1994年、高校生
浜へ行く
高校に上がるとき、海晴はあぶくが気中を目指すようにあの町を離れた。父の指導によりテレビとお喋りが許されなかった食卓は、いつも家族の象徴的に暗く、母の気配りでいつも温かい味噌汁が供じられたぶん、冷たかった気がする。いつもどおり向かいに肩を揃えた両親の顔は黒塗りで、花柄のテーブルクロスに付着した味噌醤油の沁みしか覚えていない。
「俺、浜に行くわ……」
初めてそう口にしたときの、自分のものでないような喉の意地悪い強張りと、たしかに自分のものであった背筋を伝う脂汗のなまぬるい感触だけ、身勝手な申し訳なさとないまぜにしていまも体で覚えている。
山岳地帯に拓けた盆地にしずむ海晴の故郷から、始発のおんぼろな鈍行列車に乗って、およそ三十駅、映画に仕立てればブーイングの嵐が巻き起こりそうな三時間。着くころには別れ際に母が持たせてくれたアルミホイルの梅干し入りおにぎりひとつしか食べていない腹が季節外れのこおろぎみたいに鳴きはじめた。プラットフォームに佇んでいたカラフルな洗濯ばさみが噛みつく割烹着姿の母。赤線だらけのスポーツ新聞のすでに終わった競馬欄を睨んだまま振り向こうとしない父の背中。それでもひとり息子に「海晴」と名付けたふたりは、いつかこの日が来ることを予感あるいは示唆していたような気がする。いるものはあっちでぜんぶ買うから、と、ぶっきらぼうに、三つ折りの腹巻のなかに突っ込んだくしゃくしゃの福澤諭吉を舐め、気持ちばかり弾けそうなナップサックを抱きしめ、まっさらな銀色のウォークマンのなかで三周目となるBOØWYのベストアルバムをコピーしたカセットテープが退屈を裁つような音を立てて回転する。親父が便所の窓際に並べたつまらないミステリー小説のひとつでもくすねてくればよかったな、と、海晴はろくに少年漫画しか読まないくせ、たまに鏡張りでおぼろ雲を現わす湖面が見えた以外、代わり映えしないくすんだ窓のむこうの景色にそぞろな目を配る。日本で四番目に大きいらしい湖と、まだ頂に綿を被った山脈を越えれば、県下でいちばん大きな川に由来して古来より平地が広がるこの地域では中心となるらしい小都会で乗り換えをした。あまり美味しくない立ち食い蕎麦を一味で誤魔化して汁ごと平らげ、もうひとつ山脈を越えて、徐々にビルディングが背を伸ばしはじめるが、ほっそりした泡立ち草にすり替わったころ、海晴は窓ごしに伝播するしらない寒気に官能を促されるまま、鉛のような眠気を振り切って立ち上がり、ガラスに額をくっつけて、夢でも見ているかのように外を睨んだ。
「海だ……」
吝嗇な小学校の修学旅行で湖を見たことはあったが、海はそれより多少広いものと心得ていたところ、ぜんぜん違った。どうしてか涙が零れそうになり、それは「悔し」と接頭辞を付けるのが的確な気がした。まどろっこしい電車の扉がひらくなり蹴飛ばすように飛び降りて、無人の改札を擦り抜け、けたたましいクラクションを振り切りながら赤の歩行者信号を突っ切れば、鯨のあばらみたいなアーケードを越えたころ、胸の詰まるような潮の匂いでとっさに息を止めた。いや、まだ海晴には「潮の匂い」という簡単であるものがすべからく深遠たる語彙は意味や含蓄を伴っておらず、喩えるならそれは、学校をさぼりたくましい水稲のなかに息をひそめ唾を呑み込んだときの鉄の味に似た罪悪感が近かった。
慣れ親しんだ新雪とはちがう柔らかさに怯えながら不器用に砂浜を走り、シューズのなかに入り込んでくる細やかな砂粒が気持ち悪いことに驚き、足元が湿り始めたころ、一度、上空で華麗な宙返りする鳥の名前を悩み、それからゆっくりと波打ち際に近づいた。思いのほか波が近くまで遡上することに慄いて飛びのき、おぼつかない擦り足で歩み寄り、からかうように通りすぎる平べったい蟹のそばにしゃがんで、ふるえる人差し指の先を泡立った波に浸し、このために乾いていたようなすぼめた口に咥えた。
「ここからここで生きていくんだ」
そう心を結んだ瞬間、あっと忘れもののように尿意を思い出した。
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