解れたナイキの靴紐
高校に行くつもりはなかったが、中卒では生きるか死ぬかの二択ほどに就職先の選択肢に乏しく、また将来に渡り給与が少なくなることを漁村の貧しい暮らし及び五十五年体制崩壊後に築かれた新政権への恨み節とともに聞かされ、あるいは高校に行かせるよう裏でとかく保守的な母親が働きかけていた様相は深夜の喧しい長電話にあったが、すでに他人のもののような制服の息苦しさを、詰襟のホックを外して堪えながら、時間と不安を持て余すぐらい簡単な筆記試験と面接を形だけ受け、最寄りの高校に進学した。
「地元にもっといい高校があるのに、どうしてこんなところに越してきたの?」
住民票はまだ地元にあったため、怪訝に思ったのだろう、太い眉毛に灰を交じえる正義感の強そうな面接官が圧のある前のめりで食らうように尋ねてきた。
「海が好きだから」
海晴は、あたかも用意してきた文章を読み上げるように頬を強張らせつつそう答え、無邪気な嘘をついた焦燥感に追われたかのごとく、聞かれてもいないのに、漁師になりたい夢を早口で唾とともに語ったことも、脈絡としては揃って袖まくりの腕を組んだ面接官に好印象を与えたような感触が彼ら三人の笑みにあった。けれど本当は「他にいく場所がなかったから」だったなと、ポロシャツの胸元で呆けたラルフローレンばかり思い出される帰り道、海晴は下腹部でなにかが泣いているような欲求不満に促されるまま、八つ当たりの先を探したけれど、海につながるアスファルトが剥がれた下り坂は停止線すら掠れていて、嘔吐くような鶴の声がどこかから聞こえ、慌てて足元を確かめれば、固結びにしたナイキの青い靴紐がいつの間にか引きずる癖のある右だけ解れていた。
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