第8話 撤退戦線! 二兎を追うもの一兎を得る

 連合勢力の兵が対価だと言われても、肝心の俺には何のメリットも無い。

 しかしここで実績を作らなければ玉兎に居場所はなくなる。肝心の鏡餅様の正体もまだ分からずじまい。まさに最悪の無い無い尽くしだ。


 そりゃ連合勢力だって烏合の衆に成り下がるわ。大将がまるでその器じゃない。知恵者の玉兎の大将の方がまだ威圧感があったくらいだ。

 そこに加えて旗色が悪いから撤退戦だなんて、行き当たりばったりにも程があるだろう。どうして玉兎の大将はこんなところに寄越しやがったんだ、なんて兵数を取り込みたいだけに決まっている。恩を売って玉兎の下に付かせる。


 つまり現状は、俺は玉兎にとっても連合にとっても捨ての駒でしかなくて、鏡餅様は未だ秘密主義で何も分からなくて、ここに至っても身の安全は何一つ保障されちゃいねえ。状況は常に最悪を更新し続けている。

 こんな泥沼な右肩下がり、かつて経験したことがない。月から眺める地球を見て喜んでいた時期が一番幸せって、なんだこれは。ナパーム弾で辺り一帯を焼き尽くしたくなる。


「本当に何者なんだよあんた……」


 思わず呟くが、すぐに口を閉ざす。

 目の前に飛んできた兎の杵を餅棒で捌き、はじき返す。衝撃が手に伝わり体が少しよろけるが、すぐに立て直す。


 玄兎軍の兵士たちの統制の取れた動きは確かに脅威だ。棒や杵を振り回すその戦術は、まさに訓練された集団戦の真髄だ。しかし、玄兎軍にはある脅威はそれだけで、その統制を崩せれば、個々の兵士たちはそこまで強くない。


 俺が選んだ道は、ひたすら長い餅棒と無限に投げられる杵を使った徹底した横槍による攪乱作戦だ。無限の体力で戦場を駆け回り杵を投げ牽制する。追って来れば餅棒を振るい、戻れば牽制を再び杵を投げつける。敵の目標ヘイトがこちらに向けば連合兵がその隙を突いて攻める。

 これで劣勢が覆るわけではないが、それでも一方的な戦いから贔屓目でなら善戦していると言えるくらいにはなった。

 負けで元々の撤退戦、身の安全を最優先に最低限の仕事だけをさせてもらおう。

 物語の主役なら一騎当千の働きで逆転をさせるなり強力な仲間が集結して押し返してくれるなりするのだろうが、こちらの大将にそんな魅力は無く、俺は主役ではなかった。


「月兎軍だ! 月兎軍が来たぞ!」


 鋭い掛け声と共に赤い法被の赤い法被を翻した兎たちが凄まじい勢いで駆け込んできた。怒涛の赤い波が戦場を一気に呑み込んでいく。


「ただの撤退戦じゃねえのかよ……!」


 俺は思わず叫び、誤って目の前に飛び込んできただろう黒法被兎の杵を餅棒で弾き返す。乱入した月兎軍は連合勢力も玄兎軍も見境なく攻め立て戦場を掻き乱していく。

 赤と黒が入り乱れ、戦場は完全に混乱の渦に飲み込まれていった。もはや誰が敵で誰が味方かも分からない。こんなになってしまっては攪乱なんて用をなさない。むしろ同士討ちの確率を無駄に上げるだけだ。


「撤退だ! 全員下がれ!」


 連合の指揮官らしき兎が絶叫するが、その声も混乱の中にかき消される。耳に届くのは木の打ち合う鈍い音と兎たちの怒号ばかりだ。逃げる者と戦う者が入り乱れ、どこに安全地帯があるのか、誰が味方なのかも分からない。月兎軍は敵も味方も構わず、ただ戦いの中に混じり込んでいる。

 その時、撤退命令の声を上書きするように声が響いた。


「連合大将破れたり!」


 それは連合崩壊の合図だった。

 小さな組をまとめ上げていた楔は外れ、かつて烏合の衆だった者達は新たな目標へ駆け出す。

 付くべき主を失い、武器を捨て、戦線を離脱していく者。

 怒りに燃え、武器を握り直し、月兎軍に突撃を始める者。

 月兎軍と共に玄兎軍を攻め立て、勝ち馬に乗ろうとする者。

 今の今まで背中を任せた相手が牙を剥くのが当たり前、それが連合勢力に身を置く者らの生き方だった。


「人間!」


 鋭い声に振り返ると、法被無しの兎が駆け寄ってきた。兎は息を切らしながら、俺の手を掴み、勢いを殺さずに駆け出す。


「な――っ!なにすんだよ!」

「呆けてるんじゃねえ! 離脱だ!」


 兎に手を引かれ、俺は戦場の外へ走り出した。背後では未だに戦いの音が続いている。月兎軍と玄兎軍が全面衝突を始め、完全に戦場の主役はそちらへ移っていった。

 遠く離れていく戦場に、鏡餅様の姿はなかった。

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