本当の空
「怖くなったら……」
いつだったか誰かに言われた。父親だったかもしれない、母親だったかもしれない。友だちにそんな子はいなかったはずだ。立っていたのは実家の細長い庭で、よく刈り揃えられた芝生を押しつぶして縦につらなる軽自動車二台が轍を交えており、端に設えられた杉板による簡素な土留めの向こうはたくましい雑草の根をのこし傾斜して、滑りおりれば骨のような魚が銀色のうろこをひるがえす小川がさらさら音を立てて流れ、苔むした石にぶつかり白いあぶくを弾けさせ、しめりけに草の青臭さの混じる風が半袖の腕から生えた金色の産毛をなぜた。
「目をつぶり、三十秒だけかぞえるんだ」
まだ頼りなかった背中を強く押され、魔法をかけられたかのように、海晴はぎゅっと目をつぶった。
一……二……三……。
それは長いようにも思えたし、短いようにも思えた。それは時間の流れ方として整然であり、なにかの暗喩であるようにも感じられた。
あのひとも、おなじように三十秒をかぞえていたのだろう。海晴がかぞえおえたころ、背中に添えた大きな平手をいきなり放し、
「さあ、振り返れ」
と強いるようにではなく、放つように言った。
意固地だった海晴が目をひらいたか覚えていない。ただ、純粋な青と、続く言葉がどうしてか怯えを帯びていたことを覚えている。
「……そこにあるのが、本当の空なんだ」
あのひとがいたそこは、三月だった気がする。鼻のおくが泣くような、冷たい匂いで覚えている。
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