精霊の住む部屋

 11月末までに引っ越しをしなくてはならなくなり、急いで新しい部屋を探していた。


 ただ、条件に合う物件というのは本当に見つかりにくい。引っ越しの期日が迫る中、焦りが募るばかりだった。


 私が探していた条件はこうだ。


 ・犬猫飼育可

 ・風呂とトイレが別

 ・独立した2部屋があること


 さらに、家賃は10万円以下。可能ならもっと安ければ嬉しい。郊外だから、不可能な条件ではないはずなのに、現実は厳しかった。


 駅からとても遠い物件や、風呂だけ異常にリフォームされた部屋、犬猫不可なものばかりが候補に挙がり、いっそどれかの条件を妥協しようかと考え始めていた頃——


 不動産屋の担当者、馬場さん(仮名)が熱心に私の希望をかなえようと、探してくれていたのだ。


「お客様の条件にピッタリな物件が見つかりましたよ!」


 馬場さんの明るい声に期待を抱きつつも、過去の「微妙物件」を思い出す。全ての条件に当てはまっているものの、線路脇で日陰ばかりの部屋や、どこか嫌な気配が漂う部屋ばかり。


 内見で入って気持ちがザワつく部屋は“嫌なもの”がいる可能性がとても高いので避けたいものだ。


 だが今回は、ちょっと違うかもしれない。


 内見に向かうと、その物件は思った以上に良かった。


 病院徒歩圏内

 コンビニ激近

 3階建てアパートの最上階角部屋

 南向きで日当たり良好

 周囲に騒音源なし


 まさに理想。築年数こそ古いが頑丈な建物で、家賃も相場より安い。これに決めるしかない!


 内見では、まだリフォーム前で少し荒れている部分もあったけれど、十分住めるレベルだった。


 そしてもう1つ、ここにはオマケがあった。


 この部屋には「普通には視えない存在」が住んでいる——


 和室

 洋室

 風呂場

 トイレ

 ベランダ

 台所と玄関


 幽霊ではないが、精霊に近い“何か”が部屋の各所、つまり6体住んでいた。


 人によっては十把一絡じっぱひとからげに幽霊として捉えるだろう。


 でも私は違う。細かく、分類できる。

 こういう存在なら寧ろ歓迎したい存在だ。


 私が「よろしくね」と挨拶すると、彼らは驚いたようにキョトンとしていた。人間が気づくことは滅多にないらしい。


 見た目はそれぞれ個性的で、愛らしい姿のものもいれば、凛々しくて格好良い雰囲気を持つものもいる。


 ただ、一人だけ特に奇妙な存在がいた。


 台所に佇む彼——いや、それは“彼”と呼んでいいのかも怪しい。半透明で、まるでスライムのような形状。ウネウネ動くそれは、溶けた人体をゲル状の中に漂わせ、よく見れば臓器と思しきものもある。


 他の部屋の精から聞いた話によると「つい最近まで幽霊だったけど、部屋の守り手に転職しました」という存在らしい。


「……銀次です。よろしく」


 台所の主、銀次さんは控えめに挨拶してくれたが、その見た目には正直、慣れるのに時間がかかりそうだった。


 その形状から居心地がいいのだろう、シンクにたぷたぷ入っていることがある。ずりずりとフローリングを這い回る姿は、ホラー味が強いコメディに見えなくもないシュールさがすごい。


 話してみると、意外に気さくで話しやすい男だとわかる。


 もっとも、生前はヤクザだったらしいが——


 私はこの部屋で長く暮らすことになるだろう。幽霊じゃなくて聖霊、しかも「ちょっと訳あり」な同居人たちとの生活は、思った以上に楽しい。


 そもそも私は、生身の人間よりも霊や人外の知り合いの方が多い。肉体を持たない存在と恋に落ち、結婚までしているのだから、訳ありな彼らとの同居生活も、どこかしら自然なことに思えるのだ。


 私が頭痛に悩まされていると、銀さん——最近はそう呼んでいる彼が「早く薬をキメて楽になりやしょう」と言ってくれる。銀さんが言うからこその一言が妙にツボで、痛みの中でもちょっと笑えてしまう。


 楽しいやり取りができるこの物件に、私はなるべく長く住んでいたい。

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