第9話 兎追いし彼の岸
「やあおかえり人間、大変だったようだね」
玉兎の拠点にようやく辿り着いた俺を、門の外で待ち構えていた大将が労いとも嫌味ともつかない言葉で迎えた。その表情には微塵も疲れが見えない。対照的に、俺はボロボロだった。
負け戦に駆り出された俺の手土産は、玉兎に参戦を志願する数名の野良兎だった。
野良兎たちは玉兎の大将を目にした瞬間、それがそうだと認識したのか全員が平に伏した。
「ご近所挨拶ってのは人間の常識じゃ子供でもできることだと思ってたんだけどな」
ボロボロの身体をこれ見よがしに見せつける。これが兎流の挨拶なんて冗談でも言うまい。
「そう怒らないでくれ給え。まさか既に玄兎が攻め込んでいるなんて私も知らなかったんだ。それで手負いの彼らは何かな?」
「玉兎に付きたい物好き――いや、立派な心掛けの連中だ」
「なるほど。あんなところにも賢い者たちもいたんだね」
明らかに見下した物言いをされても兎たちは動じない。これから敗残兵として敵の下に付くのにその程度は覚悟なのだろう。
「将を失って這う這うの体で戦線を離脱して、敵にこうして頭を下げるんだ。もう従う以外の心持なんて持ち合わせてはいないだろう。そんな君達を私は歓迎するよ。まずは戦前の大事、しっかり養生しなさい」
大将は側近に命じて彼らを奥へ案内させた。そして俺に向き直る。
「さて、こちらの用事を終わらせてもらったんだ。報酬をあげないとね。それとも君も養生するかい」
「……それはいいや。聞きたいことが山の様にあるんだ」
「そうかい。予想以上の成果を上げてもらったんだ、いくつでも質問しなさい。こんなところで立ち話もなんだし、中へ入ろうか」
陣幕の中へと招き入れる。考えてみれば大将直々にお出迎えなんてそれ自体がよっぽどの歓待なんだろうな。
「まずは、改めて君には御礼申し上げるよ。まさか兵を持って帰るなんてね」
「そこまで目論んでたんじゃねえのかよ」
「まさか。私はただ、連合兵力と同盟を組んでおこうと考えたまでだよ。君を向かわせたのは別な理由さ」
「あの通信餅とどんな話をしてたんだ」
「可能なら君を客将として扱ってほしい、という話だよ。私としては素性の分からない人間をそんな扱いすることはできないのでね、試しに挨拶に向かわせてもらった。というわけだ」
予想以上の成果とはそういうことか。
「結果は合格だ」
「なら通信餅とあんたは本当に無関係なんだな?」
「無論。あんな替えの利かない宝具を人間一人のためだけに使うなんて、そんな無駄な事をするのは価値のわからない余程の阿呆だけだ。そんな阿呆がどこの大将なのか、まるで見当が付かないね」
「なら大将以外が使ってた可能性は?」
「あるわけないだろうそんなこと。まさかそんなことすら知らないのか?」
常識を疑う様な口調の大将。
こちらとあちらの常識は全く違うというのに今頃気付いたのか。
「……どうも私はとんだ安請け合いをしてしまったようだね。まあいいだろう、それについても私が教えてあげよう」
「そうしてもらえると助かるね」
「逆にどこまで知っているんだ?」
「大将が四人いるってことだけは知ってる」
「ではその大将に特権がある事は知らないわけだ」
「ああ」
「よくそんな秘密主義を君は信用していたね。その信用の勝ち取り方を私は知りたいものだ」
皮肉なのか本当に関心しているのかどっちだろう。この大将なら後者の可能性もある。
「他に頼れる相手がいなかったからな。その通信餅ともはぐれちまったし」
「……はぐれたか。まあ、それは追々考えるとして、まずは特権から。一つ目は通信餅の所持。機能は通信餅を通じた情報収集、相互連絡。カメラ機能も遠方の情報をリアルタイムで確認できるから、戦況に応じた命令が瞬時に出せる」
「やっぱりそれだけ聞くとスマホみたいだな」
「スマホ?」
大将は拙い言葉で復唱した。
そうか、さすがに月にスマホは無いか。
「スマホというのは何か、後学のために是非とも教えてもらいたいね」
「マジかよ……」
あんなもの誰が説明できるんだ。誰かスマホ持ってきてウィキペディアを開いて見せてやってくれ。
「そうかそんな通信技術が。人間の技術は素晴らしいな。大勢がリアルタイムで情報を共有できるなら戦い方も変わるな」
「元々がそういう技術だったしな……。けど、さっきの話を聞くとやっぱり今回みたいな使い方は普通じゃないんだな」
俺は無理矢理スマホの話を切り上げる。結局ネットの話まで説明させられてしまった。
「戦況を気にする必要のない戦力を持ち合わせているなら考えなくも無いが、それならリスクを負ってまで人間を呼び出す理由がない」
「リスク」
「月の神の御力を借りるんだ。当然リスクはある」
ここでも月の神か。
「二つ目の特権が人間の召喚。召喚できる人間には条件があり、千年後の未来から、月の神に選ばれた人間と交渉をして、成立すれば召喚が出来る」
「つまり俺は月の神に選ばれたと」
「月の神のご意思が人間を選んだだけだ。ここに来ると決めたのは人間、お前の意思だ」
「…………」
やっぱり詐欺同然の意思確認じゃねえか。
クーリングオフ制度はねえのか月の神様。
「元の場所に戻る方法は?」
「この戦いに決着が付けば自動的に元の場所に戻される。ただし生きていればだが」
「……そっか」
その言葉に思わず力が抜けて、地面ならぬ月面に倒れこんだ。
帰れるならもうあんな危険に赴く必要なんてないじゃないか。せいぜい避難をさせてもらおう。それが無理なら後方支援でもいい。俺の餅には回復効果があるんだし、それを有効利用してもらおう。
「人の話の途中で寝るのは人間の礼儀なのかね。私が知る人間の礼儀とは違うようだが」
「……すまねえ。ちょっと気が抜けてた」
「話の腰を折られるのはあまり好きではない。それにこの後の話が重要だ」
「お、おう」
餅棒を杖にして俺は立ち上がる。こんな形で餅を使って後で餅の神様とかに怒られないだろうな。
「人間の召喚が出来るのは大将のみだと今説明したが、これには重大なリスクがある。この儀式は一度始めると月の神に選ばれた人間の持つ知識や経験、記憶の一切が脳に流れ込んでくる。この意味が分かるか」
「…………」
「人間の脳に餅の体験が流れ込んで来ると想像すればわかりやすいか」
蒸気に蒸され杵で形無くなるまで潰される経験か。餅の気持ちなんて考えたくもない。
「人間の知識が手に入る強大な恩寵でもあると同時に代償として廃人となる危険を孕んでいる。私は二度としたいと思わないがね」
「大将も召喚しているのか」
「三百年前に一度。だからこそ知識がある」
見た目に違わず――というかそもそも兎の年齢なんてわからんけれどとんでもない長命種なんだな。月の兎って。実は耳の長いエルフと関係があったりするんだろうか。
「そしてその苦痛に耐えきった上で人間との交渉をし、こちらへ呼び出された。その時人間にも月の神の恩寵を与えらる。それが君の力の正体というわけだ。さて、ここまでで疑問は?」
「疑問が氷解するってのはマジだったんだな、って言葉しか出ねえな」
「それはなによりだ。ではこちらから一つ尋ねよう。連合勢力の大将に気になることは無かったかね?」
「気になる事?」
大将の語気が強まる。大将に――玉兎にとっての大事だと言わんばかりに。
「今言っただろう、人間の情報が流れ込むと。もし連合大将が儀式を行っていたとしたら何らかの影響が出ていると見るべきだ」
「……今頃そんなこと言われても気にしてなかったからなぁ」
「これはこれから来る局面を迎える上で重要な情報だ。三百年前に無くて君の時代にある言葉でもいい、何かを言っていなかったか」
「大して話してないんだよ。やたら丁寧な言葉遣いで諦めた風ではあったけど、けどそんな言葉は……電話!」
「……デ、デンワ?」
「ああいや、あれは鏡餅様が言ってたやつか」
「通信餅はその言葉を使っていた、それは違いないのか?」
「ああ、それは間違いない」
「では召喚者と通信餅を操っていたのは十中八九同一人物とみて間違いない。その言葉を私は知らないからな」
「逆に大将が知ってる一番新しい知識ってなんだよ」
「私か」
大将は思案するように唸る。三百年前だと江戸時代だよな。戦国時代ならともかく江戸時代の知識なんて逆に俺が無いかもしれない。なら聞く必要も無かったか。
「切支丹、踏み絵」
「オーケイオーケイ。それ以降の言葉だな!」
妙にインパクトの残る江戸の話で助かった。これで個人的な話が流れてきたら頭抱えてたぞ。
かといってそんな大した話はしてない。けどその時代が最後の情報だって言うなら簡単なのが横文字か。で尚且つ月の文化には無い言葉。
いや、厳しいだろそれ。月の文化事情知らないのに絞れるか。
そもそもどうしてそんな話を今――あ。
「あの大将が俺を呼び出した……のか?」
「? 何を今更。今その話をしているところだろう」
「ああ……いや、そうなんだけどさ。そうなんだけどあれなんだよ。巻き込まれただけなのに変な仲間意識っていうか」
テレビで見たことがある。被害者が加害者に協力的になるのをストックホルム症候群というんだったか。
まさに今そんな心境なわけだ。
連合大将が討たれた事実にショックを受けているのは、その正体が鏡餅様だった可能性がかなり高いからで。あの兎が俺を戦場の外へ連れ出したのは鏡餅様なりに考えた結果――だったりするんだろうか。
そう期待してもいいんだろうか。
「どうやら君も心労が溜まっているようだ。先ほどの兎共と一緒に療養するといい。こちらも戦況の潮目が変わりそうなのでね」
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