……第1章:焦土の村

第1話:脅威の到来と村の選択

 春の夜、冷たい静寂が村を包んでいた。家々の窓から洩れる柔らかな灯りが、暗い夜道をかすかに照らす。夜空の中央で輝く赤い星が、不吉な予感を村全体に投げかけていた。


「おい、起きろ!何かが近づいているぞ!」


 村の見張り役の若者の叫び声が静寂を切り裂いた。カリナは胸に迫る不吉な予感に駆られ、慌てて窓の外を覗く。林の向こうで赤い星が不気味に輝き、その光を受けた金属が鈍く反射しているのが見えた。


 重い足音が地を揺らし、金属の擦れる音が冷たい夜風に乗り、不気味に響いてくる。その音が近づくたび、彼女の手は窓枠を掴む力を強めていった。


 遠くの林から、重い足音と金属が擦れる音が響いてくる。その音は徐々に近づき、赤い星の下に鋭い光が反射した。それが槍と甲冑の光であることに気づいたとき、村人たちは恐怖に包まれた。


「アルヴァーク軍だ……!」


 エルサン長老が低い声で呟く。その顔には冷静さと緊張が交じり合っていた。




 広場に村人たちが集まり始める中、一人の男が甲冑の軋む音とともに進み出た。テオバルト・クライス、その鋭い灰色の瞳が村人たち一人ひとりを品定めするように動く。


「この村に必要な物資を提供してもらう。それがアルヴァーク王国の命令だ」


 彼の低い声は冷たく鋭く、どこか楽しんでいるようにも聞こえた。村人たちの恐怖に引き攣った顔を見ても、微動だにせず淡々と続ける。


「さあ、従わないならば――代償を払ってもらうだけだ」


「この村にそんな余裕はありません……」


 エルサンが毅然と答えるも、テオバルトは表情を変えずに命じた。


「ならば、探し出せ」


 兵士たちは広場から散らばり、家々を次々に捜索し始めた。


「待ってください!」


 エルサンは一歩前に出て切実に訴える。


「幼い子どもたちや病人だけでも見逃してくれないでしょうか」


 しかし、テオバルトは冷笑を浮かべ、剣を抜いた。


「弱者も含めて、代償を支払うことになる」


 村人たちは恐怖で動けなかった。中には、幼子を抱きしめる母親や、震える手で家の扉を閉める老人もいた。赤い星の光が村全体を血のように染め上げ、不気味な輝きが彼らの心を締め付けるようだった。


「赤い星がこれほど強く輝くなんて……」


 誰かの震える声が冷たい風に乗って響き渡り、そのたびに子どもたちの泣き声が重なる。


 その場を立ち去るように、カリナは急いで家に駆け込んだ。胸の奥には、何かが迫ってくるような息苦しさが広がっていた。




 カリナが家に駆け込むと、父レオンが焚火のそばに腰を下ろしながら何かを作っていた。母セレナは机に向かい、薬草を整理している。


「父さん、母さん!アルヴァーク軍が村に来た!」


 カリナの声に、二人の手が止まる。レオンは眉をひそめて立ち上がり、その大きな手で娘の肩に触れた。


「落ち着け、カリナ。何があった?」


 カリナは息を整えながら、広場での出来事を説明する。レオンの眉が険しく歪み、隅に置かれた斧へ無意識に手を伸ばす。その手が斧の柄を掴むとき、彼の目には家族を守る父としての揺るぎない覚悟が宿っていた。


「奴らがここまで来るとは……俺も広場に行く」


 その言葉は決意に満ちていたが、どこか焦りも感じさせた。


「レオン、待って」


 セレナが静かに口を開く。その声は暖炉の炎のように穏やかだが、その芯には冷静な鋭さがあった。


「争いを起こす前に、他の道を探しましょう。私たちが生き延びるために」


「だが、奴らに情けが通じるとは思えない」


 レオンの声には迷いが滲む。だが、その目に映るセレナの冷静な表情に一瞬の逡巡が浮かんだ。カリナは二人のやり取りを見ながら、胸の中に焦りが広がっていく。


「私も手伝う!」


 カリナは父の後を追おうとしたが、レオンに肩を掴まれ、その場に押し戻された。


「無茶するな、カリナ」


(でも、私にだって何かできるはず……!)


 諦めきれない思いが胸の奥で渦巻く。彼女の視線は父の背中に釘付けになり、何もできない自分への苛立ちが募るばかりだった。父親に止められる前に、自分の力で何かをしなければならないという思いが彼女を突き動かしていた。


「駄目だ、お前は家にいろ」


 レオンの一言が部屋の空気を張り詰めさせた。


 外から響く声が、家族の会話を遮った。アルヴァーク軍の兵士たちが村人の家を次々に調べ、物資を持ち去っている音だ。


「……時間がない」


 レオンは斧を手に取り、重い足取りで玄関に向かった。その背中を見つめるカリナの胸には、守りたいという強い思いが渦巻いていた。


「カリナ」


 セレナがカリナの手をそっと握る。


「あなたにはまだできることがある。まずはミナを守りなさい」


 その言葉に、カリナは大きく頷いた。窓の外には赤い星が輝き、これからの運命を暗示しているかのようだった。




 倉庫の扉が重々しく開くと、エルサン長老の表情は一層険しくなった。中に積まれているはずの袋や樽は、見るも無残に少なくなっている。村人たちが集まる中、彼は振り返り、静かに告げた。


「見ての通り、物資はほとんど残っていない」


 その言葉に、村人たちの間にざわめきが広がる。アルヴァーク軍の要求を満たせる余裕などどこにもなかった。


「これが現実だ」


 レオンが低く呟くように言い、周囲を見回した。


「だが、武器を手にして抵抗する道もある。黙って奪われるよりはいいだろう」


「争いを避ける方法を模索するべきよ」


 セレナが静かに反論した。その声は冷静で、場の緊張を和らげるようだった。


「力で立ち向かっても、全てを失うだけかもしれないわ」


 二人のやり取りに村人たちは言葉を失った。エルサンが手を上げ、会話を静止するように言った。


「どちらにせよ、私はテオバルトと話し合いを試みる。だが、失敗した場合に備え、皆も覚悟しておくのだ」


 エルサンの低く響く声に、村人たちの間から微かなすすり泣きが聞こえた。年老いた女性が肩を震わせ、若い母親が泣き叫ぶ赤ん坊を必死に宥めようとしている。その光景を見ながら、カリナは拳を強く握りしめたが、震えを止めることはできなかった。


(このままじゃ、村が……!でも、どうすればいいの?)


 彼女は歯を食いしばり、父と母の姿を思い浮かべた。二人ならきっと何かをしてくれる――だが、無力な自分には何もできない。その思いが胸を締め付けるたび、心の奥で渦巻く感情があった。


(力が欲しい……!)


 瞬間、妹の手の温もりがその渇望をわずかに和らげた。父や母は強い。だが、自分にできることは何だろう――その思いが胸を締め付ける。


「カリナ、大丈夫よ」


 隣に立つミナがそっとカリナの手を握った。その小さな手は少し冷たく、微かに震えているように感じられた。カリナはその感触に思わず力を込め返す。


(ミナも怖いはずなのに……。)


 その一瞬、妹の手が、カリナの動揺をわずかに和らげた。だが、妹の澄んだ緑の瞳を見た瞬間、彼女の中で守りたいという気持ちがさらに強くなった。


 エルサン長老が一歩前に出ると、テオバルトの甲冑が月明かりを受けて冷たく光った。彼は無言のまま、長老を見下ろしている。その視線には、希望の欠片すら見えなかった。


「テオバルト様……」


 エルサンは低く語りかけた。その声には静かな怒りと悲しみが滲んでいる。


「この村を焼くことが、果たして正義と呼べますか」


 彼は一歩踏み出し、老いた背中をまっすぐに伸ばす。その姿に、村人たちはわずかばかりの希望を見い出そうとしていた。




 広場には冷たい緊張が漂っていた。月明かりがテオバルト・クライスの甲冑を鈍く照らし、その背後ではアルヴァーク軍の兵士たちが整列していた。


「倉庫を見せてもらおう」


 テオバルトの冷たい声が響く。


 エルサンは一瞬躊躇しつつも、扉を開ける。中を覗き込んだテオバルトの表情がわずかに歪んだ。その目に浮かぶのは、怒りとも冷笑とも取れる感情だった。


「空だな」


 彼は静かに言ったが、その声には明らかな威圧が込められていた。


「村には余裕がないのです」


 エルサンが毅然とした態度で答えた。


「ならば、村全体が責任を負うことになる」


 テオバルトは剣を抜き、刃に赤い星の光を反射させながら言った。


「我らに逆らうとは、愚か者の証だ」


 テオバルトは冷たく笑いながら剣を振り上げた。その刃が月明かりを受けて輝く。


「焼き払え。この村に、アルヴァーク王国に背いた者の末路を刻み込め」


 その言葉に兵士たちは無言で火を放つ準備を始め、村人たちの間に悲鳴が上がった。

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