第3話
玲司はセキュリティゲートを抜けて、エレベーターに乗りこんだ。エレベーターは三基あり、向かって右のエレベーターに乗った。
ドアの左側には、階数のボタンと社名が書かれており、十二階から十五階まで、すべてがKUSだった。
KUSには総勢四百人超が勤務していた。そこの本社ともなれば、四フロアの全部屋を占有しても不思議はない。
インターネットで調べた事前情報によると、十三階に営業部門があるはずだった。
玲司は十三階のボタンを押した。
エレベーターには玲司の他に、五人が乗っていた。
同じ階で降りる者がいると少々面倒だったが、降りたのは玲司だけだった。
エレベーターの正面から左右に通路が伸び、社員がまばらに往来している。
幸いなことに、玲司が怪しまれるような感じはなかった。大所帯になると、見慣れない者がいようが、気にもされない。
(さて、手早く終わらせるか……)
そう思いながら玲司は、スラックスの右のポケットに手を入れる。
すると、硬質な感触があった。それが今回の主役だ。
(仕掛けるとするか……。だとして、どこへ?)
玲司は周囲をさっと見まわした。
――そのときのことだ。
三基のエレベーターの、中央のドアが開いた。にわかに身構えた玲司は、ドアから現れた顔に驚かされた。
それは、KUSの創業社長である
黒壁は剛毅そうな男性リーダーといった風情で、身長は百八十センチはありそうだ。紺色のスーツに、顔は日焼けしていた。髪はオールバックで、尊大さがにじみ出るような、ぎょろついた目つきで周囲を見下ろした。
玲司は思わず黒壁を睨んだ。
すぐに詰めよって、『姉さんになにをした! なにをやらせたんだ!』と言ってやりたい気持ちにかられた。――しかし、まだそれは早い。
(だめだ。……静かに、狡猾になれ)
と自分に言い聞かせる。そんな恨みを呑んだ目つきのせいか、黒壁はあろうことか、玲司へと近づいてきた。
(やばい! ここでバレたら完全なる不法侵入だ。いや、バレなくてもそうだけどよ)
玲司は心臓をバクバクさせながら、『いきなり社長と鉢合わせた臆病な社員』の体を取りつくろった。黒壁は言った。
「どうした。なにか気になることでも?」
玲司は頭を下げて、
「あ、す、すみません。目が悪くて……。眼鏡、置いてきてしまったんです」
周囲の社員からの、好奇の視線を感じる。すると、黒壁の顔がわざとらしくほころんだ。
「ははッ。そんなに緊張しなくていいですよ。眼鏡、早く取りに行ったほうがいい。――壁にぶつからないように、気をつけて!」
そこで、何人かの笑い声が聞こえた。
玲司は頭を掻いて、そそくさとエレベーターの前から離れた。そうしながらも、脳裏に焼きつけるように、黒壁の顔を思い描いた。
(てめえの化けの皮を剥いでやるよ。待ってろよ……)
そう内心で吐き捨て、トイレへと向かう。
幸いにして個室が空いていた。その個室に入ると、玲司はついにポケットに手を入れて、USBメモリを取りだした。
見た目には、ありふれた黒いUSBメモリのようだ。玲司はそれを足元の床に置いた。――さながら、トイレに立ち寄ったときに、だれかが落としてしまったかのような具合に。
そのUSBメモリにはラベルが貼ってあり、ボールペンでこう書かれていた。
『来期人事計画』
玲司は素知らぬ顔で手を洗い、トイレを後にして、再びエレベーターへと向かった。口もとに微笑を浮かべる。――仕込みは済んだ。
翌日の昼どき、玲司はいつものカフェで、河野那美と話をしていた。
「で、トラップは作動したの?」
と、河野はコーヒーカップを片手に尋ねてきた。玲司はノートPCの画面を見ながら、
「いや。まだ、つながってはいない」
「そう。……まあ、USBポートが、無効化されてないといいけど」
「ああ。だけど、USBポートって、書き込みは封じられていることが多いけど、読み取りは案外、許可されているからな」
すると、河野はおかしそうに微笑して、
「今回のその手法って、スタックスネットみたいね。……だとしたら、OS側の脆弱性が必要でしょ?」
「ああ。裏で入手した、未公開の脆弱性を使ってる。うまく刺されば、いけるはずだ」
「そう……。ゼロデイアタックってわけね」
それから河野はコーヒーに口をつけ、ため息をついた。玲司は言った。
「どうした?」
「ん、いえ。……仕事柄もあって、普通に手伝っちゃってるけど。見事に犯罪だなって。不正アクセス禁止法とかに、ばっちり抵触してるから。……麻痺してるのよね。そのあたりが」
「なにをいまさら……。怖くなった?」
河野は視線を下に向けていたが、やがて、
「どうだろ。でも、やっぱり、柑奈のことは気になるから。できることは、わたしもしたい。こんなときしか、恩返しできないから……」
玲司はうなずいて、「うん。やろう。迷っちゃいられない」そう言ってまた、ノートPCの画面を見た。
そのとき画面に、新たな表示があった。
Connection detected.
それを見た玲司は声を漏らす。
「きたッ! バックドアがつながった……。
「え? いけたの?」
「ああ。見える……」
「人事計画?」
「そうだ。ウイルスを仕込んだUSBメモリには、『来期人事計画』って書いといたから」
河野はあきれたように、
「好奇心と、野次馬精神をくすぐるわけね……」
「ああ。その魔力に惹かれてPCへ挿した直後に、システムにウイルスが注入される。あとは、感染したシステムが、バックドアを開きにいく」
玲司は嬉々として、専用のブラウザで侵入先のPCの中身を見ていく。
しかしまだ、これだけではKUS社内の内部情報をかっさらったとは到底言えない。
玲司は侵入対象のPCを経由して、グループウェアにアクセスした。そこで、社員連絡先一覧と、カレンダー情報をはじめ、一般社員に公開されている、あらかたの情報は入手できた。
「ここから、どうするの?」
という河野に、
「ああ。次に、
「うん。そうね」
「だから俺は、その、姉さんのメールボックスにたどりつこうと思う」
「どうやって? ――たしかに、社内の端末に侵入したのはすごいけど。これだけじゃ、柑奈のメールを覗くのは難しいでしょ?」
すると、玲司は不敵な笑顔を浮かべて、
「ああ。次の手も、あるぜ……」
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