第4話
KUSのフロアに情報システム課があった。
その一画に、黒縁の眼鏡をかけた、おとなしそうな青年が席についている。入社して二年になる、元林という社員だった。
そのときふと、会社のスマートフォンが鳴った。元林が電話に出ると、
「おつかれさまです。秘書室の松永です」
と、声が聞こえた。電話の向こうからは、クラクションの音が聞こえてきた。おそらく車で移動中なのだろう。
「あ、はい。おつかれさまです。元林です」
秘書室長の松永とはなんどか話をしたことはあった。いささか焦りを感じる声で松永は言った。
「ちょっと、お願いがあるんです」
「え? なんでしょう……」
「さっき、お客様から電話があって、至急調べてほしいって」
「調べる?」
「そうです。三嶋柑奈さんが送った一ヶ月くらいまえの資料を再送してほしいって。……でも、三嶋さんのアカウント、閉じてますよね? ちょっと、見れるようにできませんか?」
「三嶋さん……。秘書室の、三嶋さんってことですよね?」
「ええ、そうです。できますか?」
「規定上、アカウントを上長にお渡しするのは、問題ないはずです。それでは、会社に戻ったら……」
そう言いかけたときに、電話の向こうから別の声が漏れ聞こえてきた。
「おい、松永! まだか? 俺にも催促の電話がかかってきたぞ! いったい誰が対応してるんだ?」
それは黒壁社長の声のようだった。続いて、松永の焦った声が聞こえた。
「すみません。結構急ぎなんです。パスワードを再設定して、いま、教えてもらえませんか?」
元林は黒壁社長の声を聞いたこともあり、慌てながら答えた。
「わ、わかりました。少しお待ちを……」
三嶋玲司はスマートフォンの終話ボタンを押した。
そこは玲司のアパートの自室だった。椅子に座り、ディスプレイに映った画面を見ている。――画面にはログインに成功したばかりの、『三嶋柑奈』のメールボックスが表示されていた。
背後には河野が控え、ディスプレイを覗き込んできていた。
メールボックスには、本来は二段階認証がかかっているだろうが、ご丁寧にも、それすら解除してくれたようだ。
画面の片隅のフォルダ表示には、音声ファイルが並んでいる。
それらの音声ファイルは、対象者の音源をAIに学習させて作りだした、偽装された音声――ディープフェイクだ。
松永の音源は先日録音したもの。それに、黒壁の音源は、ネット上のインタビューなどから入手したものだ。
それに、念のため先日
「さて、気づかれる前に、早いところ漁るとするか……」
そう呟いて、玲司はマウスを動かしはじめる。
しばらく柑奈のメール送信履歴を探ってゆくと、気になる件名の送信メールがあった。
『各社売上情報の件』
宛先はフリーメールアドレスのようだ。中身を見ると本文は、『例の件でございます。御査収ください。』とだけ書かれていた。合わせて添付ファイルがついていた。それをダウンロードしてみると暗号化されており、中身はすぐには見られそうになかった。
河野が身を乗り出してきた。
「なにそれ?」
「わからない。業務に関する情報か……」
「え、でも。なんで外部のフリーアドレスに? 第一、各社売上って……。KUSって、会計関連のクラウドサービスとかを売ってるわけでしょ? それで、各社のってさ。――やばくない?」
「そうかもな。たしかに。情報漏洩か……。いや、これが意図的なことだとしたら、組織的なインサイダー……。どうなってる?」
玲司は高鳴る胸の鼓動を感じながら、コマンドプロンプトを起動する。黒い画面に白文字で、『System is ready.』と表示される。
「なにするの?」と河野。
「ああ。まずはこの、暗号化ファイルを
コマンドを打ち込みながら、玲司は祈りを込めるように呟く。――そうだ、ハッキングはいつだって、祈りに似ている。
「必ず、姉さんに辿り着いてみせる。突き止めてやる。――狩ってやるぜ。蛇のように、狡猾にな……」
(今はここまで)
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