇が開く。

「返して!」

 そこから罵倒が飛び出してきそうで、怖くなったフィオは半ばひったくるようにしてラフ画を取り返した。

 青年が、じっとフィオを見た。そうしていると恐ろしいほど整った顔をしていて、思わずたじろいでしまう。

「お前、名前は?」

「え?フィ、フィオで」

 す、と言い切る前に勢いよく手を握られた。きらきらと輝く瞳に間近から覗き込まれ思わず仰け反る。

「オレの救世主!会いたかったよ!」

「え?は?」

「フィオ!エロとグロとホラーの奇跡的な交響曲を奏でに行くぞ!」

「……………………はい?」

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