うちの子はもう帰ってこない

 古い親戚の家は、そこからさらに三十分ほどクリーム色の砂浜沿いを電車で走った先にあり、上げられた窓から流れこんでくるぬるったい潮風を額に浴びつつ、気晴らしに乗降口上のまばらな路線図を指さしでかぞえれば距離は僅かだが、県下でも内陸に比べれば鄙びつつある海辺の地区を南北に繋ぐ電車は二時間に一本しかないため、ぽつんと建つ一軒家の引き戸わきに塩が三角錐に積まれた敷居を跨ぐころには、下りはじめた太陽が泡立草の細い影を長く引いていた。しばらくぶりに訪れた親戚の家は、他人の葬式で正座を整えなおさせるようなニッキ臭さが漂っていたが、そのことに妙な安堵を覚え、入るなり板張りの廊下奥のお手洗いを借りた。男子トイレと女子トイレが別れた民家にしては珍しいお手洗いであった。柑橘系の匂いが上書きする小便器に向かい合うと、ひらがなが小さくなりながら行進する視力検査表が退色していた。豚肉ともやしが太麺よりも多い、奇妙な焼きそばをもてなされ、「ああ、これはご馳走なのだ」と、金箔を散らした梅こぶ茶を啜るとともに客人の居住まいを正せば、親戚は夫婦そろって原子力発電所で働いていることを奥歯にしぶとい肉片が挟まったような愚痴っぽい口調で聞かされた。電車の窓から木々の向こうに見なれない煙突が窺えたことを思い出したが、形が違うそれらのどっちが原子力発電所でどっちが火力発電所なのか、爪楊枝で歯の奥を抉りながら語られる親戚の要領を得ない話に耳を傾ければ、ばってんにした漆塗りの箸先より焼きそばがつるんと滑り落ちた。

「うちの子はもう帰ってこんから……」

 海そだち特有の訛りを強めてそう言った親戚の消え入りそうな語尾ばかり頼りない三半規管に刻まれた。夜は帳で仕切られたように静かで、明かりを点けたままでないと寝つけず、ときおり羽毛布団から汗ばんだ顔を鼻のうえだけ現わして、化かしているかのごとく二重に輪を成すまぶしい蛍光灯に踊る塵を睨んだ。「日本一小さい漁港」だけを誇りにするささやかな港町は、原発を誘致することにより潤ったし、むしろ当時の町長の回顧録を私設図書館で捲れば、原発に頼るしか打つ手がないほど貧しかったという。それは「衣食足りて礼節を知る」という言い訳のような言い回しとともに、のちに高校で耳が痛くなるほど聞かされた。あるいは、痛かったのは耳だったか。誰の?

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