転生神輿

 千住温水プール『スイミー』。

 小学校の地下1階に併設された、25メートル温水プールで、授業のある時間以外は一般に解放されている。千尋は子供の頃からこのプールで水泳を教わっていた。私立の中学へ進学してからは、体力作りの為、定期的に通っている。


 25メートルをひたすら往復する千尋。

 ノルマをこなし、プールからあがってスイムキャップをとり、プールサイドで休んでいると、顔なじみの如月きさらぎ みおに声をかけられる。

「今日も精がでるね。千尋ちゃん」

「これからですか? 澪さん」

「仕事が終わってね、ひと泳ぎ」

「澪さんの方こそ精が出るじゃないですか。普通、仕事終わったらまっすぐ帰宅でしょ」

「めずらしく定時で終わったからね、ひと泳ぎしようと思って」

「土日も来てるじゃないですか。彼氏とデートでもしたらどうですか?」

「その言葉、そっくり千尋ちゃんに返してあげる」

「私はカレシ。作る気ありませんから」

「青春はあっという間に過ぎ去るよ。若いときに楽しんでおかないと、取り返しがつかないぞ」

「澪さんの経験談ですか?」

「まあ、否定はできないかな」

 澪は、千尋の胸を指す。

「その大きな胸がもったいない」

 反射的に胸を隠す。

「セクハラです」

「仕返しだ」

「好奇な目で見られるし、粗野だし、乱暴だし、スケベだし。男の人、苦手です」


 澪は、塩素で茶色くメッシュ状に焼けた、パサパサの髪を束ねてスイムキャップをかぶる。

「千尋ちゃんは髪、短く切ってるんだっけ」

「短い方が楽なんで。パサパサになりますし」

「あたしも切ろうかな」

「切りましょう。パサパサだと男受け良くありませんよう」

 千尋はニヤリと目線を送る。

「考えておこうかな」




 その会話に、筋肉質の若い男性が割って入った。

「如月さんは長い髪が似合ってると思うよ」


 出た。ここのスイミングスクールのインストラクター。酒井 孝幸たかゆき


「そうですか。ありがとうございます」

「ジャズは好きですか?」

「ジャズですか?」

「ええ」

「ジャズだけが流れている、落ち着いたバーがあるんですよ」

「へー、そうなんですか」


 千尋が会話に割って入る。

「澪さんはK-POP派なんですよ。ジャズは聴きませんね」

「そうなんですか?」

「そ、そうですね」

「という訳なので、バーへは行きません」

 千尋は澪の手を取って、その場を離れる。


「これだから男は、隙あらばナンパしてくる」

「まあまあ、落ち着いて」

「澪さんもはっきり言った方がいいですよ」

「そうだね」

「私、帰ります。それじゃ!」

 千尋は手を振った。澪も手を振って応える。




 千住の街にとばりが下りる。


 スイミーから帰って来た千尋は、家のドアを開ける。

「ただいま。とーちゃん」

 リビングから話し声が聞こえる。声の主は、|芦立 友義ともあき。千尋の父だ。だれかと話してる? 靴を脱いでリビングへゆくと、友義はスマホ片手に、艶やかな口調と声色で語を継いだ。

「わかってるよ。うん。そう…」

 聞き耳をたてる千尋。

「だから、それは誤解だって。あの娘は部署の後輩だよ」

 それから?

「わかった。今度、飲もう。埋め合わせな」

 その時、友義は千尋の存在に気がつく。

「娘が帰ってきたから、切るね」


 千尋に向いて父は言う。

「おかえり」

「ただいま」

「お風呂にする? 食事にする? それとも、俺にする?」

「お腹が減ったから食事にする」

「了解」

「それと、俺にするっていうの、最悪」


 千尋は、チェストの上に飾られた母の写真と、位牌に向かう。

「ただいま。かーちゃん」


 テーブルには夕食が並べられている。

「今日の夕食はなに?」

「照り焼きチキンとオニオンスープ。ほうれん草のサラダとキュウリの浅漬け」

「うっほ~! 美味しそう」

 ふたり、テーブルに座る。

「「いただきます」」


「とーちゃん。日曜日は祭り、見に来るでしょう?」

「もちろん」

「それと、とーちゃん。さっきの電話。話し相手は誰?」

「クライアントだよ」

「ふ~ん。その割にはずいぶんと親しげだったけど」

「仲が良いんだ」

「そういうことにしておく」

「信用してないのか?」

「とーちゃんも独身だから恋愛は自由だけど、かーちゃんを忘れちゃうのかな? って思うと、やっぱり男って最低だな」

「最低って。虎子が亡くなって17年。再婚せずに千尋を育てたんだ」

「育ててくれたことは感謝しているけどさ、とーちゃんの再婚相手は私が品定めするから」

「お手柔らかに頼むよ」




 境内に集まった人々の声が、ひときわ大きく轟く。時間だ。

「さあ! 神輿を担ぐぞ!」

「「「「おー!」」」」

「そーれ!」

「わっしょい! わっしょい! わっしょい! わっしょい!」

 担ぎ上げられた神輿は、千住の街を練り歩く。鈴、笑美、遊の三人がついて歩きながら、写真を撮る。


 神輿を担ぐと、とたんに汗が噴き出す。湿気を含んだ熱い風は、まったく凉にならない。肩に掛かる重み、神輿に大黒天の御神体が収められている。担いで街を練り歩く。感謝を込めて。

 神輿を担ぐ男達の野太いかけ声が街に轟く。男の声に負けじと、千尋も大声を出す。


 その姿にスマホを向ける三人。

「気合い入ってるね」

「かっこ良いですね」

「さすが俺の嫁」

「にーちゃんの嫁じゃないし」


 神輿は千住宿場町通りを練り歩き、北千住西口駅前通りに出て、さらに行進する。沿道の人達は歩みを止めて、祭りをながめる。




 強い日差しが一転、暗くなったかと思うと、大粒の雨が降ってきた。

「ゲリラ豪雨か」

 そんな大雨を跳ね除けるように、神輿はいっそう激しく、上下に振れていた。しかし、突然降り出した雨に手元が滑って、神輿全体のバランスが崩れた。

「あぶねー!」

 だれかがそう叫んだが、手遅れだった。バランスを崩した神輿は千尋の上にのしかかった。振り返った時、神輿の御神体、大黒天様と目が合った。千尋はそのまま気を失った。




 千尋が目を覚ますと、そこは和風の部屋だった。天井は板張り、床は畳。柱や梁は深い茶褐色に木目が描かれ、襖には大黒天の絵が描かれている。

 目の前に、褐色の肌に流れる長く黒い髪が、大きな胸に流れ落ちる。くびれたウエスト。張りのあるヒップからは、すらりとした足が伸びてヒールが地を踏む。二十代前半ぐらいの女性。それにしても、露出が多くない?

「千住本氷川神社に奉られている、大黒天だ。はじめまして、芦立千尋さん」

「ここは?」

「ワシの神域だ」


「え?」

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