第3話 少女と少年
遠くから聞こえる鳥のさえずりに重い瞼を開ける。
ぼやけた視界の焦点が徐々に合わさってくると、そこが我が家の寝室であることが分かった。
重い体を起こす。
何かが纏わりついているかのような重い違和感。
これは身に覚えのある感覚だった。
そう治癒の反動で寝込んだ後、目覚めた時の感覚。
「ん?」
ふと隣から寝息が聞こえた。
視線を向けると、そこには、まだあどけなさの残る男の子が眠っていた。
そう。あの夕暮れの里外れで出会った男の子。
汚れはすっかり洗い落とされて、ボロボロの衣服も新しい物へ変えられている。
男の子の手が私の裾を掴んでいるのに気付いて、その姿が可愛いく思え、無意識に口元が緩む。
そっと頭を撫でる。
むにゃむにゃと男の子の口から寝言が零れ、くすぐったそうに頭が揺れた。
「ふふ。可愛い……」
「あなたもこのくらいの頃は可愛かったのですよ?」
突然背後から投げ掛けられた声に私はビクリと肩を震わせた。
思わず出そうになった悲鳴を何とか飲み込む。
私は背中を流れる冷や汗を盛大に感じながら、ギギギという音が聞こえそうな程ぎこちなく背後へ振り返る。
その時の私の動きは、もしこの場に鈴奈が居たのなら暫くは揶揄われそうなほどに不審者そのもの。
「は、母上……、い、いい、いつからそこにゃ?」
どもった。しかも噛んだ。
いや。だって、声を掛けられるまで全く気が付かなかったのだから。
まるで突然そこに現れたかのような気配の消し方――、あれ? もしかして、いや、もしかしなくても最初から居ましたか?
「ええ。最初から居ましたよ」
まるで私の心を読んだかのように母が答える。
――
それが私の母の名前。
長い黒髪を後ろで結び、齢30になろうというのにまだ10代で通りそうな幼さの残る端正な顔と少し赤みのかかった黒瞳。
そして、穏やかな笑み。
直後、その笑みを見た私の背中を冷や汗が流れ落ちる。
――あれ? これもしかして怒ってます?
「壱希が気怠そうに瞼を開けて、大きな欠伸をして、それからいづなの頭を撫でて、口元が緩んで、ちょっと他所様には見せられない顔になっているところまで、しっかりと見ていましたよ?」
「あああーッ!? や、ややや、やめてくださいぃッ!?」
恥ずかしさのあまりに慌てて母上の言葉を止める。
「正座」
「は、はいッ!」
母上の一言で条件反射で姿勢を正す。
「まったく。お使いに出した筈がまさか童を拾ってくるなんて」
「そ、それには色々と深い理由がありまして……」
「使いましたね?」
「えーと、なんのことでし――」
その瞬間、母上の鋭い視線が突き刺さる。
はい。誤魔化せるとは思っていませんでしたが、その視線は大変心に刺さるので出来れば辞めて欲しいです。
「ごめんなさい。治癒を使いました」
「ふふ。素直でよろしい。――ですが、三日です」
「三日ですか……」
それは私が治癒の代償によって眠っていた時間だ。
よくよく思い起こすと帰宅した記憶が無い。ということは途中で倒れたのだろう。
「絶対に使うなとは言いません。それはあなただけに与えられた天賦の才です。ですが、時と場所を間違えれば、その力はあなただけでなくあなたが救おうとした命すらも危険な状況へ追いやってしまう。最悪、どちらも失われてしまうのです。――それを決して忘れないように」
「はい……。申し訳ございません」
「ええ。わかればよろしい。いづな――そこの童が慌てて駆け込んできた時は私も驚きました。泣きながらあなたが倒れたと教えてくれたのですよ?」
「そうですか。この子が……。――名前、いづなというのですね」
私は、まだ隣で寝ているいづなの頭をそっと撫でる。
いづな。か、私の名が“いつき”だからかなんとなく親近感が沸く。ほら、発音も似ていますし。
「ふふ。名前に親近感でも沸きましたか?」
「ええと。それは、なんといいますか。あははは……」
母上の言葉に思わず苦笑いを浮かべる。
やはり私の心を読んでいませんか? 母上?
「それでは、朝餉と致しましょう。先に行っていますので、いづなを起こしてからきてくださいね」
「はい」
「それと――。罰は朝餉の後です」
「うえっ?」
母上の去り際の言葉に私は悲鳴を漏らしてしまった。
話の流れで、そのまま終わりだと思ったのに……。
駄目でしたか……。
「ううぅ……」
ふと、寝ているいづながもぞもぞと動いて、その瞼が開いた。
「おはよう」
声を掛ける。
ぱちくりといづなは瞬いて、次の瞬間、いづなの目尻に涙が浮かび上がる。
「壱希お姉ちゃん!」
いづなは身体を起こすと、そのまま私の胸に飛び込んできた。
その体を優しく抱きとめる。
「うう。良かった。良かったよぉ……」
「私は大丈夫ですよ。あなたこそちゃんと治ってよかったです。――それに助けを呼んでくれてありがとう」
そう言って、私はいづなの頭を優しく撫でるのだった。
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